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文明元年(1469)3月16日、忍びを使って

2010年10月26日 00:01

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/25(月) 01:11:25 ID:jkxbSDOS
文明元年(1469)3月16日の事。

将軍義政の養子、足利義視を迎えて意気上がる西軍に対し、東軍の総帥細川勝元

「西軍は遠国の兵が多く、長い滞陣に気力も衰え、守備の怠りもあるだろう。」

と、伊賀、河内の忍びの者数百人を集め西軍の陣に忍び込ませ、さらに夜軍の準備をした。

この作戦、忍びの者達のうち西軍総帥、山名宗全の陣に忍び込んだ者が合図の燧火を上げる。
それと同時に西軍の陣を放火、これに混乱している間の夜討ちの軍が攻め入る、という物であった。

時間は五更(夜明け前)、決行の時間である。敵が深く寝ていることを計り、忍びは火を放ち
東軍の軍勢は攻め込もうとしていた…が、

山名宗全はそう甘くはなかった。彼は普段から守りの備えに対し万全を期していたため、
東軍は攻めいること全く出来なかった。
その間に山名宗全自身が甲冑をつけ現れ自ら指揮をし、そのため潜入させた忍びの多くが
殺され、夜討ち軍も逃げ帰ることになったという。


長い応仁の乱の中の、忍者を使った作戦とその失敗についてのお話。




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コメント

  1. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | SFo5/nok

    >伊賀、河内の忍びの者数百人
    河内の忍びって、まさか楠木一族の残党とかね。
    でも細川京兆家と楠木は縁があるからなあ。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    後半を読む前から、忍びを使った奇襲なぞうまくいくわけがないと思ったが、案の定だった。

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