416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/19(土) 21:06:22.92 ID:Y8uPdnvQ
いつも武田一族&甲斐マイナー名家のことばっか書いている者です。今日は割とメジャー行きます。
一条信龍シリーズ前編
信龍さんの鬼瓦
武田家というのは言うまでも無く武功でナンボの家であるが、知名度もまんま武功の多寡による感がある。
一族重臣であっても、外交情勢と配置役柄によっては、空気のような人もいるのである。今回は、その一人のお話。
晴信の異母弟に信龍という者がいた。
折しも中央集権化のための武田姓召し上げ&信虎が切りまくった名跡の回復のため、一条家の家跡を継がせた。
親族衆として騎馬200騎、市川上野城を領し、本願寺及び松永久秀等畿内勢力との外交を担当した。
甲陽軍艦では山県、内藤ら七人の重鎮の一人として描かれ、山県昌景が「一条殿は、伊達男にして
花麗を好む性質であるが、
馬鞍武具等、これほど忙しくともいつも新しく、しかも諸国の良い浪人を集めている」と賞している逸話も残る。
さて、この信龍が拝領した頃の市川上野城(上野椿城とは別)というのは、城というよりは砦であった。
かつて福島正成の乱入時には、勝山城ともに武田一族が籠もり、激戦の舞台となった甲斐南部の要衝であった。
当時今川との関係は落ち着いていたが、晴信はこの期にと思ったのであろうか、
信龍を城主に命じ、大規模な増改築をさせたのである。
ところがこの信龍さん、先ほども言ったように、近隣領主はお下がりの武具で装備が揃ってしまうという、
無茶苦茶な傾き者である。
普通に立派な城を作っただけでは満足しなかった。しかし戦闘用の山城である。他に飾りようもない……と思いきや、
あったのである。
「鬼瓦作ろうぜ!!! 黄金張りの馬鹿でっかい奴!!!!!」
左右の者が止めるが、聞かない。さらには、自分で名産地に向い、鬼瓦を作らせ始めてしまった。
費用の半分を申しつけられた近隣領主は、あまりの巨額さに晴信に泣きついた。
晴信は信龍を呼び出し、こっぴどく叱った上で、「中くらいで黄金を貼らないなら良い」として、つまり
普通の鬼瓦を作らせた。
信龍は非常に残念がり、自腹を切る予定だった総費用の半分を、迷惑料としてか周りに配ったという。
「金の大鬼瓦が守ってくれない城だから、この金で各自怠りなく戦に備えよ」ということだろうか。
安土城の金のしゃちほこは有名だが、戦闘用の山城に金の大鬼瓦を取り付けようとした男のお話。
傾き者で猛将で信玄の弟とか、こんなキャラ立ってるのになんで今ひとつマイナーなのか……。
417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/19(土) 22:31:42.53 ID:j95q+rA2
上沼恵美子より前に、金の鬼瓦を作ろうとした人がいたとは知らなかった
418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/19(土) 23:23:26.00 ID:iIPOmc8A
>「中くらいで黄金を貼らないなら良い」
お兄ちゃん意外と優しくてワロタwww
419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/19(土) 23:54:44.84 ID:2Q+vUFkp
確かにw
420 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/20(日) 00:12:08.93 ID:e1ctvNHX
質問なんだが、「中央集権化のための武田姓召し上げ」ってこの頃そこかしこに
武田氏がいっぱい居たって事?
421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:21:23.67 ID:FiDCeB1I
>>420
同じ一族でも武田の苗字を宗家のみに限定するってこと。今川が始めた「天下一苗字」って政策。
422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:28:09.57 ID:M43pGW8I
>>421
氏真の次男が品川さんを名乗ったあれか。
423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:38:11.42 ID:5KcQmPYs
>>416
俺だっていっぱい書いてるぞ!
武田マイナー武将を書く人も無しとの言動、許せぬ!
