FC2ブログ

山内一豊の土佐入国

2010年11月04日 00:00

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/03(水) 18:51:06 ID:1zdyFUTe
慶長6年、掛川から土佐に移封となり大幅な加増があった山内一豊
余所から入部してきた大名はただでさえ人手も足りなくなるので
地元の元家臣を大量に雇用するのが常であったが、
一領具足を中心とした旧長宗我部氏の武士の多くは新領主に反発し
土佐国内で多くの紛争を起こした。
これに対し一豊は重要なポストを外部からの人材で固め、
家康の敵であった長曽我部元親の遺臣らを桂浜の角力大会に招待しておいて
捕縛し73名を磔にして殺すなど、あくまで武断措置を取ってこれに対応した。
この為一豊は常に領内で命を狙われる危険性があり、高知城の築城の際などには
6人の影武者と共に現地を視察した。

上士・郷士のしがらみが後の明治維新の原動力になったとはいえ、長宗我部遺臣にとっては非常に性質の悪い話。





310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/03(水) 19:12:20 ID:/yTZ2qap
>>307
最近では長宗我部の一族が、山内の家臣として普通に存在してることが確認されたり、
山内家の旧長宗我部家臣差別政策は本当に存在したのか?
って疑問も提示されてたりするよね。
ぶっちゃけ、新領主に対して従わずに武力蜂起して潰される話なんて、豊臣政権期には
それこそ日本中にあるし、武装蜂起した連中が処刑されただけ
だとするとそれほど特異なケースじゃなかったんじゃないかと思う。

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/03(水) 19:12:30 ID:6u8abJFa
>>307
> これに対し一豊は重要なポストを外部からの人材で固め、

これも実際は、一豊は山内家中に長曽我部旧臣をかなり取り込んでるんだよね。
幕末の上士、郷士のしがらみはかなり別の話。

つーか幕末に上士に対抗した「土佐郷士」、とくに土佐勤王党の連中は長曽我部侍というより
新たに経済的に成功して郷士株を買った「新興武士」がその中心。

幕末、由緒正しい長曽我部以来の郷士は、実はほとんど上士についていた。

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/03(水) 19:20:55 ID:1zdyFUTe
>>310>>311
トンクス
県外に居ると通説を鵜呑みにしてしまう。
家臣団の血筋とか貫高は無視して能力で査定していたのでしょうか?
バツの悪い俺の話。

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/03(水) 19:54:09 ID:nP9pUT1O

>>307
こんな有名な逸話がまだ出てなかったのか・・・
大河ドラマにすらなったのに、どんだけ戦国板の連中には人気ないんだ、一豊w

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/03(水) 21:04:22 ID:PV1r30AC
>>417

逆だよ逆、有名すぎてドヤ顔で書き込んだと思われるから
有名すぐる逸話はみんな書き込まないんだよ
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >>320のロングパスは直してやれよw

  2. 人間七七四年 | URL | -

    オレんちは旧富樫家臣で、
    たから加賀藩郷士。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    黒田さん家だって旧主を呼び出して殺しているのに、此方は謀略としてむしろ評価される向きが有る。対して一豊は無残な行為をしたと言われる差は何だろう?
    マイナー武将かどうかかな?

    まぁ細川さん家と一色家の場合は、妹さんのオチが付いたがw

  4. 人間七七四年 | URL | -

    センゴクと一豊は司馬の割りを食っている感はある。
    この二人のアンチはそういう創作の影響強いよね。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    考えてみれば、徳川幕府が成立していなかった時期に起こった内紛っていうのは一豊にとってラッキーだったよね。
    もし幕府成立後にこんなことやってたらあっという間にお取りつぶしになってたんじゃないだろうか?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    なんかスマートじゃないんだよな
    旧主をどうこうできないから旧臣に直接仕掛けるしかないとはいえ、
    ここまでみえみえにやっといてこっちは政府側でお前らは反乱者側なんだから
    お前らが全面的に悪い、ってのはなんか汚すぎるというか

  7. 人間七七四年 | URL | -

    と言うかさ。叛乱とかばっかり起こしているから登用され無かったんだろ?
    実際、長宗我部家出身の武士だってちゃんと登用されてるんだから。

    だったら、処分受けても仕方ないと思う。

  8. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    >>7
    現代で言うなら地元に乗り込んできたドヤ顔の成金政治家に擦り寄れるか、踏ん切りが付かずそうでないかの違いだな。

  9. 人間七七四年 | URL | wZ.hFnaU

    近世ってのは国人、地侍という武力と特権を持った半独立の
    中間搾取層を消滅させ、中央政府が領域の全てを直接に統治する、
    ということがテーマなのですな。

    で、このばあい土佐の一領具足はまさに中間搾取層の地侍であって、
    山内氏としては、藩の進める近世化(特権の剥奪)に抵抗するのなら
    処分せざるをえないわけですよ。
    逆に言えば長曽我部氏は近世化をほとんど果たしていなかった
    わけですな。

    このような国人、地侍への弾圧と帰農の強制は近世初期にはかなり
    起こってて、鬼武蔵の弟さんが津山に入ったときに国人の一揆と
    合戦起こしたのも本質的にはそれ。
    宇喜多家も領内の国人地侍にほとんど手をつけて無くて、その残された
    宿題を新領主が背負わされたということです。

  10. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    >>9
    最上さんのとこでは改易後の白岩の義民一揆が有名だけど、最上さんくらいのとこなら国人家臣が蜂起してもおかしくないレベルだと思うんだけど。

  11. 人間七七四年 | URL | wZ.hFnaU

    ※10
    最上さんの改易も本質的には近世化の失敗だったと思います。
    蒲生さんとか黒田さんとかのお家騒動も、やっぱり主家に権力を
    集中させる近世化の過程における摩擦が生み出したものだと思います。

  12. 人間七七四年 | URL | LmMdU2V.

    佐竹転封後に入った水戸徳川家が、入封に反対して年貢を払わない村を「1村丸ごと根絶やしにした」って話が各地にまことしやかに伝えられているけど、あれも地侍層が佐竹の時期に近世化を経ずずっと残っていた(まぁ佐竹自体が主家の権力確立したのがずっと後だし)せいでしょうしね。

    一方で、近世化をずるずるやらずにきて、それでも何とかなってしまったところもあって、例えばまーくんでおなじみ伊達家は江戸時代に入っても地方知行制という藩中藩形式の統治体制とってたのは有名だけど、それを解消しようとした動きが伊達騒動を起こしたり、また騒動をなんとか生き延びた伊達綱村も権力集中させようとして家臣と何度も軋轢起こしてる。
    あげく、戊辰戦争のときは、藩兵たちは直接の主人(=大部分が藩主ではなく重臣)に忠誠心はあっても藩主に忠誠心が薄いから家中の統制が取れず、他の藩に比べて逃亡する兵が多かったとか。
    まぁ、その藩中藩がまとまって北海道へ屯田兵として移住し、今の札幌市の一部や伊達市のあたりの開拓をしたわけだから、地方知行制も中世的制度ながら近代化に役立ったとも言えるわけで。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/4819-e6ae4a5c
この記事へのトラックバック