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東根景佐の予言

2011年04月02日 00:00

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/31(木) 22:51:58.29 ID:PY4FS6nc
東根景佐の予言

元和6年(1620)8月7日、体調のすぐれなかった東根景佐は嫡子親宜あてに遺書をしたためた。
「自分が相果ててしまったならば、源五郎様に相続の御礼に参上せよ。
また、源五郎様へのご奉公を大事にせよ。寄らしむべし、知るしむべし。
山野辺右衛門、小国日向(自分の妻の実家)、楯岡甲斐守光直の三人には、自分の形見を分け与えよ。
何ごともこの三人と相談すれば、悪いことはあるまじく候」と教え、
その末尾には驚くべき予言を書き残した。

もかミの御国三年と此分ニあるましく候~ハークションゲフンゲフン
「最上の国も、三年とはもつまい。せめて国替えにでもなったら(以下、意味不詳)」

数年後、遺書の予言通り最上家は改易された。




440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/31(木) 23:30:07.35 ID:XaM+mHWG
最上が改易されたのは東根景佐の死の2年後だな。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    なんだかよくわからんのだが?

  2. 人間七七四年 | URL | t4BXKsVg

    彼の息子の嫁に鮭様の末娘『禧久姫』を迎えていた。最上改易後、東根家は阿波徳島の蜂須賀家に仕えて千石の中老になった。
    ↑最上義光歴史館から発行の「羽州最上家旧臣達の系譜」(小野末三著)に出てた。

    高野山の奥の院の入口あたりに、東根院という子院がある。字の通り、東根家の菩提寺。奥の院に入ると、東根家の墓所がある。
    ちなみに、奥の院入口すぐには家親公、中程の高台には鮭様と殉死者達の墓所もある

  3. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    >>1
    東根景佐が「最上家の滅亡」を予言してた。

    遺書の三人も改易の原因の主要人物。

  4. 19 | URL | -

    なんか根拠あったのかな??
    不思議だな。

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