>>420
いっぱいいた。やたらいた。ちょっと補足。
武田一族は400年以上甲斐に君臨(逸見のみ例外、ただし逸見も広く見れば武田一族)し、
それこそ武田をルーツにする家は掃いて捨てるほどあった。
彼らはたいていは別の苗字を名乗っていたが、
(俺らが「新宿のおばさん」「甲府のおじさん」とか言うような感じで自然発生)、
時と場合によっては「武田」を使うこともあった。「源」ほど本式ではないけど。
事実、神格化されるほどの晴信であっても、勝沼信元(信虎の弟)や嫡子義信などに
乗っ取られそうになったこともある。武田家ではこれがデフォ。
信玄後期の武田一族衆が両手で余るほど少ないのは、甲陽軍艦を読んでもらえば分かると思う。
これは武田姓を名乗るのに免許制にしたからだけど、徹底して信玄の卑属ばかりで、尊属はゼロ。
武田姓が免許されると、例えば穴山信君が外交文書で武田左衛門(字が若干違うかも)と名乗ったように、
公式の場で武田姓を名乗ることが出来る。逆に、それまでバリバリの武田姓だった家も名乗れなくなった。
中央集権化を徹底できなかったのが武田家滅亡の主な原因だという人も多いし、それは反対しないが、
全く逆に、曹操の魏みたいに一族衆を冷遇したことも、要因の一つと言えないこともない。今川も同じ。
424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:43:38.31 ID:VuEqA+Io
信玄の弟だけで8人いるし、
穴山、板垣、栗原、金丸、秋山とか支族も多いからな
みんな武田を名乗られたら蒲生一家もびっくりな状況になっちゃう
425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:50:18.56 ID:Z1lUETZU
>>423
養子政策で甲信の名家を武田一門に取り込みまくったもんな…
勝頼が正式に家督を継ぐことができなかったのもその辺の事情があるのか。
426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 01:24:47.45 ID:5KcQmPYs
武田菱こと四割菱も、菱の間の距離で血の近さを表していたクラスが花菱に変えられ、
花菱クラスがもっと変形した菱に変えられたりと、デフレというかデノミが行われた感じだよね。
>>423
あとごめん、やや誤解を招く書き方になってしまったので、自己レスだがさらに補足。
武田姓が免許されたのは、血縁よりも政治状況によると考えた方がいいっぽい。
婚姻や養子で見かけ上の血縁を濃くしただけの木曽や穴山が免許されている一方、
上の一条信龍は、信玄の弟でありながら後半生で一切武田を名乗った形跡がないし、
縁も遠く免許されていない駒井高白斎が外交文書や上書でも武田を名乗っていたり、
室住虎光(諸角虎定)みたいに近親で、活躍して願い出たのに免許されなかったり。
むしろ実際の血縁が近い方が、名乗っちゃ駄目というケースが多い希ガス。
実際の血筋が総領に近く、さらに名目上も武田を堂々と名乗られたら怖いということか。
427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 01:24:51.23 ID:guei7VHx
継いでるっちゅーの
428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 02:33:58.60 ID:M4yWXi8O
>>424
それを言えば、大友が断トツだね。
主要家臣は、ほとんど一族の庶流
429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 07:32:36.48 ID:jpEEnOlF
東北に比べたらまだマシな気がする
430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 09:13:49.36 ID:Gz9sJK3s
>>423
宗家が先祖(自称)の名に変えた家康は、発想の逆転だったのかしら。まあ、今川義元が足利を名乗ったり、
武田晴信が源を名乗るのは
いろいろと問題すぎたんだろうけど
431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 10:32:22.05 ID:RDeMMYHQ
近親者に武田を許さなかったのは旗頭として担ぎ出される危険を避けたからかね?
