三成の発見者の、その後

2011年02月05日 00:00

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/04(金) 02:25:05 ID:J/np1n0Y
関ヶ原の決戦の後、逃亡した石田三成を発見したのは、田中吉政家中、
田中傳左衛門であった。

さて、「三成捕らわる」の報に、徳川家康は村越茂助を派遣する。村越は田中吉政

「三成を生け捕ったのは何者であるのか?内府様は御目見え致したいとおっしゃっておられる」

と伝えた。ところが吉政これに

「いえいえ、名もない者であり、その様なお心遣いは無用であります」

と断った。

ところがこの傳左衛門、名もないどころではない。
彼はかつて秀吉に仕えその後関白秀次の元で千石の足軽大将まで務めた、
堂々たる武士であった。

ところが秀次による千石堀普請の時、その工事内容がよくないと秀次の御意に触り、
牢人することとなった。

そこを田中吉政が引き取り家来のように使ったのだが、同時に傳左衛門は
豊臣家直参への復帰を強く望んでおり、折を見て秀吉などに許しを求め運動していた。
そのため家臣のように扱われているとは言え、吉政から領地を頂くようなことをせず、
合力米をその働きの対価として受け取っていた。

そのようであったため、田中吉政はこの時、もし傳左衛門を御目見えさせれば
直参に戻り自分の家中から出ていってしまうと思い、そうさせないために村越にそんな事を
言ったのだ、という。

後になってことことを知った傳左衛門は田中家を立退き、近江においてその生涯を終えた。
享年、62歳と伝わる。


三成の発見者の、その後に付いての話である。




628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/04(金) 03:22:31 ID:KnEpZaAX
>>624
この人はせこい逸話ばかりだな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    田中吉政、有能な人物だろうとは思うけど上司には絶対したくない。
    こいつの小賢しさのせいで実力ほど出世できなかった人多いんじゃないか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    正直に言えばいいのにね。
    家中に貴殿が必要だ、と。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    なんで田中吉政って男はこうケチが付くんだろう?
    政も城下町の建設も定評が有るのに、度量が小さい。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    三成捕まえたのは都合が悪いから隠した良い話…かと思っちまった

  5. 人間七七四年 | URL | -

    長続きしなかったのもなるべくしてなったのかと思ってしまうな
    そのおかげで宗茂が戻って来れたんだが

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