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穴山信君の勇気ある心遣い

2010年11月22日 00:00

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 00:06:31 ID:d7FKAjzh
穴山信君の勇気ある心遣い

長篠の戦いの直後、武田勝頼のもとに一門衆の穴山信君が訪れた。
戦後処理のために徳川と交渉することを許して欲しいというのである。

つまり徳川家に金品を贈って、捕虜の身請け、遺体や遺品の回収と弔いなどの許可を得たいというのだ。
ところが、これに対して勝頼は頑として許可を出さず、食い下がる信君に怒って罵声を浴びせた。
しかし、穴山信君にはどうしても戦後処理を進めねばならない理由があった。


wikipediaによると、戦死した主な武将について
>>武田四天王の山県、内藤、馬場を始めとして、原昌胤、原盛胤、真田信綱、真田昌輝、
 土屋昌次、土屋直規、安中景繁、望月信永、米倉重継
とあるが、これらは武田政権中枢の、言わば戦死した官僚たちである。
これらの武将たちが、武田の新領土である信州や山梨北部の領主なのもそれを表している。


しかし、本当に悲惨だったのは、河内(山梨南部地域)・木曽の半独立豪族たちであった。
特に戦場に近い河内では、下部左京、丹沢主馬、井出元輔、下村源助、市ノ瀬左衛門ら有力国人が戦死し、
兵卒も大損害を被った。

主従関係こそなかったようだが、これら河内衆の指揮を執っていたのが穴山信君であり、
責任を感じていたのであろう。
勝頼から許可が得られないと知ると、駿河の配下豪族・万沢氏に独自に交渉するよう命じた。無論彼の独断である。

信君の努力の結果、内々に許可が出た。戦死者の家族や部下たちは長篠に向かい、
人捜しをしたり弔いをしたりした。

これらは本来、勝頼が責任を持つべき部類の仕事だと思われるのだが、なぜ指示せず交渉も
却下したのかは分からない。
だが主君の怒りを恐れない信君の優しさに、家中の士卒のみならず河内衆みなが感激した。

武田滅亡時、これら河内衆は武田庶家までほとんどが穴山信君に従って徳川に寝返ることになる。




396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 00:27:23 ID:d7FKAjzh
長篠だと、
「信君はお味方危うしと見るや、敵に背中を見せて一目散に逃走。武田逍遙軒と信豊も続き、ついに潰走が始まった」
というような認識が一般的だけど、実はこのあたりの記述は、例の甲陽軍鑑にしかないんだよね。

指揮下にあった武田の庶家衆まで討ち死にしているってことは、本当は奮戦したのかも知れない。

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 00:45:35 ID:L4DoOPR4
一門衆は後備えだから単に早く戦場から離脱できただけだろうな

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 01:06:27 ID:V3+RI8MR
酒井忠次の別動隊が長篠城を包囲していた部隊を壊滅させてたから
退路を断たれて全滅もありえた

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 01:07:21 ID:NWqfuSSQ
調べたら、市ノ瀬氏は馬場氏と同族で甲斐源氏。
下部氏は秋山氏や三枝氏と同族で甲斐源氏。
下村氏は井出氏と、穴山氏は丹沢氏と(ry


甲斐情勢は複雑怪奇なり

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 01:09:39 ID:gF9EBSbi
なぜ
「甲州情勢は複雑怪奇なり」
と言わない・・・と思ったら、甲斐と「怪」奇をかけているのか

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 01:11:58 ID:NWqfuSSQ
利口な奴は考えすぎるということだ(キリッ

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 01:12:14 ID:G+XKskO8
信長公記の記述だと武田逍遙軒も先陣として突撃している。
本来は脇備か後備を勤めてるはずの部隊も前面に出し兵力差を補ったんだろう。
そこから推測できる状況としては
予備兵力を前面に出してしまったことから酒井の片翼包囲に対応できず前に進むしかなく
精鋭たる本来の先手である山縣隊らとは錬度士気とも劣る親族部隊が
数時間の激闘に耐えられず、最初に敗走したって事だろう

軍鑑は本来軍事テキストで無理にでも理屈の通った敗因を作る傾向があり
穴山以外はその後も重用されてるから軍鑑の長篠の記述は鵜呑みには出来ないな

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 01:36:16 ID:M4yaFFC1
なんでもそうだけど説明しようとすると勝った方の意図通りになったから勝利を得たってなりがちだよね
(結果論で語る解説者とか)
軍記ものとか兵法書とか戦場の霧を無視してること大石

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 08:25:25 ID:JyqEQqUU
最初の予定と大分違ったけど勝っちゃったって事がそれほど多いかな?

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 10:07:59 ID:zeoTJXYH
古今東西、最初の予定通りに勝ちました、なんて戦争の方がよっぽど少ないよ
だからこそ参謀組織が発達していくんだから

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 10:22:48 ID:SIiAnx3i
>>397
典厩は違うだろ。

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 10:49:38 ID:ywZFe45s
ヤケクソで突撃かましたら敵総大将を殺っちまったZE!
ってのはあるのかね?

