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伊達政宗が島津家に招かれて

2011年04月30日 00:01

273 名前:dokuganryu[] 投稿日:2011/04/29(金) 07:02:25.28 ID:VwYr+wlJ
出典は不明。島津家の記録らしい。
大阪夏の陣が終ってから、伊達政宗が島津家に招かれた。
当時、島津家では、よく武功話を家臣に聞かせることをしていた。
また、政宗と家久(忠恒)は結構交流があって、よくバカ騒ぎをしていたことから
今回は、島津家臣の前で大阪の陣の講演をして欲しいということになった次第であった。
政宗は当然のことながら、自慢の『鬼小十郎』こと片倉重綱(重長)を伴って参上。
主役は『鬼小十郎』となり、話が終わり、家久が『さてはさては、伊達殿はよい家臣をもたれたものだ』
といって腰のものを鬼小十郎に与えようとした。
小十郎すかさず、『ありがたきしあわせなれど、伊達家臣なればいただくわけにはまい
りませぬ。わが君に下されますようお願いいたしまする』
家久は『みなのもの、伊達殿はこのようなよき家臣に支えられておる。島津家もこうなくてはならん』
といい、政宗はおおいに面目を保ったとのこと。




274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/29(金) 09:20:24.84 ID:dKG3VviG
夏の陣の後、伊達の悪事を暴いたの忠恒だよねw

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/29(金) 14:01:45.64 ID:rYHzIC5X
片倉さん、本当にLoveマーくんだなw
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    普通陪臣に何か物を授けるのなら、当主へまず預けるのが礼儀なのは当然の事。
    そして、「陪臣断る→さすが○○家の家臣→当主面目立つ」って流れ。
    逸話のテンプレなのでしょうか?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    まあ忠臣テンプレートでしょう。
    実際は長篠後の奥平貞昌->信昌の偏諱のように断れない例も。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    政宗には元の身分が低い片倉家を一番の家臣として取り立ててくれた恩義もあるし、重綱が生まれた時から可愛がられてるわけで、片倉家としちゃあ主君命にもなるわな。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    悪久だけに

    受け取る
    →帰った後で受け取った事をディスる。

    テンプレ通り断る
    →片倉あげつつ、そこを讃える自分アゲ。

    の二段構えに見えてくる

  5. 人間七七四年 | URL | -

    眉唾な話だなぁ
    景綱はこの年亡くなるし、前年から伏せってたろ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    いや、だから大阪の陣に出た鬼小十郎は二代目だろ。景綱の息子だ。

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