432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 14:13:49.96 ID:5KcQmPYs
>>430
武田晴信は普通に源を名乗ってるよ。だって源は姓じゃなくて氏だもの。同じく今川も源を名乗ってる。
>>431
たぶん。異姓の者は武田に戻って頭領になれない、っていう慣習を作りたかったんだと思う。
事実、俺が宗家に取って代わってやるという発言で家中にいられなくなった一族もいたし(名前失念)。
>>421が言ってて初めて知ったんだが、どうも今川からの輸入みたいだね。勉強になりました。
信虎時代はほとんど行われて無くて、晴信時代から始まった感じ。ただはっきり明文化された制度でもなさそう。
これが(これだけのせいじゃ無論ないが)勝頼につながっちゃうんだからジェットストリームスパイラルアチャーとしか言いようがない。
これは俺の勝手な武田史観なんだが、結局は信虎が進めつつあった中央集権化を、晴信が止めてしまった感はある。
中央集権化で噴出した豪族・領主達の不満を背景にクーデターを起こした以上、急速な中央集権化はできなくなった。
そして、彼らの意向に沿わなければ、一族を旗頭にクーデターを起こされても文句が言えない立場になってしまった。
結果として血の濃い一族は冷遇、危険な嫡子は廃嫡、勝頼は諏訪家へ、寄親寄子という折衷制度、武功派と側近の争い、
全てが中途半端になってしまった。それでも晴信が生きている頃は、そのカリスマと天才的なバランス感覚で持っていた。
しかし勝利を重ねて不満を和らげるという信虎と変わらない綱渡りと、不誠実な外交姿勢が常態化してしまったせいで、
勝頼の時代になると打った手がことごとく裏目に出ることになり、家中の統率は崩れるように失われていった。つまり、
,ィィr-- ..__、j
ル! { `ヽ, ∧
N { l ` ,、 i _|\/ ∨ ∨
ゝヽ _,,ィjjハ、 | \
`ニr‐tミ-rr‐tュ<≧rヘ > 武田家を滅ぼした張本人は
{___,リ ヽ二´ノ }ソ ∠ 信玄公その人だったんだよ!!
'、 `,-_-ュ u /| ∠
ヽ`┴ ' //l\ |/\∧ /
--─‐ァ'| `ニ--‐'´ / |`ー ..__ `´
く__レ1;';';';>、 / __ | ,=、 ___
「 ∧ 7;';';'| ヽ/ _,|‐、|」 |L..! {L..l ))
| |::.V;';';';'| /.:.|トl`´.! l _,,,l | _,,| , -,
! |:.:.:l;;';';';'|/.:.:.:||=|=; | | | | .l / 〃 ))
l |:.:.:.:l;';';'/.:.:.:.:| ! ヽ \!‐=:l/ `:lj 7
| |:.:.:.:.l;'/.:.:.:.:.:.! ヽ:::\:: ::::| ::l /
433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 14:26:52.35 ID:kgi5BjKU
つまり
信虎「ヒャッハー!権力を集めて近代化だー!!」
信玄「ヒャッハー!中途半端な状態だけど何とかしちまうぜー!!」
勝頼「……継いだ家がブラックでダメかもしれん」
ということか?
434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 15:11:29.72 ID:Gz9sJK3s
>>432
じゃあ、新羅信玄で
435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 15:36:30.27 ID:5KcQmPYs
>>433
信虎「ヒャッハー!仕方ないから戦争だー!!」
信玄「ヒャッハー!仕方ないから戦争だー!!」
勝頼「ヒャッハー!仕方ないから戦争だ―あああ!!」
>>434
新羅太郎晴信ってこと?
無茶がある。
けど、そもそも新羅三郎や八幡太郎や加茂次郎って、寺社の名前から取っているし、姓なのかな?
