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秀吉の形見分と吉川広家

2010年10月27日 00:00

59 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/10/26(火) 12:36:42 ID:WE56mGZR
秀吉の死後、いわゆる形見分けがおこなわれた。
品定めは前田利家の伏見邸において石田三成を初めとする五奉行によってなされた。
当時の記録によると、徳川家康には「遠浦帰帆」の絵と金子三百枚
前田利家には政宗の刀と金子三百枚
石田三成には吉光の刀と金子五十枚
加藤清正には金子三十枚 などとある。

このほか広く大名、旗本に加え直江兼継のような陪臣、山名禅高のような御伽衆まで遺品を賜った。
しかしそんな中、意外な人物が形見分けの選から除外されていた。
黒田如水と吉川広家である。

如水に関しては息子の長政が賜っている事を隠居の如水を除外した理由にしたのかもしれないが、
播州以来の長年の秀吉との関係、その働きを思えばどうにも腑に落ちないことでもある。
如水としてはいよいよ奉行たちに豊臣家から遠ざけられたと思ってもおかしくはない。

一方広家はすぐさま三成たちに問い詰めた。慌てた三成達は「たまたま形見分けに入れ忘れた」と
後日刀が送られる事になったが、仮にも毛利家の重鎮を入れ忘れるだろうか?
少なくとも誇りを傷つけられたとは思っただろう。

後の関ヶ原でこの二人は三成に背を向ける事になる。これとの因果関係は不明であるが、一因にはなったかもしれない。
モノの恨みは恐ろしいかもしれない話




61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/26(火) 12:57:16 ID:F5oYoIMq
広家さんは当時は、陪臣なのかね?
それとも、愛の人みたいに特別ラスボスの覚えがいいとも思えないんだけど~

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/26(火) 13:14:30 ID:LhkNVY4I
遺産相続ってのは揉めるのはお約束だよな

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/26(火) 13:15:51 ID:ChCmZnZe
俺の家も揉めてるしな、遺書のおかげでなんとかなりそうだけど

64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/26(火) 13:18:40 ID:DvEEGwcP
家康は秀吉に形見分けとしてもらった金を(おそらく)天下取りに使ったわけか、皮肉だねえ

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/26(火) 13:51:55 ID:CaIkRIOE
家康「天下を形見として頂きました^^」
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | /.Lwufz2

    山陽新聞で連載されてる「三人の二代目」だと

    秀吉は小早川秀包に「秀」の字を与えたりして厚遇する一方、吉川広家はさっさと国に帰らせるなど待遇に差をつけた。これは両家の仲を裂くための策であった。

    みたいな感じに綴られていた。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    家康鬼畜w

  3. 人間七七四年 | URL | -

    金子の枚数から考えて、徳川と前田は同格扱い
    (徳川上位にしていない)
    ということですね。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    「あの吉川の」惣領なんだから、
    豊臣から疎まれてもさもありなん。

    ひとたらしの形見分け、らしくはないけど。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    三成<清正にするくらいの配慮があってもよかったんじゃないかという気はしないでもない
    生前に指示があったのなら秀吉の気が利かない話になるけど

  6. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉の意志なのか、奉行が決めたことなのかわからんが、如水さんに対する扱いが酷すぎるような。
    黒田がさっさと豊臣見限ったのも当然に思える。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    >>65
    汚いなさすが家康きたない

  8. 人間七七四年 | URL | -

    親父が秀吉嫌いだったと言われているけど
    それもあるのかね?

  9. 人間七七四年 | URL | -

    政宗の刀って、あの政宗から取り上げた刀かな?

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