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北条氏規と徳川家康の友情

2011年05月03日 00:01

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/01(日) 22:56:57.59 ID:tRqwkLIG
では真田にとってははた迷惑な友情の話

信長の横死後、北条と徳川は所々で戦ったが、徐々に北条は利を失っていった
そこで北条家当主氏直は北条氏規に命じて徳川と講和した

しかし、北条方が砦を築き番兵を置いたという噂が流れ、家康は不審に思った
「もともとこの和平は人質時代の氏規との好で結んだもの。破れても構わぬ。一戦に及んで運を天に任そう」
そう言って使いを氏規の陣に使いを出すと、北条方は大道寺新四郎を人質と渡すことを伝えた

氏規は徳川の使者・朝比奈泰勝と新四郎に同道し、家康に対面した
家康と氏規は駿府時代の昔話で盛り上がり、家康も上機嫌のうちに話し合いは終わった
結局家康の娘を氏直に嫁がせることで話はまとまり、大道寺新四郎も後に還された

昔の付き合いが大大名同士の和平を結んだ話


ちなみに、この逸話は『関東古戦録』出典なので信憑性は不明だが、
この時人質となった大道寺新四郎は後に前田家→尾張徳川と仕え、
代々家老職を輩出した尾張大道寺家の祖、大道寺直重と思われる

他にも大道寺家の面々は徳川に庇護され、旗本となるかどこかの大名の重臣となっている





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    どんな組織の関係でも究極的には人と人の関係に戻っちゃうんだな

  2. 人間七七四年 | URL | KAms/y7Q

    孟子曰く「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」と。
    血で血を洗う戦国の世とは言えども所詮は人の世界のこと。結局は人間と人間の関係性でしかないわけで。

    この話の家康と氏規はそれがあったから(秀吉が来るまでの一時だけれど)平和を保った。
    けれど信玄や信長や三成は、それを怠ったり読み切れなかったりしたから最終的に滅んだ。
    人の栄枯盛衰とは、詰まるところ人間関係をどう作るかに係っている、という事でしょうなあ。
    こればっかりは今も昔も相変わらず難しいところ……

  3. 人間七七四年 | URL | -

    北条氏規といい吉良義安といい、家康は駿府時代の人質仲間とはいい関係保ってるよなぁ
    人質とは違うけど今川義元ともなんやかんや仲いいし、駿府時代も人質なりに楽しかったんだろうね

  4. 人間七七四年 | URL | -

    孕石さん…

  5. 人間七七四年 | URL | -

    家康は今川に人質として行ったけど、義元に目をかけてもらってたりで待遇はけっこう良かったみたい。
    もし待遇悪かったら、恨みは絶対忘れない家康が義元の子である氏真と仲良くしてなかっただろうし。

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