子に継承されたとも聞かないし。苗字・・・ではあるのか?エロくないので分からない。
437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 17:40:49.41 ID:Z1lUETZU
>>432
あと信玄時代は武田宗家の独自財源として金山開発が進んだのだけれど
勝頼時代には枯渇していたというのもあったな。
いつも武田一族&甲斐マイナー名家のことばっか書いている者です。今日は割とメジャー行きます。
一条信龍シリーズ前編
信龍さんの鬼瓦
武田家というのは言うまでも無く武功でナンボの家であるが、知名度もまんま武功の多寡による感がある。
一族重臣であっても、外交情勢と配置役柄によっては、空気のような人もいるのである。今回は、その一人のお話。
晴信の異母弟に信龍という者がいた。
折しも中央集権化のための武田姓召し上げ&信虎が切りまくった名跡の回復のため、一条家の家跡を継がせた。
親族衆として騎馬200騎、市川上野城を領し、本願寺及び松永久秀等畿内勢力との外交を担当した。
甲陽軍艦では山県、内藤ら七人の重鎮の一人として描かれ、山県昌景が「一条殿は、伊達男にして
花麗を好む性質であるが、
馬鞍武具等、これほど忙しくともいつも新しく、しかも諸国の良い浪人を集めている」と賞している逸話も残る。
さて、この信龍が拝領した頃の市川上野城(上野椿城とは別)というのは、城というよりは砦であった。
かつて福島正成の乱入時には、勝山城ともに武田一族が籠もり、激戦の舞台となった甲斐南部の要衝であった。
当時今川との関係は落ち着いていたが、晴信はこの期にと思ったのであろうか、
信龍を城主に命じ、大規模な増改築をさせたのである。
ところがこの信龍さん、先ほども言ったように、近隣領主はお下がりの武具で装備が揃ってしまうという、
無茶苦茶な傾き者である。
普通に立派な城を作っただけでは満足しなかった。しかし戦闘用の山城である。他に飾りようもない……と思いきや、
あったのである。
「鬼瓦作ろうぜ!!! 黄金張りの馬鹿でっかい奴!!!!!」
左右の者が止めるが、聞かない。さらには、自分で名産地に向い、鬼瓦を作らせ始めてしまった。
費用の半分を申しつけられた近隣領主は、あまりの巨額さに晴信に泣きついた。
晴信は信龍を呼び出し、こっぴどく叱った上で、「中くらいで黄金を貼らないなら良い」として、つまり
普通の鬼瓦を作らせた。
信龍は非常に残念がり、自腹を切る予定だった総費用の半分を、迷惑料としてか周りに配ったという。
「金の大鬼瓦が守ってくれない城だから、この金で各自怠りなく戦に備えよ」ということだろうか。
安土城の金のしゃちほこは有名だが、戦闘用の山城に金の大鬼瓦を取り付けようとした男のお話。
傾き者で猛将で信玄の弟とか、こんなキャラ立ってるのになんで今ひとつマイナーなのか……。
417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/19(土) 22:31:42.53 ID:j95q+rA2
上沼恵美子より前に、金の鬼瓦を作ろうとした人がいたとは知らなかった
418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/19(土) 23:23:26.00 ID:iIPOmc8A
>「中くらいで黄金を貼らないなら良い」
お兄ちゃん意外と優しくてワロタwww
419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/19(土) 23:54:44.84 ID:2Q+vUFkp
確かにw
420 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/20(日) 00:12:08.93 ID:e1ctvNHX
質問なんだが、「中央集権化のための武田姓召し上げ」ってこの頃そこかしこに
武田氏がいっぱい居たって事?
421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:21:23.67 ID:FiDCeB1I
>>420
同じ一族でも武田の苗字を宗家のみに限定するってこと。今川が始めた「天下一苗字」って政策。
422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:28:09.57 ID:M43pGW8I
>>421
氏真の次男が品川さんを名乗ったあれか。
423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:38:11.42 ID:5KcQmPYs
>>416
俺だっていっぱい書いてるぞ!
武田マイナー武将を書く人も無しとの言動、許せぬ!
