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『小田の色を無くせ!』

2010年10月20日 00:00

856 名前:長永[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 18:59:31 ID:zXTYNNnz

見事なまでに戦に負け続けた氏治様だが、
氏治様ウィ-ク火付け投下の、『「天才的な戦下手」小田氏治http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3174.html
(※これは自分の投下した逸話ではございません)
などから、実に領民達から慕われていて、なかなか滅亡しなかったというのは既に周知のはず。
T氏は、上の『新しい領主に年貢を納めるのを拒否し、氏治の元にだけ年貢を納め続けた』という話は
ご存知でなかったが、確かに小田の領民はとにかく佐竹らには懐かなかったらしいと、
これに関連する逸話を教えてくれた。

小田城のすぐ近くには、有名な筑波山があるが、その隣、もっと小田城近くに宝篋山(ほうきょうざん)
という山がある。
この山には、鎌倉時代の名僧・忍性に関係深い極楽寺を中心に、寺社が全山&麓に建っており、
大小180を超すという堂塔が建ち並んでいたという。

それほどの寺社群が今はほぼ全て消滅し、遺構だけが無数に残っている。
しかし、その消滅時期は公式見解上では不明とされており、戦国期か?江戸期だろうか?という状態である。
その寺社群消滅に関する、こんな逸話がある。


『小田の色を無くせ!』
それは幾度目の合戦の時のことだったのか…。
恐らくは、氏治が最後に小田城を追われた合戦の後。
勝利した佐竹軍将兵へ、佐竹当主より命令が下った。

『この地より小田の色を無くせ!』

…それはかなり徹底的なものだった。

『宝篋山より寺院・神社は総退去!全て破壊し、小田の家紋を一つも残すな!!!』

これに従わない寺社は佐竹軍により容赦なく焼き討ちされ、
退去に従った者達も、別に佐竹家が移築支援する訳でなく放り出され土浦周辺に逃げ延びた。
(土浦に逃げた氏治を追ったのか…?この時逃げたという寺社が、土浦周辺に新たに居を構え、
今も残っているという)
人を追い払った後、建物は壊され、小田の家紋の入っていれば墓や石塔などの石造りの物まで全て破壊された。
これにより、300年以上の歴史を持つ宝篋山・極楽寺寺社群は消滅してしまった。


…とのこと。
今更言うまでもないが。この時代にそんな大規模な宗教施設破壊をすれば、かえって一揆などの大反発を起こされても
文句を言えない所業である。信長や宗麟のそれの様に
佐竹義宣による宝篋山・極楽寺寺社群焼き討ち事件』
とでも周囲に悪評が上りかねない。
…結果的に、これによる一揆などは無かったようだが、例えそういったリスクを負ってでもやらないといけない程、
小田統治には難渋していた、ということを示しているのだろう。

ちなみに、この宝篋山と寺院・神社群にはまだ重要な事が隠されており、関連する逸話がもう一つある。
取りあえずそれは、また後程投下したいと思います。




857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 20:51:52 ID:0ZhJFIrI
ヒャッハー、小田は消毒だー(AAry

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 21:56:35 ID:Y3sMvntd
>>856
坊主が領主に義理立てするのって珍しいと思う。
それほど小田さんは領民に対して居心地のいい国づくりをしてたのかな?
どんな統治をしてたんだかすごい気になるな。

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 22:03:27 ID:LxveChbw
親父の遺産だよ

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 22:47:04 ID:Y3sMvntd
ちょっと小田さんのまとめ読んできた。
統治に関しては完璧な勘違いでした。

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 23:40:30 ID:uNWMaIa6
小田を降伏させて小田領を統治させれば良かったんじゃなイカ

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 23:50:03 ID:bE8SuOQz
当然それくらいのことやってるけど
小田さんすぐ寝返っちゃうから結局追い回すしかなかった。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    政宗の従兄弟だけはあるな義宣

  2. 人間七七四年 | URL | -

    小田さんの逸話みるたび不思議なんだよなあ、なぜあんなに人気あったんだろうか。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    何と言うか、不思議な魅力のある武将ですね小田さんは。
    でももっと不思議なのは、戦でろくな結果を出せない大名が、統治で成功
    出来るのでしょうか?本当に不思議だw

  4. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1148943941

    昭和50年発行『土浦市史』の269ページに、
    「小田氏については、「佐竹義昭家譜」に「酒寄家文書」の伝えとして、小田氏は頼朝以来の旧主なので百姓町人まで地の譜代であり、新領主が来ても(占領中)年貢を出すことをしぶり、密かに旧主の下に運んでしまう。だから1年もたたないで又取り返されてしまうのだ、とある。してみると氏治は戦は下手だったとしても、人望までは失っていなかったことになる。

    これか。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    小田さんの頃はまだ義重が当主だったような

  6. 長永 | URL | VX3per56

    >5
    確かに。
    聞いたまんまに書いてたから、何も気にしてなかったです。
    まあ、書き残されたの時期には丁度義宣が当主だったとかかもしれませんが、
    もう後は想像するしかないですね。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    守ってあげたくなるような可愛い人だったとか・・・・・

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >7さん
    肖像画見る限り、厳ついオッサンでしたしね・・・。
    最近流行りの、男の娘的容姿とは程遠いですwww

  9. 人間七七四年 | URL | -

    むしろあのダメ親父っぽさが保護欲を掻きたてるのかも

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