FC2ブログ

九鬼嘉隆切腹顛末

2011年05月05日 00:01

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 00:13:03.92 ID:nnu4rXcF
慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原の決戦が終わる。

東軍に属した九鬼守隆は家康に必死に嘆願を行い、西軍として動いたその父、九鬼嘉隆の助命を
ついに認めさせた。が、この報が届く前に、九鬼嘉隆は切腹をして果てた。
これには、このような事情があったとされる。

九鬼守隆は家康に従って上杉征伐へと向かう時、九鬼家の重臣である豊田五郎右衛門をその居城、鳥羽城の
留守居として置いた。
が、関ヶ原戦役が勃発すると九鬼嘉隆は石田三成らに与し、鳥羽城を奪わんとする。
この大殿の行動に、豊田も流石に敵し難く、戦わずに鳥羽城を明け渡した。
ところが、この豊田の行動は九鬼家の同僚たちから嘲笑された。

『おおよそ留守居として兵を持ち城を守るというのは、こういう事態の為ではないか。
いかに主君の御父君とは言え、なんと生ぬるい豊田の振る舞いであろうか!』

彼らは集まるとよってたかってこの話をし、豊田を爪弾きにした。豊田はこれを深く口惜しく思った。

さて関ヶ原が東軍の大勝に終わると、九鬼嘉隆はその身を隠した。
豊田は密かに嘉隆の行方を探り、嘉隆と行動を共にした熊野水軍の将、堀内氏善がその居場所を
知っていると聞くと、彼は早速新宮の堀内のところへ行き、こう語った

「この度のこと、長門守様(九鬼守隆)が内府公に必死の嘆願をされ、この度の軍功に変えて嘉隆様の罪を許す、
と言うことになりました。
わたくしは長門守様の命により、嘉隆様を急ぎ迎え、帰国のお供をするように命ぜられこちらに参ったのです。」

堀内からこれを聞いた九鬼嘉隆はその言葉を信じ、隠れていた答志島より出て豊田と共に帰国の途に付いた。
…と、

途中、志摩の和具と言う場所までくると、豊田は嘉隆に突然言い放った

「堀内殿に言ったこと、あれは全て嘘です。
実際には内府公の嘉隆様への怒りは殊の外深く、当家は既に滅びることに決定いたしました。
…どうか嘉隆様、ご子孫の後の栄を期せるよう御計らい給って下さい。」

嘉隆は豊田の言う事を正確に理解した。

「さらば我が首取りて、徳川殿に参らせよ!」

そして近くの洞仙庵と言う寺で切腹して果てた。

さて豊田は嘉隆の首をとって鳥羽へと帰路を進める。ところが伊勢の明星の茶屋にて、本当の嘉隆御赦免の
御教書を持った使いと行き会った。
まさか本当に許されるとは!豊田は大いに驚いたが、それは表に出さず何も知らぬ体でこの使者に応接した。
そして鳥羽に戻ると守隆の御前に参上し

「私は熊野まで行き、大隅守様(九鬼嘉隆)のお供仕ると申し出ました。
所が大隅守様は、『いかに親子の仲とは言え、一度敵となって再び対面に及ぶなどあり得る事ではない。』と
おっしゃいました。私はそれに、なにも問題の有ることではございませんと様々にお諌め申し上げ、『それならば』と
私と一緒に帰国の途につきました。ところが、ご心中では納得されていなかったのでしょう、私の気づかぬうちに
密かにお腹を召され、その上で私を呼ばれ、ご自身の首を私に与える、と仰せになりました。
そうなった以上もはや力なく、お言葉に従って此の様に…」

そう言って嘉隆の首を差し出した。

これには九鬼守隆も唖然としたが、致し方なく嘉隆の首と共にこの事を徳川家康に報告。家康も「不憫の次第である」と
首を返したという。

このしばらく後、豊田五郎右衛門の所業が発覚。九鬼守隆は激怒し豊田を鋸挽きにしたそうである。

九鬼嘉隆切腹の顛末である。




11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 02:11:15.88 ID:cYrjQdhY
どうしてバレた・・・って人の口に戸は立てられぬもの。
しかし、大殿じゃなくて笑った同輩に復讐すべきだろ、普通は

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 10:25:16.61 ID:CX5ggUOf
ちょっと悪い話ところか、かなり悪い話だな……。

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 10:49:07.42 ID:hi4U/LRf
これでは鋸挽きにされてもしかたないわな。

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 12:09:38.99 ID:kPdA4y9I
こりゃひどい

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 12:50:21.49 ID:sgc4N9xr
これってつまり、主君をだまし討ちにしたんだよな
いったい何がしたかったのやら

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 13:01:00.57 ID:fTGb8jWK
家中で嘲笑される原因となった嘉隆への意趣返しじゃねーの

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 14:24:38.60 ID:Owk1gkJk
自分のちょっとした言動が、相手を予想以上に傷つけるんだよな
そして痛いしっぺ返しを喰らう
九鬼親子はとんだ災難だけどさ

豊田は忠臣ぽいのに、まわりは追い込むような真似をしちゃいかんわな
あとでまわりの連中はどう思ったんだろうな

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 14:38:31.09 ID:CX5ggUOf
忠臣……かぁ?

