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大貫越後、筋を通す

2011年04月02日 00:00

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/31(木) 22:06:01.27 ID:/wQ98w3M
佐野宗綱の、お正月だよ!足利侵攻!!・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1555.html

この話のように、天正13年(1585)、佐野宗綱は足利の長尾顕長を攻め、単騎突出した挙句討ち死にした。

さて、そこで問題になったのは佐野家の後継ぎである。佐野宗綱には女児しか無かったのだ。
そこで佐野家の家中では、「小田原の北条氏はこの下野国でも日々勢力を増している。ここは北条氏より
その一族の一人を養子として迎え、佐野家を継いでいただくのが良いだろう。」
と言う意見が主流を占めた。

だが佐野宗綱の弟で僧侶の佐野天徳寺は、これに猛然と反対した。
彼は言う、「北条ではなく常陸の佐竹より養子を迎え、佐野家を継がせるべきである!」

しかし佐野家の重臣、大貫越中、竹澤源三郎、山上美濃、飯塚兵部を始めとした佐野家中の殆どは
天徳寺の意見には従わず、家中一同が連署した起請文を小田原の北条氏政の元に差し出し、
「佐野一門、家中上げて北条家の子弟に佐野の家を継がせることを望んでおります!」と申し込んだ。
氏政は当然ながら大いに喜び、弟である北条氏忠を派遣。佐野天徳寺はこれに大いに怒り
佐野の地を去った。


時は流れ天正18年(1590)。豊臣秀吉による小田原の役、起こる。
佐野に攻め寄せる豊臣の大軍の中に、佐野天徳寺の姿もあった。

天徳寺は唐沢山城に籠る佐野家の者達に、すみやかに自分の麾下に加わるよう伝えた。
この時、当主佐野(北条)氏忠は小田原にあり、城中の兵たちはみな、見込みのない戦をするよりも、
天徳寺の命令に従うべきだと言った。

が、大貫越後一人、それに同意しなかった

「私は最初、和尚(天徳寺)の言う事に従わず、左衛門佐(北条氏忠)殿を主君とした!
既に一度主君となし家臣となった者として、今事態が急変したからと言って忽ちに心変わりするのは
勇者の本意ではない!
それがしに於いては、氏忠様の御為に討死つかまつる!」

と、唐沢山城から詰城へと移りそこに籠城した。
残った佐野家の者達は天徳寺に帰服。彼を大将としその詰城に押し寄せる。

ここで大貫越後、櫓の上に登り攻め手の軍勢に向かって大音を上げた!

「私の元にあるこの少勢で、どうして戦うことができようか!
命は義によって軽し!私はそう承っておる!

これを見給え人々!!」

と、自らの首を掻き落として、死んだ。



佐野家重臣大貫越後の、筋の通し方である。





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    自分の義を貫いた上で、配下や佐野家の人々に犠牲は出さない

    当時と今で価値観の違いは有れども、城を枕に兵卒共々討ち死にするのと同等・それ以上に賞賛されてもいいんじゃないだろうか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この筋の通し方はいいね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    惚れ惚れとするな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    不器用な生き方だな・・・
    宮城谷の「奇貨おくべし」には小義と大儀とを説いた一説があるけど
    主君の為に死ぬのと、一族と共に生き家族を養うのと どちらが小でどちらが大なのだろう??
    武士としては前者が大・・・・悲しいけど俺って武士なんだよね~

  5. 人間七七四年 | URL | -

    下る卑怯者を巻き添えにでもしないとなぁ。

    単なる独り満足じゃん。
    死ぬ意味もなし。

  6. 人間七七四年 | URL | KAms/y7Q

    ※5
    いやいや、意味はあったのではないかと愚考仕る

    四百年後の今に至るまで名を残し、佐野武士の気骨を我々に語り継がしめたではないか

  7. 人間七七四年 | URL | -

    主君の血統を蔑ろにして今さら筋が云々言っても遅いよ

  8. 人間七七四年 | URL | wZ.hFnaU

    ※7
    北条氏忠は佐野宗綱の娘を正室に迎えているよ。蔑ろになんかしていない。

    それにこの時代の「家中」ってのは家臣団も含めた家の存続こそが第一であり、
    当主に嫡男がいない、もしくはいても幼少だった場合、有力大名の子弟を
    養子に入れて当主にするのはごく普通のこと。
    あくまで当主の私的な要素でしか無い血統に異常にこだわるようになったのは、
    実は明治以降の話。
    その上で家臣揃って氏忠を擁立したことに対し、重臣として筋を通したのが、
    この話だな。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    こう言う武士ってのは本当に貴重ですねよ。一本義の真の侍って気がする。
    でも、下った武士達がそれに値しなかったのかと言うと、それも違う。
    無謀な戦いに赴いて家臣死なせるよりも、相手に下る方が一時の恥ですむ。
    戦国の世で生きるのは難しいですね。

  10. 人間七七四年 | URL | LkZag.iM

    春休み中の中学生に適切な指導を行う
    ※6、※8に惚れた

  11. 名無し | URL | -

    戦国の正義の話をしよう

    ですね。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    江戸以降のファッション武士道にはウケそうだよね。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    こういう話にいちゃもんつける奴が出てくるのは定番のことだな

    「当時は~」「江戸時代の武士道は~」とかドヤ顔で書き込むのかな

  14. 人間七七四年 | URL | -

    なぜ弟坊主を還俗させて跡取らさなかったんだろ?