>>420
いっぱいいた。やたらいた。ちょっと補足。
武田一族は400年以上甲斐に君臨(逸見のみ例外、ただし逸見も広く見れば武田一族)し、
それこそ武田をルーツにする家は掃いて捨てるほどあった。
彼らはたいていは別の苗字を名乗っていたが、
(俺らが「新宿のおばさん」「甲府のおじさん」とか言うような感じで自然発生)、
時と場合によっては「武田」を使うこともあった。「源」ほど本式ではないけど。
事実、神格化されるほどの晴信であっても、勝沼信元(信虎の弟)や嫡子義信などに
乗っ取られそうになったこともある。武田家ではこれがデフォ。
信玄後期の武田一族衆が両手で余るほど少ないのは、甲陽軍艦を読んでもらえば分かると思う。
これは武田姓を名乗るのに免許制にしたからだけど、徹底して信玄の卑属ばかりで、尊属はゼロ。
武田姓が免許されると、例えば穴山信君が外交文書で武田左衛門(字が若干違うかも)と名乗ったように、
公式の場で武田姓を名乗ることが出来る。逆に、それまでバリバリの武田姓だった家も名乗れなくなった。
中央集権化を徹底できなかったのが武田家滅亡の主な原因だという人も多いし、それは反対しないが、
全く逆に、曹操の魏みたいに一族衆を冷遇したことも、要因の一つと言えないこともない。今川も同じ。
424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:43:38.31 ID:VuEqA+Io
信玄の弟だけで8人いるし、
穴山、板垣、栗原、金丸、秋山とか支族も多いからな
みんな武田を名乗られたら蒲生一家もびっくりな状況になっちゃう
425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 00:50:18.56 ID:Z1lUETZU
>>423
養子政策で甲信の名家を武田一門に取り込みまくったもんな…
勝頼が正式に家督を継ぐことができなかったのもその辺の事情があるのか。
426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 01:24:47.45 ID:5KcQmPYs
武田菱こと四割菱も、菱の間の距離で血の近さを表していたクラスが花菱に変えられ、
花菱クラスがもっと変形した菱に変えられたりと、デフレというかデノミが行われた感じだよね。
>>423
あとごめん、やや誤解を招く書き方になってしまったので、自己レスだがさらに補足。
武田姓が免許されたのは、血縁よりも政治状況によると考えた方がいいっぽい。
婚姻や養子で見かけ上の血縁を濃くしただけの木曽や穴山が免許されている一方、
上の一条信龍は、信玄の弟でありながら後半生で一切武田を名乗った形跡がないし、
縁も遠く免許されていない駒井高白斎が外交文書や上書でも武田を名乗っていたり、
室住虎光(諸角虎定)みたいに近親で、活躍して願い出たのに免許されなかったり。
むしろ実際の血縁が近い方が、名乗っちゃ駄目というケースが多い希ガス。
実際の血筋が総領に近く、さらに名目上も武田を堂々と名乗られたら怖いということか。
427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 01:24:51.23 ID:guei7VHx
継いでるっちゅーの
428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 02:33:58.60 ID:M4yWXi8O
>>424
それを言えば、大友が断トツだね。
主要家臣は、ほとんど一族の庶流
429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 07:32:36.48 ID:jpEEnOlF
東北に比べたらまだマシな気がする
430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 09:13:49.36 ID:Gz9sJK3s
>>423
宗家が先祖(自称)の名に変えた家康は、発想の逆転だったのかしら。まあ、今川義元が足利を名乗ったり、
武田晴信が源を名乗るのは
いろいろと問題すぎたんだろうけど
431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 10:32:22.05 ID:RDeMMYHQ
近親者に武田を許さなかったのは旗頭として担ぎ出される危険を避けたからかね?
