422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 22:52:39 ID:SsqYAh33
那須家の分裂(1)
小田倉の戦い(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4685.html)は大関高増の活躍によって那須・佐竹の
勝利に終わったが、
那須家当主資胤の高増への拭い難い不審感を生んだ。
また、他の那須七党たち(一部除く)も高増を恨んで福原弾正左衛門資郡(資胤の弟)の戦功ばかりを言い立てたため、
高増は怒って出仕を止めてしまった。
これを好機と捉えた資胤は、高増の家人松本美作守を密かに呼び出し、高増を誅殺するよう命じた。
仕方なく了承した松本だが、黒羽城に帰ると当然高増に打ち明ける。
「罪もなく殺されるのは納得いかないだろ^^;」
と、高増は逆心し、佐竹義昭に助けを求めた。
義昭の次男義宗を那須家の当主として迎えるという約束のもと、佐竹家重臣東左近将監政義率いる
宇都宮・大関合わせて三千余騎が烏山西方二十余町に布陣、
それに対し那須側は資胤兄弟をはじめとする一千二百余騎で迎え撃った。
数に劣る那須家であったが、千本秋縄斎・蘆野意教斎・秋元越前守らの奮戦により宇都宮・大関勢を押し込め、
那須勢を大軍と見誤った政義は降伏して常陸へ逃げ帰った。
(義政が那須勢を大軍と見誤ったのは那須八幡大菩薩が那須家を守護するために霊験を現わしたのだと
人々は噂した)
その後那須勢は高増の籠る黒羽城に攻め寄せたが、高増の指揮のもと城兵が奮戦し、さらに高増の弟
大田原綱清が高増救援に駆け付けたため、那須勢は囲みを解いて撤退した。
那須家の分裂(2)
423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 22:55:07 ID:SsqYAh33
那須家の分裂(2)
先の戦いの翌年、大関側の要請によって佐竹義重の陣代長倉遠江守当は茂竹左馬介・川井甲斐守・助川周防守ら
常州兵を率いて烏山東方三十余町のところに出陣した。
佐竹勢は川を前に陣取っていたが、那須の者たちにとってはよく知る川、難無く渡り佐竹・大関の間に割って入った。
那須勢は重代の家臣から野伏・一揆衆まで命を捨てて動き回ったので佐竹勢は壊乱し逃げ出した。
この時大関勢は「地元だけど在所から遠いから地形がわからない。長倉殿は攻めの案内者なのだから
殿よろしく^^」といって先に引いてしまった。
これを見た資胤は
「大関の連中は元々那須家の家来、最後には降参してくる。そのまま逃がしてやれ。常州の連中は
一人も打ち漏らすな!」
と息もつがず攻め続けたので、佐竹勢の大半は討死、長倉も負傷して引いた。
大河井の流れは四・五日も血に染まり、紅の楯を並べたように見えたという。
那須家の内乱は永禄六年(1563年)より足掛け6ヵ年も続き、討死・負傷した者は数を知れない。
永禄十一年(1568年)、金剛寿院の住職尊瑜法印が仲介に入り、和議が成った。
資胤の嫡男資晴が使者として黒羽城に入り、高増もこれ以上主家に弓を引くわけにはいくまいと、
正式に和睦を結んだ。
ここに周辺勢力を巻き込んだ那須家の内乱は一応終結した。
424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 23:15:49 ID:hXEvT0hD
烏山中心に守りに入った那須家のしぶとさは異常
425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 23:40:38 ID:JElKcTQC
政治的に失脚したと思ったら復活するのが大田原党
この後も何事も無く重臣
426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 00:36:25 ID:qkQrjqxi
北関東の戦いはいつも相手の止めを刺さないで政治決着で終わるな
427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 00:53:26 ID:gWIIiGjx
>>426
洞中社会というのはそういうものだからな。
逆に言えばそういう社会の中で近隣をガンガン潰し回った政宗がどれだけ
異常な存在だったかと言うこともw
428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 01:00:32 ID:c+m7gPcR
政宗はフナとかコイしかいない池に放たれたブラックバス
429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 09:20:36 ID:UGRJdrcA
ドロリとした独特な味のドラマが生まれやすいので嫌いではないよ、洞の中の大名たちの逸話。
430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 09:24:32 ID:DEOvGZBc
那須の当主は戦上手いの揃ってるしなぁ。
策謀上手いの揃ってる一族も抱えてるが…むしろ抱えられてるのか?
