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室鳩巣先生、武田信繁を熱く語る

2010年11月24日 00:00

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 12:58:42 ID:1C21UKU1
武田家の話に便乗してこんなのを投稿してみる

江戸中期の儒学者で、徳川吉宗の享保の改革にも参画した室鳩巣による、テンションの高い
武田信繁評がある。
どうもこれが武田信繁再評価の走りだったらしい。
それを抜粋してみよう。


『足利時代の末期、天文、永禄の頃で、真に『賢明』と呼ぶべき人は、甲州武田信玄の弟、
左典厩武田信繁なのである!!!

なのに近頃の世間ときたら武功のことばかり尚んで、徳行というものとに関心を示さないから
信玄の名は高く知られているのに、信繁の賢明さは兄の名前に隠れて世の中に知る人すらいない!
今わしが彼について書き表さねば、一体誰がこれを言い出すというのか!!

そもそも信玄は父信虎と不和で、群臣何れも信玄が武芸に長じているのを見て信虎を捨て
何のかんのあって信虎を追放した。

信虎は信繁を愛しており信玄を廃して信繁を家督に立てようとしたこと、これは信玄も含めて
皆知っていることだった。
そんな彼は間違い無く信玄から憎まれ、警戒されており、にもかかわらす国に残って信玄に仕えるとは、
自ら危難の場に身を置いたと言うことなのである。

武田信玄という人は父親を追い出すような人間であり、肉親への友愛の気持ちなど欠片も持っていない。
そうであるのに信繁が信玄に仕えて、兄弟の間に摩擦があったという話を聞いたことがない。

昔後漢の東海王強は光武帝の太子であったが廃され、光武帝に母が寵愛されたことにより新たに立太子された
明帝に仕え名臣として全うしたがそれは、そもそも明帝が考友厚い性格を持っていた事が大きいのであって、
信繁はそれとは違い、あの残忍至極な兄に仕えたのである。

それでも日々国家の重責を任され、人臣の節を失うこと無く、あの信玄から常に信任され、嫌疑を受けることもなく
最後まで兄弟一体のようであった。これは信繁の忠信、誠実さが信玄を始めとした武田家の人々を
感化したのでなければ、どうしてこうなるだろうか!?

(このあと長々と川中島での討ち死にを讃えたり普段の言動を誉めそやしているが略)

仮に信玄に社稷をおもんばかる心があって、早いうちにこの信繁を世子として立て、監国の任を
任せておけば、甲州武田家は長く滅ぼされることはなかっただろう。
それなのに昏昧剛腹の武田勝頼に跡を継がせたばかりに、信玄が死んで程なく織田氏のために滅ぼされた。
何と嘆かわしいことだろうか。』


以上、室鳩巣先生、武田信繁を熱く語る。




727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/23(火) 13:07:07 ID:WJzUmZ63
>>725
何というか
すごく儒者っぽいですw
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    やっぱり勝頼disられてんのな。

    信玄が全部悪い。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    何と言うか、信繁万歳過ぎて逆に引きますねw
    信繁を褒め称えたいから、他の人を悪くしている風にしか見えないお話です。
    ただ、それだけ評価の高い方だった、とも言える話かもしれませんねw

  3. 人間七七四年 | URL | -

    繁つながりで富田長繁についても熱く語ってみていただきたい

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >3
    多分8割方「DQN・ヒャッハー」関連だと思われwww

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    主君がアレでも臣下は忠誠尽くせ、現にこんな素晴らしい人がいるのだ
    儒学テンプレです

  6. 人間七七四年 | URL | -

    名前に鳩が入ってたり友愛がどうのと言ったり
    誰かを思い出すな

  7. 人間七七四年 | URL | -

    典型的な中二歴ヲタ行動でしょこれ。

    「俺だけが知っている隠れた名将!
    世間は評価しない。みんな知らない。
    でも、ちょっと詳しい俺さまだけは高評価してあげる。
    お前らなんでわからないかなぁ。
     残念だなぁ、お前らが。
     え?歴史に詳しいねって?いやそれがしはそんなそんな」

  8. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

     儒者ってどうも、自分の価値基準にあう人は過剰に持ち上げて、かわりにそこから外れてる周囲の人をディスるねえ。後世の人間が読むと礼儀とか孝行とかいうわりに儒者自身の礼儀がなってないと感じてしまうw

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    臣下としてもさることながら、跡継ぎ有力候補なのに兄をたて続けるところが長幼の礼を重んじる儒者としても壺なんじゃないでしょうか。優秀な弟というのは他家ではだいたい跡目争いしてますから…

    ※7
    「次は俺に木曽義仲のことを語らせろ」と芭蕉翁がおっしゃっていますw

  10. 人間七七四年 | URL | -

    まあ儒教的には本当は道に外れた主君は諫言して戻さなきゃいけないんだけれどね。

    光武帝のくだりは、郭皇后失脚->陰皇后立后->この間2年->劉彊皇太子辞退->劉荘(明帝、劉秀4子、母は陰皇后)立太子の順。陰皇后は劉秀曰く”仕官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華”の人で名皇后として有名な人なので、どちらかといえば我儘だった郭皇后(結婚した時実家の勢力の方が強かった)の失脚に巻き込まれたという方が正しい。劉彊自身は嫌われていたわけでなく皇太子辞退後も光武帝にも厚遇されている。
    まあ例えるなら築山殿から西郷局に逃げた家康みたいな感じ。

  11. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | qbIq4rIg

    儒者は枕に腐れが付くなり。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    李舜臣の小説十八史略の中に
    西漢宣亭の時代に儒者が、
    「昔は骨つきの肉は必ず左に、切り肉は必ず右に置いたものです。ところが、いまの配膳法はその秩序を失っております。なにとぞ古法を復活しとう存じます。」
    と上奏して皇帝に鼻で笑われて
    「それでは、もっと昔に戻そうではないか。太古、人間は手づかみで物を食べておったという。どうじゃな、宮廷の宴会でも、皿や箸をやめにしては。」
    と返答されたいうものだった。

    新の王奔が儒教の思想に基づいて高句麗王を下句麗侯に変えさせたなんて馬鹿馬鹿しい話もあった。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    最後にひどくディスられる四郎さんが憐れ。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    そりゃ光武帝あたりと比較されたら、信玄親子なんて
    ただの畜生になっちゃうわな

    郭聖通が立后された頃は、彼女の実家の後ろ盾が弱くなった後だし
    廃后されたあとも子供を生んだりしてるので、一概にテンプレ悪女とも言い切れないあたり
    奥深いわな

  15. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    ※12
    いまさらだけど、李舜臣じゃなくて陳舜臣だよね

  16. 人間七七四年 | URL | -

    たしかに肉親に対する情愛は欠片もないよね
    妹婿を騙し討ち、父親は追放。嫡男は幽閉して後に自害。義元亡きあとは甥である氏真の今川領に侵攻。北条家に嫁いでいた黄梅院は泣く泣く氏政と別れた後に心労で死去。なんてことだw

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