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堀尾吉晴、少年の頃

2011年03月27日 00:01

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/25(金) 23:06:28.03 ID:D3qnQPAP
堀尾吉晴はその幼名を仁王丸といい、彼の家は尾張国内で信長に長く抵抗した、岩倉織田氏の
家臣であった。

さて永禄2年(1559)の事、岩倉と織田信長勢との戦いで、岩倉勢は夜討ちを敢行した。

この時未だ元服も済んでいない堀尾仁王丸はまっさきに駆け込んで、名のあるものの首を
取って帰る、という功名をなした。

だが人々、元服も未だの若い仁王丸がそんな手柄を立てられるとは思えず、
「拾い首でもしたのだろう」と、彼の手柄をまるで信じなかった。

そして翌日、今度は岩倉勢が敵に散々に打ち負け総退却となった。
ところがこの中で仁王丸は一人馬から降りて敵のほうに立ち向かった。
仁王丸の叔父の修理亮がこれを見つけ大いに驚き、彼に向かって叫んだ

「どうして味方に遅れるのか!?とにかく直ぐに撤退するんだ!!」

ところがこれに、仁王丸

「若党の一人である山田が未だにこちらに帰ってきません!彼を探します!」

と答え、遂に敵中に残されていた山田を見つけ、連れて帰った。

この仁王丸の勇敢な行為に、「さては昨晩の功名も本当であったか!」と、岩倉の人々
自分たちの不明を恥じたという。

堀尾仁王丸、明年の夏元服し”茂助”を名乗る。


後に豊臣政権三中老の一人となる堀尾吉晴の、少年の頃のエピソードである。




532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 07:36:16.11 ID:jbWKCq2Z
>>528
栴檀は双葉より芳し、ですな

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 07:42:26.07 ID:KeF/dCJf
仁王丸って凄い名前だ。
んで成人してから茂助とか吉晴とか
なんだろうこのギャップは

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/26(土) 10:34:27.43 ID:jqwJKrcX
>>528
山田もいい主君を持ったな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    茂助になら掘られてもいい

    堀尾だけに

  2. 人間七七四年 | URL | -

    茂助ってお百姓さんみたいだよね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    若いころから仏の茂助だったんだなあ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    堀男○モ助ですね。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    さすが仁王の名に恥じぬ

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