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善光寺式阿弥陀三尊、その数奇な運命

2011年04月11日 00:00

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 18:50:19.15 ID:YcC13Ovi
善光寺の阿弥陀如来(善光寺式阿弥陀三尊)といえば、日本最初の仏像とも言わる。
が、この仏像は戦国時代、実に数奇な運命を巡る。

先ずは弘治3年(1557)2月、善光寺を占拠した甲斐の武田信玄は、その仏具などと共に
この阿弥陀仏も略奪、甲府へと持ち帰り、新たに建設した『甲府善光寺』の本尊とした。

やがて天正10年(1582)3月、織田信長による甲州征伐。信長の嫡男、は阿弥陀如来像を奪い
岐阜へと持ち帰りここに『岐阜善光寺』を建立した。

同年六月、本能寺の変

その後の織田勢力の主導権争いの中、阿弥陀如来は織田信雄の手にわたり今度は清洲の
甚目寺へと移された。

そして秀吉が台頭する中、信雄は徳川家康との同盟を固めるためであろうか、阿弥陀如来は
家康へと贈られ、浜松の鴨江寺に遷座した。

が、ここで家康の枕元に阿弥陀如来が立ち「甲府に帰りたい」と仰られた。

家康はこの夢のお告げに従い、阿弥陀如来を甲斐善光寺へと帰座する。


慶長元年(1596)伏見大地震により京は方広寺の大仏が崩壊した。
豊臣秀吉はこれに激怒する

「我が身をさえ保てぬ仏が、衆生済度など出来るものか!?」

しばらくして秀吉は夢に仏の姿を見た。善光寺阿弥陀如来である

「これだ!」

大仏崩壊の翌年7月18日、秀吉はこの阿弥陀如来を甲斐より遷し、方広寺の本尊とした。

ところが、である。

その翌年から秀吉は体調を崩し始めた。これを人々は「阿弥陀如来様の祟だ」と囁く。
そんな中今度は秀吉の枕元に、阿弥陀如来が立った
『私は信濃に帰りたいのだ』

その頃、徳川家康の援助により信濃善光寺は漸く再建されていた。

体力が衰え気が弱くなり、噂を恐れたのもあったであろう。秀吉はこの事があると直ぐ様如来を
家康に返す。
慶長3年(1598)、徳川家康はこれを、その頃再建なった信濃善光寺へと戻した。
ここに漸く、41年間に渡る、阿弥陀如来の放浪は終わったのだ。

以後、善光寺式阿弥陀三尊は信濃の地をを動くこと無く、今も、善光寺に参拝する多くの
善男善女の信仰を集めている。

善光寺阿弥陀如来の、数奇な変転についてのお話である。




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    場所を移されたくらいで祟るようでは、阿弥陀如来様も仏として修行が足らんのではないか。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >※1
    ほっとけ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ぶつぞぅ!

  4. 人間七七四年 | URL | -

    どーぞー

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ああ、みだりに場所を移すから

  6. 人間七七四年 | URL | -

    「陸奥に帰りたい・・・」

  7. 人間七七四年 | URL | -

    なんで最初は甲府に帰りたいって言ったんだろうw

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >7
    家康が旧武田領を手なづける政策の一環としては、信濃よりも甲斐のほうが都合がよかったからでは?

  9. 人間七七四年 | URL | -

    元々信濃にあったと言う事を家康が知らなかった…
    はずはないか

  10. 人間七七四年 | URL | wZ.hFnaU

    一番簡単に言うと信濃善光寺の再建が未だ途上だった

  11. 人間七七四年 | URL | -

    いまは見せてもくれないんだよな
    模造品を何年かに一回ご開帳してる

    こんなけ廻されて、まだあるのかな

  12. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

    >※2-5
     カエリマスヨー(AA略

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