432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 14:13:49.96 ID:5KcQmPYs
>>430
武田晴信は普通に源を名乗ってるよ。だって源は姓じゃなくて氏だもの。同じく今川も源を名乗ってる。
>>431
たぶん。異姓の者は武田に戻って頭領になれない、っていう慣習を作りたかったんだと思う。
事実、俺が宗家に取って代わってやるという発言で家中にいられなくなった一族もいたし(名前失念)。
>>421が言ってて初めて知ったんだが、どうも今川からの輸入みたいだね。勉強になりました。
信虎時代はほとんど行われて無くて、晴信時代から始まった感じ。ただはっきり明文化された制度でもなさそう。
これが(これだけのせいじゃ無論ないが)勝頼につながっちゃうんだからジェットストリームスパイラルアチャーとしか言いようがない。
これは俺の勝手な武田史観なんだが、結局は信虎が進めつつあった中央集権化を、晴信が止めてしまった感はある。
中央集権化で噴出した豪族・領主達の不満を背景にクーデターを起こした以上、急速な中央集権化はできなくなった。
そして、彼らの意向に沿わなければ、一族を旗頭にクーデターを起こされても文句が言えない立場になってしまった。
結果として血の濃い一族は冷遇、危険な嫡子は廃嫡、勝頼は諏訪家へ、寄親寄子という折衷制度、武功派と側近の争い、
全てが中途半端になってしまった。それでも晴信が生きている頃は、そのカリスマと天才的なバランス感覚で持っていた。
しかし勝利を重ねて不満を和らげるという信虎と変わらない綱渡りと、不誠実な外交姿勢が常態化してしまったせいで、
勝頼の時代になると打った手がことごとく裏目に出ることになり、家中の統率は崩れるように失われていった。つまり、
,ィィr-- ..__、j
ル! { `ヽ, ∧
N { l ` ,、 i _|\/ ∨ ∨
ゝヽ _,,ィjjハ、 | \
`ニr‐tミ-rr‐tュ<≧rヘ > 武田家を滅ぼした張本人は
{___,リ ヽ二´ノ }ソ ∠ 信玄公その人だったんだよ!!
'、 `,-_-ュ u /| ∠
ヽ`┴ ' //l\ |/\∧ /
--─‐ァ'| `ニ--‐'´ / |`ー ..__ `´
く__レ1;';';';>、 / __ | ,=、 ___
「 ∧ 7;';';'| ヽ/ _,|‐、|」 |L..! {L..l ))
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433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 14:26:52.35 ID:kgi5BjKU
つまり
信虎「ヒャッハー!権力を集めて近代化だー!!」
信玄「ヒャッハー!中途半端な状態だけど何とかしちまうぜー!!」
勝頼「……継いだ家がブラックでダメかもしれん」
ということか?
434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 15:11:29.72 ID:Gz9sJK3s
>>432
じゃあ、新羅信玄で
435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 15:36:30.27 ID:5KcQmPYs
>>433
信虎「ヒャッハー!仕方ないから戦争だー!!」
信玄「ヒャッハー!仕方ないから戦争だー!!」
勝頼「ヒャッハー!仕方ないから戦争だ―あああ!!」
>>434
新羅太郎晴信ってこと?
無茶がある。
けど、そもそも新羅三郎や八幡太郎や加茂次郎って、寺社の名前から取っているし、姓なのかな?
子に継承されたとも聞かないし。苗字・・・ではあるのか?エロくないので分からない。
437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/20(日) 17:40:49.41 ID:Z1lUETZU
>>432
あと信玄時代は武田宗家の独自財源として金山開発が進んだのだけれど
勝頼時代には枯渇していたというのもあったな。
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コメント
人間七七四年 | URL | -
>自腹を切る予定だった総費用の半分を、迷惑料としてか周りに配ったという。
途中まで暴君かと思ったが、やんちゃで無邪気な人だったんだろうな
( 2011年03月20日 00:36 )
人間七七四年 | URL | -
弟が空気読まないとたいへんだよね。なぁお兄チャン
( 2011年03月20日 00:44 )
人間七七四年 | URL | -
信やぼシリーズに登場してたっけ?
