FC2ブログ

上田城の大手門

2011年04月30日 00:00

930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/29(金) 00:03:12.04 ID:WiHL9vWD
真田と上杉で思い出した話

天正11年(1583年)真田昌幸は新たなる本拠として上田城の建設に着手した。
この城は真田家だけでなく、この頃真田家の主家であった徳川家にとっても重要な城だった。
上田城が建設された小県郡は徳川配下の真田領であったものの、その北西の埴科郡は上家杉に支配されており
徳川領北部の拠点となる城が必要だったのである。
よって上田城の築城には徳川家からも積極的な支援が行われ、総構えを備えた最新鋭の城郭が作られていった。

状況が変わったのは天正13年(1585年)のことである。
徳川家と北条家の講和の条件であった沼田領と佐久郡の交換を昌幸が拒否し上杉家に寝返ったのである。
このために上田合戦が起き、昌幸は未完成であった上田城に籠って戦うこととなったが、なんとか撃退する。

さてこの後も上田城の築城は上杉家の支援を得て続いていくが 
徳川家の北方拠点から上杉家の南方拠点となった上田城は大規模な変更が加えられた。
大手門の位置が埴科郡がある城の西から徳川領となった佐久郡の方向である東へ180度逆になったのである。

上田城には表裏比興の者の遍歴が表れているのだ。




スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    やる夫真田で上田城築城の経緯知って驚いたの思い出した
    まさか徳川に金や人員や資材援助してもらった城で徳川を迎え撃ってたとは…
    昌幸さんくらいじゃないと出来ない芸当だべさ

  2. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

     「徳川方が上田城の縄張りを知悉しているのは却って好都合。ただ一枚、裏をかけばよいだけよ呵々々々ーッッ!」というチョー悪親父殿の声が聞こえたような……

  3. 人間七七四年 | URL | -

    これだけのDATAで推測すると、
    ディフェンス専門の城なのではなく、
    積極的オフェンスによる防御の拠点、なのね。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    本家・親父のお城丸ごと真田丸ってとこかな

    ちょっと違うか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※3殿
    「攻撃は最大の防御」なんて、カビが生えた言葉、安房守に言ったら、
    呆れて「…人生、一からやりなおせや。」って言われそう。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    米1
    あの下り面白かったね
    家臣は上杉側の防備を固めようとするんだけど
    昌幸は組んでたはずの徳川側を大改修しようとする…

  7. 人間七七四年 | URL | -

    金だけ出させられて工事内容を把握してなかったなんて、
    家康にしては珍しくうっかりさんだよね。

    もっとも当時の状況を考えると仕方がなかった面もあるけど。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >>7
    いや、徳川から金や人足まで出させたから、その人足の中には間者が混じってたはず
    しかし昌幸は徳川と決別した後、上田城の改築を行ってるから実質徳川は上田城の状況を把握出来てなかった

    恐ろしいのは昌幸だよ…
    予め改築が可能なように城を建てるとかさ…
    それも手伝わせてる連中と戦うことになったときのためだぜ…

  9. 人間七七四年 | URL | -

    そんな昌幸父さんにシビレルw

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    K○MATSU殿がガSター1○を買いに行きました。

  11. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    そういえば上田城の大手門櫓って
    明治維新で遊女屋か売春宿の建物に払い下げられて、その後また現在の位置に戻されたんだよな。昌幸さんもそこまでは想像しなかっただろうに。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/5368-113e59f4
この記事へのトラックバック