431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 21:34:53 ID:+uZPg+Gn
千本や伊王野は思っただろうな
「あの時滅ぼしておけば良かった」と
関連
高増暗躍
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5377.html
那須家の分裂(1)
小田倉の戦い(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4685.html)は大関高増の活躍によって那須・佐竹の
勝利に終わったが、
那須家当主資胤の高増への拭い難い不審感を生んだ。
また、他の那須七党たち(一部除く)も高増を恨んで福原弾正左衛門資郡(資胤の弟)の戦功ばかりを言い立てたため、
高増は怒って出仕を止めてしまった。
これを好機と捉えた資胤は、高増の家人松本美作守を密かに呼び出し、高増を誅殺するよう命じた。
仕方なく了承した松本だが、黒羽城に帰ると当然高増に打ち明ける。
「罪もなく殺されるのは納得いかないだろ^^;」
と、高増は逆心し、佐竹義昭に助けを求めた。
義昭の次男義宗を那須家の当主として迎えるという約束のもと、佐竹家重臣東左近将監政義率いる
宇都宮・大関合わせて三千余騎が烏山西方二十余町に布陣、
それに対し那須側は資胤兄弟をはじめとする一千二百余騎で迎え撃った。
数に劣る那須家であったが、千本秋縄斎・蘆野意教斎・秋元越前守らの奮戦により宇都宮・大関勢を押し込め、
那須勢を大軍と見誤った政義は降伏して常陸へ逃げ帰った。
(義政が那須勢を大軍と見誤ったのは那須八幡大菩薩が那須家を守護するために霊験を現わしたのだと
人々は噂した)
その後那須勢は高増の籠る黒羽城に攻め寄せたが、高増の指揮のもと城兵が奮戦し、さらに高増の弟
大田原綱清が高増救援に駆け付けたため、那須勢は囲みを解いて撤退した。
那須家の分裂(2)
423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 22:55:07 ID:SsqYAh33
那須家の分裂(2)
先の戦いの翌年、大関側の要請によって佐竹義重の陣代長倉遠江守当は茂竹左馬介・川井甲斐守・助川周防守ら
常州兵を率いて烏山東方三十余町のところに出陣した。
佐竹勢は川を前に陣取っていたが、那須の者たちにとってはよく知る川、難無く渡り佐竹・大関の間に割って入った。
那須勢は重代の家臣から野伏・一揆衆まで命を捨てて動き回ったので佐竹勢は壊乱し逃げ出した。
この時大関勢は「地元だけど在所から遠いから地形がわからない。長倉殿は攻めの案内者なのだから
殿よろしく^^」といって先に引いてしまった。
これを見た資胤は
「大関の連中は元々那須家の家来、最後には降参してくる。そのまま逃がしてやれ。常州の連中は
一人も打ち漏らすな!」
と息もつがず攻め続けたので、佐竹勢の大半は討死、長倉も負傷して引いた。
大河井の流れは四・五日も血に染まり、紅の楯を並べたように見えたという。
那須家の内乱は永禄六年(1563年)より足掛け6ヵ年も続き、討死・負傷した者は数を知れない。
永禄十一年(1568年)、金剛寿院の住職尊瑜法印が仲介に入り、和議が成った。
資胤の嫡男資晴が使者として黒羽城に入り、高増もこれ以上主家に弓を引くわけにはいくまいと、
正式に和睦を結んだ。
ここに周辺勢力を巻き込んだ那須家の内乱は一応終結した。
424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 23:15:49 ID:hXEvT0hD
烏山中心に守りに入った那須家のしぶとさは異常
425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 23:40:38 ID:JElKcTQC
政治的に失脚したと思ったら復活するのが大田原党
この後も何事も無く重臣
426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 00:36:25 ID:qkQrjqxi
北関東の戦いはいつも相手の止めを刺さないで政治決着で終わるな
427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 00:53:26 ID:gWIIiGjx
>>426
洞中社会というのはそういうものだからな。
逆に言えばそういう社会の中で近隣をガンガン潰し回った政宗がどれだけ
異常な存在だったかと言うこともw
428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 01:00:32 ID:c+m7gPcR
政宗はフナとかコイしかいない池に放たれたブラックバス
429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 09:20:36 ID:UGRJdrcA
ドロリとした独特な味のドラマが生まれやすいので嫌いではないよ、洞の中の大名たちの逸話。
430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 09:24:32 ID:DEOvGZBc
那須の当主は戦上手いの揃ってるしなぁ。
策謀上手いの揃ってる一族も抱えてるが…むしろ抱えられてるのか?