( 2011年03月20日 03:25 )
人間七七四年 | URL | -
戦極姫で一時期プッシュされていたが、それでも空気だったヨシタツさん。
( 2011年03月20日 03:46 )
人間七七四年 | URL | -
しかし目立つ武功なし!
( 2011年03月20日 04:13 )
人間七七四年 | URL | -
>途中まで暴君かと思ったが、やんちゃで無邪気な人だったんだろうな
だから「中くらいで黄金を貼らないなら良い」とか許されちゃうんだろうな
憎めないわwww
( 2011年03月20日 12:53 )
人間七七四年 | URL | -
>※3
戦国夢幻なら…
って、知らんか。
アレでも、一般レベルの能力でしたし。
( 2011年03月20日 14:00 )
人間七七四年 | URL | -
戦国大戦なら「一条ウゼェ」って言われるくらい大人気だったよ。
( 2011年03月20日 14:18 )
人間七七四年 | URL | -
>途中まで暴君かと思ったが、やんちゃで無邪気な人だったんだろうな
ヒャッハアならぬヒャッホゥって感じ
( 2011年03月20日 20:13 )
人間七七四年 | URL | nCyV/qr.
管理人さん、一続きなのは確かだけど、最後の方は分けた方が良いのでは?
そっちの方が後から来る人は見やすいかと。
( 2011年03月21日 04:28 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
一応TKD24のメンバーだし、川窪信実さんほど不遇ではないな。
( 2011年03月21日 21:19 )
人間七七四年 | URL | -
信長の野望シリーズで居た様な気がする、天翔記辺りに見た様な
( 2011年03月22日 07:29 )
人間七七四年 | URL | -
八幡太郎や新羅三郎って名乗りでないの
そして影の薄い加茂次郎
( 2011年03月22日 12:46 )
人間七七四年 | URL | -
TDK24…うまい。座布団3枚級。
( 2011年03月22日 22:25 )
人間七七四年 | URL | mQop/nM.
TKDだろwww
( 2011年03月24日 00:47 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
>TDK
昔は良くCM流してたのぉ~www
( 2011年03月24日 02:33 )
人間七七四年 | URL | -
>>5 武田七重臣の一人で、長篠の戦いの時には殿役を務めている。 ソースは心許ないが充分な武功を上げてるぞ。ただ少し陰が薄かったんだ。
( 2011年03月25日 23:41 )
人間七七四年 | URL | -
影が薄い存在から約450年くらい
まさかのカードゲームで大ブレイクする一条さんであった
( 2011年04月22日 00:15 )
人間七七四年 | URL | -
うーん、信玄はあんまり良い武将でもなかったのかな?
( 2011年11月18日 22:57 )
人間七七四年 | URL | -
新羅三郎って信長の三郎や家康の次郎三郎と同じものだろうと
( 2011年11月24日 01:21 )
人間七七四年 | URL | -
>19
隙あらばとか考えてそうな連中を抑えながら、手段は問わなかったけど勢力範囲を広げて、なおかつ数十年は保たせたのですから、とにかく凄い戦国大名ですよね。
…まあ、その分後継者はワリ食うことになったんでしょうけど。
( 2012年01月25日 12:51 )
人間七七四年 | URL | -
米19,21
あんまり「これがすごかった」って分野がないんだよな。
細かく見ていくと減点ばかり目立つ。
それでも米19の言うとおりだから、何らかのすごさはあったんだろうな。
( 2012年06月07日 23:26 )
人間七七四年 | URL | -
一条信龍と言われてもサッパリだが、
もしも武田信龍て名乗れてたら、「武田信玄の親族?」ってすぐ思い当たるな。
やっぱり当時でも、宗家乗っ取りとかするつもりなくても
武田を名乗れた方が知名度とか外交上とかで便利だったろうな。
( 2016年02月12日 06:31 )
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