  15. 人間七七四年 | URL | wZ.hFnaU

    ※15
    佐野房綱(天徳寺)はこの前に佐野家を出奔して織田信長に仕え、本能寺で
    佐野家に帰ってきた出戻りなので、跡を継ぐには立場的に弱かった可能性がある。

    あとこの逸話では、天徳寺は佐野宗綱の弟となっているが、一説ではその父の
    佐野昌綱の弟、つまり宗綱にとって叔父である、という説もある。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    >5さん
    >下る卑怯者を巻き添えに

    そうしなくて良かったと思う。下手に戦い続けたりしていたらラスボスに佐野家を処分される口実を与えることになってしまっていたのでは。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    無駄死にではないでしょ
    誰かしらが責任を取る形で死んだからこれ以上大事に発展しなかった、ってことではないの?

    本当に筋を通すなら、佐野家臣が皆腹切らなければいけなくなる。でも全員腹切っちゃったら佐野家が無くなる。
    そうなっては本末転倒だから、1人が責任取って死んで「家督相続についての問題は彼の死で決着した」って体裁を整えたんでしょ

    俺は生き残った家臣達こそが偉いと思うよ
    死んだ家臣は筋を通した男として名前が残るけど、生き残った家臣は存命中誹謗中傷を受けたかもしれない
    それでも佐野家を残すために生き残った家臣達こそが偉いと思う

  18. 人間七七四年 | URL | -

    >>17さん

    ただ、
    >>ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5094.html
    のように大貫越後の父、越中は佐野家臣団の内ゲバで殺されてるんだよね。
    佐野家の記録にも「家臣団の仲が悪い」「内輪揉めばかりしてる」と繰り返し書か
    れているし、この時もやっぱり内輪揉めの挙句に越後一人が責任を押し付けられた
    と考えてもいいんじゃないかな?

  19. 人間七七四年 | URL | -

    人間は生きるほうに理屈をつけたがるもの。
    こういう場で死ぬる人間の名が上がるのは必然。

  20. 人間七七四年 | URL | -

    責任押しつけられてじゃなく、自主的に死を選んでるでしょ。
    別に佐野家で会議でもあって越後に死んでもらおうと話し合った結果ではなく、本人が死のうと思って死んでるんだし。
    現代人の社会感覚で考えても当てはまらないと思う

  21. 人間七七四年 | URL | -

    生き残った連中のどこが尊いかわからんなぁ
    結局は自分の保身が目的なわけだし。忠義より打算が大きいと思う
    自分達の判断ミスを一人に押しつけて美談に仕立てあげたように見えるな

  22. 人間七七四年 | URL | 0DW/rr8Y

    この自害が、忠義心、政争、自己満足のいずれから来てるかなんて本人にしかわからない
    結果だけ見ればいくらでも受け止めようがあるし、色んな意見があって当然だと言うのに
    決め付けるような言い方をしたり、わざわざ人の意見に口を挟んでる人は何なんだ

    自分と同じ意見で統一されていないと気が済まない人なのかな?

  23. 人間七七四年 | URL | -

    自分は素直に忠義心溢れる一人の男の見事な死 として受け止めたい

  24. 人間七七四年 | URL | -

    大貫越後はこの時点でもう後がないからなぁ。
    氏忠擁立で佐野家中を分裂させて天徳寺出奔の原因を作り、北条氏のバックの下で唐沢山城を牛耳ってたわけだし。
    (氏忠は相模にいてほとんど佐野領には来なかったらしい)
    天徳寺に帰順したとしてもどっちにしろ殺されたか良くても冷遇されただろうし、頼みの北条氏が滅亡しちゃったので落ち延びる先もない。

    まぁ、親父の越中がほとんど言いがかりみたいな理由で先代宗綱討ち死にの責任をおっ被されて殺されてるので、
    天徳寺ら佐竹派を退けて、北条派の急先鋒になったのも佐野家に対する謀反だったのかも。

  25. 名無しの日本人 | URL | -

    宝衍(天徳寺)が大貫の死体をみて、貶さずに手を合わせたってエピソードが好き。
    大貫は大貫の佐野家への忠義をつらぬいたといって骸を手厚く葬った。
    宝衍は西方を知っていたし、織田や羽柴のでかさ、天下の趨勢を読み取る目をもってたけど、
    佐野にあって関東のことしか知らない大貫としてはそう簡単には滅びるとは思われなかった北条に随身するのが家の存続に一番良いと考えたんだろうね。

  26. 人間七七四年 | URL | 8Gq/hl/c

    ※8
    当時も、この話みたく娘婿にとったり当主の姉妹の子を養子にしたりと
    なんやかやで女系で繋いだりしてたから、誰でもいいって話でもないべ
    あと明治に入ってからの華族や元勲なんかもこの方程式で動いてる
    今も昔も男系固守なのは天朝ぐらいじゃね?

  27. 人間七七四年 | URL | -

    佐野出身だけど、小中高の同級生とか知り合いに佐野家臣団の子孫と思われる名字の人が何人もいた。
    山上、大貫、福地、竹沢、津布久・・・
    しかし肝心の当主の子孫と思われる佐野という名字の人とは一度も会ったことはなかった。

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