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 10:51:15 ID:SIiAnx3i
>>407
桶狭間www

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 11:23:54 ID:4a70b2O8
>>405
情報収集と的確な分析というのは強調されるけど、近代戦ですら「戦場で手に入る情報で確実なものはない。
全く正反対の噂が飛び交っていたりするから」
と言われてるくらいだしね

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 11:37:44 ID:tsfrYBQq
>>407
中国だと昆陽の戦いがややそれっぽい。
公称百万(実数は多説あり)相手に一万弱で籠城。
もちろんそのままじゃ落ちるだけなんで援軍呼んで挟撃するために13騎が夜間脱出。
劉秀は兄が反乱軍指導者の政敵のため、疎まれてか足止めのため周囲の地域から募兵後ゲリラ戦展開。

そこで本来文官で傍流皇族の劉秀が、うっかり雷雨の日に敵宰相を殺してしまってさぁ大変。
敵は虎の子の精兵が一気に瓦解するわ、従軍してた対異民族戦での歴戦の名将が散り散りに逃げて
分断された地域に逃げ込むわ。
味方は劉秀の兄の発言力が強くなりすぎて兄が粛清されるわ、そのごたごたで洛陽奪取を赤眉に先越されるわ。
予想外過ぎて敵も味方も大混乱に陥れてしまった。

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 12:09:29 ID:iI+QVGP9
宮城谷の今連載してるやつがちょうどそのあたりやってたような

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 12:35:48 ID:iz8X6d5W
また、完璧超人って感じ?

413 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/11/21(日) 12:57:53 ID:zu2BFfRz
そーなのかー

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 13:09:13 ID:iI+QVGP9
完璧超人であるということが、たれの辜であると言えるのか

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 13:44:36 ID:XJeSkVtC
>>399
みんなみんな♪親戚なんだ♪甲斐源氏な~ん~だ~~♪

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/21(日) 16:10:54 ID:saAd/65U
ヤケクソで突撃?
こ、これは焼き味噌じゃ!!
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

    後の石川数正みたく、隆興勢力の徳川と交渉したら梅雪さんが調略されてしまうと恐れたのかしらね。
    それにしても弔いもちゃんとしてやらなかったら在地の国人衆に不満ばかり溜まっていって武田瓦解を早めるだけな気もする。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    穴山さんと言うと、徳川に寝返った為か?余り評価が高くない資料もあるけど、こう言う人間臭い逸話が有ると嬉しくなります。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    でもあの寒い時代に紙の着物着るのだけはないと思うw

  4. 人間七七四年 | URL | -

    これは穴山さん側の文書の逸話かな。
    ただ「特に戦場に近い河内」ってのは、どうみても嘘だ
    河内は武田領内では長篠から一番遠い部類。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    領内じゃなくて戦場で一番最前線に近かったから
    とかそういう意味じゃないかな?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    許可を得ようが得まいが、武田家中で徳川と交渉ルートがあるのは
    今川時代から対駿河方面の外交一手に引き受けてた穴山だけだからなあ
    あの長篠の直後、勝頼の家督継承を一番苦々しく思ってていい親族衆筆頭が
    徳川と金品持って交渉するのは、怪しまれて当然な気もする

  7. 人間七七四年 | URL | -

    まああれだ穴山家は断絶したから文句を言う者が誰も居ないので悪者にし易いという事。武田征伐時に生き残った中で一番の大物だったし。

    後河内地方は身延辺りなので駿府-藁科街道-下泉-秋葉神社-秋葉街道-佐久間と行けば武田領を通って諏訪を回るより長篠に近いよ。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    穴山さんは最期がちょっとアレだったのも後世の評価を落としている一因だと思う。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    徳川と戦ってるわけだから、最前線……という意味では?

  10. 人間七七四年 | URL | aNn4.8kc

    寒いからこそ紙を着るんだよ
    登山とか、ホームレスとか、紙は濡れないかぎり最高の断熱材

  11. 人間七七四年 | URL | -

    紙子は風を通さず軽くて丈夫だった。平安中期紙が安価になって以来広まり親鸞とか性空も愛用している。絹や木綿より安かったのも事実だが、季語が冬であることから考えても暖かい防寒具であることが想像できる。また”飯粒で紙子の破れふたぎけり/蕪村”のように飯粒で修理できるというのは冗談としても、柿渋を複数回引いてあるので濡れてもこれが水を弾き直ぐボロボロにはなりはしない。美濃紙が多く使われたようだ。


  12. 人間七七四年 | URL | -

    ほう。紙子はそんな優れ物だったのか

  13. 人間七七四年 | URL | -

    正直言えば長篠は武田の圧倒的劣勢を互角まで持ち込んだ勝頼の戦術はもっと評価されるべきだと思う。
    まぁ、その天才的戦術によって勝頼は苦しむわけだが・・・・。

    そうは言っても長篠で敗北したのは事実だし、
    本来ならばここでもう一手あれば武田家も頑張れたのは事実。

    でその一手とは何かと言えば親族の名誉の戦死。
    川中島でほうほうの体で逃げ出した信玄だけど実弟・信繁が戦死したことによって、
    その後の武田家は立ち直ってる。

    長篠でも信君が死んでいれば武田家は団結できたし、
    その場合、勝頼の近代大名志向が進められれば歴史は大きく変わったと思う。
    そういう意味では信君は佞姦と言われても仕方が無いと思う。

    ココで言えば水戸黄門みたいな立ち位置だし。
    (勝頼の動きの制約を理解した上で妨害しかしていない)

  14. 人間七七四年 | URL | -

    >>13
    >圧倒的劣勢を互角まで持ち込んだ
    >天才的戦術
    意味不明。何を言ってるんだか分からん。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    13は何の根拠を持って話しているんだ?妄想と現実を区別してくれよ、頼むから。

    後、信君が死んでいればって、どうして信君限定で言ってるの?
    他の親族はどこに行ったんだ?しかも、死ななければ立ち直る事も出来ない家なんて、最初からデカくはなれないんだよ!妄想は他所でやってくれw

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