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松倉重政の東軍参戦顛末

2011年04月01日 00:00

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 22:28:48.67 ID:Lt1PkM9W
慶長5年(1600)7発12日、石田三成、挙兵する。
この時大和の松倉重政は、自分の父が筒井家において、三成の家老・島左近の傍輩であった縁から
これに従った。

7月20日、
大阪城の石田三成は一部の兵に、丹後田辺城に籠る細川幽斎を攻撃するため
出陣を命じた。松倉重政にもこの命令は発せられた。

が、その日、松倉重政は亡き父の忌日だということで僧侶たちを家に招き仏事を行い、
その後酒を飲み過ぎて酔っ払い、丸一日前後不覚で寝るという有様であった。
そして目が覚め三成からの命令を知り大いに驚く。

しかし田辺城攻めを命ぜられた者達は既に集結し出発しており、松倉は悩んだ挙句
大阪に行き、三成に「このま丹後に行き田辺攻めの軍勢に合流すべきか、それとも
他の命令を待つべきか。」と問うた。

ところが三成からも島左近からも一向に返事が来ない。
実はこの頃挙兵したばかりであり、三成も左近も色々な事への対応で目が回るように忙しく、
そのため松倉の事が取り紛れ、まあぶっちゃけた話存在を忘れられてしまったのである。

数日間完全無視された松倉重政はさすがに激怒、

「ならば関東にお味方いたそう!」

と、家臣・田中藤兵衛尉を関東に下し、家康と通じた、と言う。


これが実際にあったかどうかは疑問ですが、まあ、あの西軍ならこんな事があっても
おかしく無いな、とも思う、松倉重政、東軍に通じるまでの顛末




425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/30(水) 23:11:47.78 ID:1KKz+0FN
>>422
松倉は親子してスーパーDQNだからなぁ…
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >425
    筒井家の右近さんが「いわれのない誹りを受けた」
    として425の元に向かいました

  2. 人間七七四年 | URL | -

    重政と息子・勝家の事でしょ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    前後不覚になるまで飲むことも時にはいいことあるよっていう
    今日から社会人になる俺への教訓だな。
    いい話を聞いた。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    新歓で飲み過ぎて翌日寝坊遅刻したうえ、誰にも心配してもらえず
    逆切れして即日会社やめた俺みたいな奴だな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    お酒で失敗ってのは、今も昔も変わらないって事だなw
    ってか、こう言う時って何故に家臣が無理やりにでも起こしたり、窘めたり
    しないってパターンなのでしょうね?
    (本多の次男坊とかw)

  6. 人間七七四年 | URL | -

    みんな情けない話だな

  7. 人間七七四年 | URL | -

    統義「親子そろってDQNとは、まったく嘆かわしいことですな…」
    宗麟「統義の申すとお、おおっ!
    (あれは、一萬田の嫁か!)」

  8. 人間七七四年 | URL | -

    〉7
    義統の間違いです。すいません

  9. 人間七七四年 | URL | -

    昔からこういうやつはいたんだな。情けないけど人間の性は変わらないのか・・・

  10. 19 | URL | -

    すいません、7発12日が地味に面白いですw

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