メンタル弱くて保身第一な様にしか思えない。
上手に嘘をついて事態を好転させられる技量があるならともかく、
その技量が無いのに嘘を重ねたせいで、自爆しただけっぽい。

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 15:26:34.40 ID:+M2qyL64
後の成り行きはアレだけど、発端の城明け渡しの件は実際問題として
考えたら判断難しくはあるな。
特に九鬼なんてほとんど嘉隆一代で成り上がったんだし、真田の小松さん
みたいな鬼嫁くらいじゃないとなかなか突っぱねるというわけにもなあ。

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 16:00:59.27 ID:9NeyyLrr
せめて一当て程度でも戦ってれば多少の名分も立つもんだけどね

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/04(水) 16:27:38.76 ID:yV0/qDoC
城の明け渡し自体は仕方ないかもだけど、
結局、嘉隆の為に動いているわけでも守隆の為に動いてるわけでも、
自分に明確な目的(大関、宇喜多系でもいいから)があるわけでもなく、
向ける相手の違う恨みと保身のために動いてるから、人間らしいっちゃらしいんだが、
自業自得で同情できない気がする。
スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    悪いなあっ!こいつ悪いよー!
    義隆パパにしてみりゃ「えっ、許してくれるの!?」で天にも昇る気持ち、
    でも途中で「あ、やっぱウソなの?」でガックリだよ。この落差はすごいよ。
    守隆だってなあ・・・、口惜しかっただろうよ。
    なんか非常に腹立つ!

  2. 人間七七四年 | URL | -

    九鬼家って関ヶ原で東西両方についてどちらが勝っても家が残るようにしてたんじゃなかったっけ

    そこいらへんをうまく誤魔化して父の暴走と城代の開城ってシナリオにリアリティもたせるために父親諸共城代にも死んでもらったんじゃなかろうか・・・?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    この間いってきたぜ鳥羽城
    墓は離島にあっていけなかったが
    せめて息子と一杯のんでから死んでもよかったと思うんだ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >これでは鋸挽きにされてもしかたないわな。
    禿同

  5. 人間七七四年 | URL | -

    明け渡しの際は、
    「隠居でも長年仕えた主君には逆らえず」
    「西軍にだって十分な勝ち目と大義名分があった」
    「遠く離れた現当主とは連絡つかず」

    切腹の際は、
    「この状況では、先手を打って切腹が、
     御家と御隠居の尊厳を守る唯一の策」
    だったわけで。
    誰があの時点で、九鬼の御赦免を想像できるよ?
    ここまでは忠臣と解釈することもできる。


    「やっべー」
    ってなったあとの知らぬふり、が問題なだけ。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    しかし、豊田を哀れんだ領民達が慰霊碑作るんだけど、守隆はそれ知ってもお咎め無し。

    どうも守隆と豊田が組んで一芝居うったように思えてならんのは私だけ?

  7. 人間七七四年 | URL | -

    慰霊碑許したのは「さすがに鋸引きは酷かったかな…」って思ったんじゃないの

    恨みを呑んで死んだ者は祀らないと祟る、って考えもあるかも

  8. 人間七七四年 | URL | -

    関係者を死なせて問題終結したことにして、それ以上の追求が行われないようにするという安全策の一種なんじゃない?
    何よりも「御家」を第一に考えるから、後に火種になりかねない負けた側についた父やその協力者に死んでもらっても禍根を断っても不自然じゃない

    しかし、何故豊田個人に問題があったような逸話として残っているのかが不思議
    九鬼家を飛躍させた嘉隆の名誉を守るために豊田が悪役となる話になったのだろうか

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ここに比べると真田は恵まれてるな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    俺も嘉隆の名誉を守るために豊田が汚れ役を買って出たのでは無いかと思う。
    鋸挽きも建前を強調する演出っぽい。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    流石に建前や演出で鋸挽きはちょっとやり過ぎな気が。

    死に至る苦痛も半端じゃないし、武士の最期としては最低な扱いだし。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    普通に死んだのを後から「鋸引きで死なせた」ことにしたんじゃないかってこと
    そうすることで、豊田個人が引き起こした問題ということで嘉隆の名誉も守れるし、豊田本人が刑死してるのでそれ以上の追求(東西両方に味方してた件について)も回避出来るようになる

    東西両方に味方したんだから、決着がついた後は負けた側についた人達に追及のネタにされないような手段で責任をとってもらわないと、あとで改易の口実になったりして両方についた意味がなくなるからね
    家のためになら何でもやるよ、この時代は。というかこの局面では。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    なんだか、ここの住民の手にかかってこの逸話に
    「…という話にしようと、豊田と守隆の間で話が持たれたのである」
    なんて一節が付されそうだなw

  14. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | -

    この話、子供のときに読んでえらく印象に残ってるんだよな。
    ノコギリ引きの話とか特に。
    小学校2~3年の時に読書感想文にした記憶がある。
    かなりアカン子のような気がするとけど。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ただ九鬼家は豊臣政権下でも只の一石も領地増やしてもらってないはず。
    徳川幕府になっても海のない三田に行かされたりと結構酷い扱い。

    特殊技能持ちゆえに嫌われたのかねぇ

  16. 人間七七四年 | URL | -

    豊臣は毛利の配下・従属水軍衆がお気に入りだったからであろう

  17. 人間七七四年 | URL | YzOVvsF6

    米15
    >海のない三田に行かされたり…
    三田に飛ばされたのは家中のゴタゴタが一因でしょ

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/5382-2a2a540e
この記事へのトラックバック