431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/17(月) 21:34:53 ID:+uZPg+Gn
千本や伊王野は思っただろうな
「あの時滅ぼしておけば良かった」と
関連
高増暗躍
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5377.html
スポンサーサイト
コメント
人間七七四年 | URL | -
なんだこのサイト
最高じゃないか
毎日きてやる
( 2011年01月18日 00:35 )
人間七七四年 | URL | -
毎日来るなら、
まずは那須御本家の了承を得てください。
O’zekiたかます
( 2011年01月18日 02:01 )
人間七七四年 | URL | -
色々有ったけど、結局元の鞘に収まりましたって事が出来る、当時の環境とか考えって凄いですよね。しかも、相手があの大関高増w
やっぱり、戦国の時代は神経太く無いと生きていけないわw
( 2011年01月18日 12:02 )
人間七七四年 | URL | -
ここで息の根を止めておけば、後々あんなことにはならなかったのに・・・
( 2011年01月18日 12:28 )
人間七七四年 | URL | IY7bLZJE
>>428
まーくんがブラックバスなら、甲斐と越後の方々はアリゲーターガーかも
( 2011年01月18日 13:10 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
大関は汚い!本当に汚い…とならない高増さんの逸話とはビックリ!
( 2011年01月18日 13:39 )
人間七七四年 | URL | -
米4
大田原一族は家中の癌でもあり、同時に大黒柱でもあるからね…
粛清→更なる混乱で佐竹か北条の餌食になるのが関の山だと思う
( 2011年01月18日 14:20 )
人間七七四年 | URL | -
>>5
津軽の髭はブルーギルで大田原一族は
さし詰め、寄生中みたいなもんかね?
( 2011年01月18日 15:49 )
人間七七四年 | URL | -
O関・O田原「僕達主家に仇なす者を成敗しただけなのに…」
( 2011年01月18日 18:13 )
人間七七四年 | URL | -
大関殿は誠に権臣の鑑でありますなあww
( 2011年01月18日 18:43 )
人間七七四年 | URL | -
高増「逆恨みで謀殺されそうになったんだから、余所の家乗っ取るぐらい正当防衛ですよね^^」
( 2011年01月18日 23:07 )
人間七七四年 | URL | -
逆恨みで謀殺されそうになったんだから、余所の家乗っ取るぐらい正当防衛ですよね^^
( 2011年01月18日 23:08 )
人間七七四年 | URL | -
高増「大事なことなので二回言いました」
( 2011年01月18日 23:59 )
人間七七四年 | URL | -
安心と信頼の大関クオリティー
( 2011年01月19日 01:24 )
人間七七四年 | URL | -
那須・佐竹以下、大関の被害者一同(信頼だと・・・!?)
( 2011年01月19日 01:46 )
人間七七四年 | URL | -
裏切り者の名を受けて♪
那須家を捨てて闘う武将
( 2011年01月19日 08:46 )
人間七七四年 | URL | -
>米16
不覚にも受けたw
( 2011年01月19日 16:27 )
人間七七四年 | URL | -
高増「主君を弑してないから恥ずかしくないもん!」
( 2011年01月24日 10:09 )
人間七七四年 | URL | -
(なんという男だ)
( 2011年01月24日 14:26 )
コメントの投稿