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内藤正成の矜持

2011年04月17日 00:11

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 12:40:56.36 ID:W2diQyFL
徳川家康が関東に入国することが決まると、内々に家臣の知行割の作業が行われた。

ある近習衆が、家中において武勇名高く、後に徳川十六神将にも数えられる
内藤四郎左衛門(正成)にこの事を語った。
内藤、それを聞いて尋ねるに

「最初に誰の知行が決まったのか?」

「はい、最初は貴殿に五千石と決まったようです」

これを聞いて内藤、
「ふむ、過分なることよ」
と、まんざらでもない様子。

「他には誰の知行が決まったのかな?」
「は、同じく五千石で高木主水(清秀)殿、牧野半右衛門(康成)殿、阿部善右衛門(正勝)殿…」

みな徳川家中の錚々たる武功の士である。内藤これを聞いてさらに
「いかにもいかにも、御尤もである」
と喜んだ。

が、この近習の者さらに
「同じく五千石でその次に誰、その次に誰々…」

「ち、ちょっとまて!」
内藤、突然顔色を変え

「高木などと同様の知行を賜るのだから、五千石というのは武功の優れたるものばかりだと思ったのに、
何だその後の連中は!?
さてさて、殿は男数寄をなさることだ!(歪んだ形の茶道具を愛でるように欠陥のある者にも知行を与える、ということか)
ええい、面白くない!」

と、領地である武州羽山に引き籠り、剃髪して善想と名乗った、という。


こうして、家康の知行割に不満で引退した内藤であったが、家康は内藤の行動を許し、
その後も武蔵において鷹狩をするときは、必ず羽山の内藤の屋敷に立ち寄り、
鷹狩の獲物の鳥を手ずから与え、そこで食事をとり、彼の妻にも会い声をかけていたそうである。


領地より誇り、という内藤正成の矜持と、そんな内藤を仕方のない奴だと苦笑いしつつも、
その気質を愛していた家康の姿が見えてくるような、そんな逸話である。




6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 13:11:32.01 ID:kiVx0z21
めんどくさい。

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 13:16:30.40 ID:5ltimX1A
家康も手慣れたもんだな、こんなのが複数人いるから大変なんだがw

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 13:24:09.54 ID:+wWC96TZ
部下に大封与えたために滅亡した信長や、政権基盤弱くした秀吉を見て部下の知行を抑えたのかな?
確か親族とか一門除けば家臣には最高でも二十万石程度しか与えなかったよな家康。

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 13:30:34.75 ID:WOeaIDdf
>>8
信長も、部下にそれほどの大封与えてないけどね
ただ、寄騎という形で指揮できる兵力は上げただけで

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 14:00:48.06 ID:AGQDP5pv
さぁ、皆さんご一緒に!

11 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/04/16(土) 14:43:54.90 ID:1FPGDvNz
武士の矜持の話しだから、こんなの葉隠にも似たような話し有るよね。
この時代の武士の、共通普遍の認識なんだろな。

これを三河ものだからって面倒くさいって、バカらしい話しだ。

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 14:50:39.14 ID:fcy6I+5H
ドヤ顔で何か言って周りを白けさせる人っているよね

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 16:05:02.95 ID:fDoob1n7
ワシに不満があるとなといって殺さないだけいい君主だよな、まぁ。

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 21:06:29.32 ID:RmpdkMpK
>>8
忠勝達ですら、城持ち大名になったのは
関東に行ってからだっけ?
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    別に5000石だからどうこうじゃないしなあ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    男数寄ってみてお?っておもったけど()見てがっかりした

  3. 人間七七四年 | URL | -

    三河者=めんどくせって言いたいだけな住人が多くなった気がする

  4. 人間七七四年 | URL | -

    まあ 面倒かNOT面倒かで、チョイスしたら面倒だけどね~

    国志の関羽君も上には忠実で下々には優しかったけど 下のちょい上の同輩には
    ライバル意識むきだしで五虎将いらんうんぬんあったし・・・・

  5. 人間七七四年 | URL | -

    五虎将軍の逸話は列伝でセットになっている(関張馬黄趙伝だっけ)ことによる後世の創作だけどね.

    >部下に大封与えたために滅亡した信長や、政権基盤弱くした秀吉を見て部下の知行を抑えたのかな?
    秀吉の場合はもともと独立大勢力を外交手段で勢力化に組み込んだ,というようにスタート地点が違うから比較は難しいのでは.

    信長もそれほど大封は与えてないでしょ.最後の数年間は勢力の拡大に行政機構の拡大が追いつかないから,どうしても有力武将に国単位での管理を任せざるを得なくなっていたけど.

  6. 人間七七四年 | URL | -

    こういう話を聞くたびに、上司の査定に不満があるからといってさっさと辞めるってのはどうなのかとは思う。
    まぁ、定年があるわけでなし、辞めるきっかけにはちょうどいいのかもしれないけど。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    知行の事で善く想わず出家したのに、善想と名乗るとは…

  8. 人間七七四年 | URL | -

    つーかそもそも権現様は関東入りするまでそんなに領土持ってないし。
    東海3国+甲信でせいぜい百数十万しか・・・。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    >彼の妻にも会い声をかけていたそうである。
    すみません
    よこしまな想像をしてしまいました
    権現様なだけに…

  10. 人間七七四年 | URL | -

    >(歪んだ形の茶道具を愛でるように欠陥のある者にも知行を与える、ということか)

    ゲヒ殿「 <●>  <●> 」

  11. 人間七七四年 | URL | -

    >6
    確かに三河武士のこの辺りの逸話は多いけど、特別って訳でも無いですよ。
    戦国武将ってのは、自分を評価しない人には使えない。但し、高く買ってくれる人には全力を持って使える。ってのが、当時何処の国の侍でも共通の認識だから。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    士は己を知る者の為に死すってのは紀元前からある言葉やね
    それと、当時の抗議目的の隠居や出奔と現代の退職・辞職は一緒に考えないほうがいいと思う
    リスクが違いすぎる

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