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井伊直政、助けを求めてきた三成を

2011年04月29日 00:00

249 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/04/28(木) 00:09:30.61 ID:T6iKeYHp
徳川家康と並び、豊臣政権内で強い影響力を持っていた前田利家が病死すると
石田三成は、対立していた武断派の大名に襲撃を受けた。「名将言行録」によればこの時、
三成は家康の屋敷に助けを求めてきたとある。側近達の間から

「この機を逃さず三成を討つべし!」

との声もあったが、井伊直政

「武断派の言い分を聞いて三成を殺せば、彼らは思い上がっていずれ徳川にとって不利な
 状況をもたらすでしょう。」と進言。

重臣の本多正信も三成保護を主張し、彼らの意見を聞き入れた家康は、三成に息子の結城秀康を護衛につけ、
居城の佐和山城まで送り届けたのだった。




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    秀康、刀ゲットでラッキー。

    つか秀康は「家康配下」扱いなのかね。
    秀吉の失策だよね、これも。

  2. 人間七七四年 | URL | FJ2gfIhk

    関東諸将は一応家康の「寄騎」扱いでしたっけ。秀吉死後は当主の親密度によって対応は分かれましたが…

  3. 人間七七四年 | URL | -

    この後に佐和山(彦根)を直政が賜るんだから、何か因縁めいたものを感じる。

    でも、三成が徳川家に逃げ込むのは創作ではなかったっけ?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    家康の屋敷ではなく伏見城内の自邸に入ったんだよな
    “武断派”という言い方も無く、実際はもっと複雑な政権争い
    まぁ逸話なんてほとんどが後世の創作ってことだ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    さすがにこの人達は脳筋の思考をよくわかっていらっしゃるな。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    まぁ、領地とか立場とか考えても徳川に突っ返された茂同然だな、秀康は。
    人質(養子)時代で、豊臣恩顧の武将らとも親交があっただろうし、三成とも仲が良かったんだろうねー

  7. 人間七七四年 | URL | -

    *1
    実子なのだから関東で与力扱いの方が安全でしょう。下手に畿内とかに置いておいた方が油断の出来ないことに。

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