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南部下野守処分

2011年05月08日 00:00

452 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/07(土) 10:18:17.39 ID:3NWP63AF
武田家に仕える南部下野守が、家臣を成敗しようとして失敗し、逃亡され追い回していたときの事である。
その家臣が刀を手に逃げ込んだ屋敷に偶然居合わせた山本勘介は、刀を抜かずに近くにあった木の棒で応戦、
3ヶ所ほど軽い手傷を負ったものの、相手を捕らえた。ところが、本来であれば礼を言う立場の下野守は、

「兵法家を名乗っていながら手傷を負うとは口ほどにもない。」

と悪口を言いふらした。これを知った信玄は、

「傷を負ってでも敵を倒すのが本当の兵法である。刃を持った相手に木の棒で立ち向かった勘介を
 嫉むとは許し難い!」

と激怒した。
本来なら処刑する所だったが、それでは勘介も迷惑だろうからと下野守を甲斐から追放したのだった。




453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 15:45:43.32 ID:MvNXsYxd
兵法家の山本勘介は実在してないんでしょ?

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 15:55:08.99 ID:+GeF6mwg
三国志的な軍師、兵法家としての山勘は怪しいけど、
戦国時代の兵法家は剣術等の武芸者のことだから、信憑性に問題はない。

このスレ的には実在してなくても問題ないんだけど。

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 15:56:08.01 ID:h0fH9uAZ
軍鑑そのままの山本勘介ならね

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 16:16:32.97 ID:iQ/Gjd2a
冗談抜きでこのスレの逸話の90%は後世の作り話

457 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/07(土) 19:02:30.35 ID:EYdKoaqb
しかも出典がないのが大半だから近現代の小説が混じっててもおかしくないしな。

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 19:03:10.99 ID:4w+ddfVk
>>456
割合もっと高いと思うよw

永年甲陽軍艦の有効性を研究してきた平山優は、山本管介を、
信玄の外交官として西上野や信濃で活躍したそれなりの身分の武将としている。
逆に、懐疑的な笹本正治は、山管は武田の使いっぱしり説を堅持してる。

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 20:01:08.38 ID:qnp9Mh1B
それなりの身分じゃないと使いっ走りもできないんじゃないの?w

460 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/07(土) 20:05:50.20 ID:0AFeg59n
子孫の五十六もだけど軍師ならもっとマシな死に方してくれんかと。

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 20:26:41.07 ID:1DZnSr9I
五十六は子孫だったのか??

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 20:30:18.72 ID:sBPae0tq
使番って重要機密預かるから、身分の大小よりむしろ君主との個人的信頼じゃないかね。

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 20:30:57.88 ID:eMeQapDI
>>461
高野家から山本家の養子だけどね(高野五十六ときくと、某仮想戦記を思い出す)、
長岡藩の山本家は三河山本氏からで、
三河山本氏は山本勘助の弟・山本帯刀の子孫ってことになっているらしい

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/07(土) 20:59:29.89 ID:0dQDWWEr
だからなのかな、前から山本勘介の墓が岡崎市にひっそりとあるのが不思議だった

http://hattoris2.sakura.ne.jp/sookazakikannsuke070415.htm
476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 00:18:23.40 ID:Qp/mPuqf
>>464
へー岡崎にもあるんだ。
豊川にも勘助の墓があるよ。

http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/tousan/tou051.htm
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    甲斐で南部っていうと、東北の南部と同族なのかな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    自称・南部光行の末裔だそうで。
    南北朝時代までは南部氏支族が甲斐南部城を領していたのは事実っぽいので、
    恐らく三戸の南部氏の遠い一族になるのかな、と思います。
    (というか南部城が故地なんだから、甲斐南部氏の方が本家になるのかな)

  3. 三 | URL | -

    甲斐武田氏も発祥は常陸国那賀郡武田郷(現ひたちなか市武田)だからね。
    奥州征伐の恩賞であのあたりの地を拝領したんじゃないかな。
    福島の相馬氏も元々は下総国相馬郡(相馬御厨、現茨城県取手市付近)だし。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    へーへー

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    武田氏は常陸国那珂郡武田郷と甲斐国北巨勢郡武田村の両説があったんじゃ…
    そしてそのせいで佐竹義重と武田信玄が嫡庶論争していた気がします。

    奥州征伐の恩賞で三戸に土着したのが南部光行になります。
    ちなみに甲斐国南巨摩郡南部村をもらったのは石橋山の恩賞らしいんで、
    南部氏の主流が南部村にいたのは10年足らずということになります。

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