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成田甲斐姫、真書太閤記より

2011年01月27日 00:00

甲斐姫   
535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 14:51:44 ID:hfRjro5C
成田甲斐姫の活躍については
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-451.html
をみてくれい。

ともかく、甲斐姫は秀吉の側室となり、成田家は下野烏山に移封となった。
しかしそれについて真書太閤記には

『ひとりの妖女、一、二寝の間に三万石の地を進退す。
秀吉薨じて墳土乾かざるに、たちまちにして乱起これども、重恩の諸将これに死をいたすものなきゆえん』
とある。

つまり豊臣恩顧の諸将が「やってらんねーぜ」と、見切りをつけてしまったというのだ。
1行目-2行目のつながりが強引過ぎるとおもうが、真書太閤記の作者栗原柳庵は不快に思ったらしい。

あ、この本江戸後期のものか。




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    江戸のファッション武士道価値観からは、
    許されないことだったんでしょ。

  2. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

    江戸後期の閨閥政治を批判する為に書いたのかも
    直接批判すると捕まっちゃうから、他の事例に託して幕府を批判するとかよく有ったらしいから

  3. 人間七七四年 | URL | j7kPgX2Q

    江戸時代などの戦国が終わった後の時代の価値観から戦国を見てはならないと思うのは私だけ?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    それは現代の価値観だな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    現場の叩き上げからしたら女を送って数万石ってのは許しがたいわな。
    秀吉自身が最強の叩き上げなんだけど…

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