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『三村山清冷院極楽寺炎上の話』

2010年10月21日 00:00

866 名前:長永[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 06:15:14 ID:12cbe6vc
>856に関連する逸話。


『三村山清冷院極楽寺炎上の話』
■まず、小田の農家の家に代々伝わっていた写本の写しより。

元亀三年十二月、かくて木枯らしの吹き荒ぶ大晦日
車丹波の配下、溝口内記と瓜連の館主坂口出羽守は、五百余の手兵を以って
一百余頭の牛角に、油布を付けた松明(たいまつ)を結びつけ、火をつけて山上から
追い落とした
牛火の群れは三村山清冷院極楽寺目指して馳せ下り、火は忽ち寺院の建物に燃え移り、
尼僧々兵達多く焼死し、荘厳を極めた堂塔伽藍はことごとく烏有に帰した。
院主も火中に死した。

■内容は大体上と同じだが、違う家に残る話でやや詳しい方、
元日の未明、小田城には千田刑部、車丹波守,佐竹弾正らの一隊入城し、
千田刑部は、大島で味方の江戸山城守と合戦中である。車丹波の一隊三千騎は宝鏡山鬼ヶ峰
を通り、車丹波の一部将、瓜連の館主坂口出羽守は牛の角に火油の棒を縛り、裏手口の
山頂から牛を追い落として清冷院極楽寺を焼き討ちしたので、院主は火中で死んだ


これらの伝承や、三村山や清冷院という名称には多少謎などがあるようだが、以降の話に
あまり関わってくる訳でもないので、>858さんの意見を聞き端折りますよ。
気になる人は現地でご調査下さい。


…てなことで、『逸話』らしい話はこれで終了です。
あとは、逸話というか謎解き。
現地調査や、小田研究を元にしての、知られざる小田家に迫るとかの感じでしょうか。
氏治様や小田城の謎が解けるはず。




867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 06:17:32 ID:QNENPx5+
氏治さまは堀越公方の孫だものな
プライドやこだわりは人よりも強そうだよね

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 15:10:32 ID:3ap6Aa5E
>>866
春秋戦国の田単、倶利伽羅峠の木曽義仲、以外にも「火牛の計」の話があったんだ

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 16:34:06 ID:MQxHISEF
>>880
淡河定範「私の作戦はその斜め上を行くがな」

883 名前:長永[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 18:59:16 ID:12cbe6vc

>880
T氏を含め研究家は皆、『火牛攻め』というのがいかにも伝説くさいと思うところらしい。
しかし、民間の文書とはいえ、二箇所から出ていることを考えると、兵火による寺院消滅の可能性は
十分あると言って良いだろうとのこと。
ただ、歴史研究家は、この民間伝承以外で「寺院が佐竹氏によって滅ぼされたという文書的な証拠は無い」とし、
更に『三村山清冷院』という名称も資料を集めても出てこないことから、全てあくまで『伝承』止まりのものと扱っているという。
物的証拠としては、初めてこの寺院跡を調査した、江戸後期の学者・長島尉信が発掘で見つけた古瓦の文字を調べ、
『一、曰三村山、一、曰、清冷院、一、曰、楽寺』
(※ひとつ、いわくで始まる。極の字は欠けているものと彼は記している)
と記されているものを発見しているが、現物が今に伝わらず、証拠と認められていない。

とのことです。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    寺カワイソス

  2. 人間七七四年 | URL | -

    佐竹こんなことやって領民が臣従するんかよ。というのは現代の感覚なんでしょうな。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    この時期の佐竹は常陸南方三十三館謀殺事件やったり、正直宇喜多さんちが笑えない位黒いからな
    統一や生き残りのために必死だったってことなんだろうけど

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