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宇喜多次郎九郎等、千人切と称し

2011年05月09日 00:00

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:22:24.10 ID:sSdH1ro8
多聞院日記と顕如上人貝塚御座所日記の記載より
天正14年3月3日
是より先、宇喜多次郎九郎等、千人切と称し、大坂に於て、人を要殺す、是日、秀吉、之を捕へ自殺せしむ

どうも大名衆の息子4,5人が千人斬り目指して、大阪で人を殺しまわっていて、すでに5,60人も死者が出てから
捕まったみたい。
多聞院日記の同年2月21日に大谷紀之介が、悪瘡を治すために千人斬りをして、殺した人の血を啜っているらしい、
と書いてあるけど、この記述のあとに大谷紀之介のことはただの噂だったね、とあるんで疑いは晴れたようです。
宇喜多次郎九郎がどういう人物なのか不明だけど、そうある姓じゃないんで秀家の親戚だろうね。



97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:27:22.89 ID:iz42pG+B
尋常じゃないな、この話。宇喜田の血族にはなんか呪いでもかかってるのかね

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:36:01.84 ID:h0W2Azpy
娘たちの恨み

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:37:08.96 ID:VboUssdr
前後三代分の良心が忠家と秀家に集中配分されたんじゃね?

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:59:01.27 ID:eAI+U6WX
宇喜多って血族少ないイメージあるけどそんな親戚いたんだろうか
そうとう前の分家かなあ
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    「ちょっと」悪い話か?これ・・・

  2. 人間七七四年 | URL | -

    二郎九郎の通称で考えると、忠家の息子(九人目の子供)か秀家の弟の子供の可能性があるから、従兄弟か甥にあたる。
    宇喜多姓を貰った家臣の息子とも考えられる。

    という人物。
    いみなが伝わってないのは身分が低いからか高いからか…。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    何時の時代もボンボンは、ろくな事しませんな・・・。
    ま・大谷さんの方は、それだけ注目を集める武将だった証なのでしょう。

  4. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | -

    >>大谷紀之介
    これ大谷吉継のことだよ。

    ソース
    ttp://www.geocities.jp/hosinoufo3/ootani-yositugu.html

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ↑多分それ位みんな知ってると思われ・・・・。
    だって「悪瘡を治すために」って書いて有るやん・・・・。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    その「悪瘡」自体が流言飛語の類だろうね
    当時吉継は秀吉の側近として活発に他家と折衝したりしていたのに、誰もそこに言及していない
    (宣教師の記述にすらない)

    少なくとも朝鮮陣までは他人から見てわかる病ではなかっただろう
    病床から回復した後も、結構他人と行動を共にしていたりするから、感染する病とは思われていなかったんじゃないか

  7. 人間七七四年 | URL | -

    >6さん
    >「悪瘡」流言
    俗言われている、「顔が崩れたから頭巾かぶってる」って奴が、本当にどの辺り
    の時代からかなのかに依るでしょうね。
    少なくても、茶会の逸話が有るからその前辺りからは完全に重い病として認識が
    あったとは思うのですがね。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    濡れ衣着せられていた大谷さんかわいそ。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    大谷の冤罪は一週間で晴れたみたいだけどね

    大谷を容疑者として秀吉に告げた大坂の町奉行衆は処罰されてるし、
    なんか政争を感じるな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    茶会の逸話っていうと回し飲みのやつ?
    あれは福本日南が書いたもの以前に遡れないはず
    かの名将言行録にすら載ってない話なので、作られたのはかなり最近だよ

    顔が崩れたから頭巾を被ってたってのは常山紀談の時点ではそれほどメジャーではない、もしくは「誤り」と思われていたようだ
    (「目を病て士卒は皆平塚に下知せさせ、練絹の小袖の上に村蝶を墨にて書きたる鎧直垂を著、四方取はなしたる竹輿に乗たる」とある)

    重い病だったのは確かなようで、鹿苑日録にある慶長2年9月頃秀吉が吉継の見舞いに行った下りに病気で三~四年出仕していなかったようだと書かれてる
    これにも秀吉の他家康など何人か連れて行ってるし、秀頼の元服の際にも列席してる
    これをふまえて「悪瘡」も真であるとすると、疱瘡の痕かなとも思う
    誰だったかど忘れしたが、朝鮮陣で天然痘だかを患って失明した武将がいるらしいし、その類かも

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※10自己レス
    ×秀頼の元服
    ○秀頼の中納言叙任

    申し訳ない

  12. 人間七七四年 | URL | -

    >10さん
    >病気
    一般に知れているのなら「ハンセン病」。もしくは「梅毒」も考えられている
    様ですね(こちらは個人的には合って欲しく無いですね、人物的に)。
    天然痘はちょっと聞いた事は無いですが、皆無でも無いでしょうね。
    (でも天然痘は当時でも大変怖い病気。心配性の家康がわざわざ天然痘患者の
    所へ行くかな?<感染力が高いって事は当時でも知られて居たと思う)

    まぁ何にしても、逸話ですからね。マジツッコミしても面白みが無くなりますね。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    何かしらの病気が重症化してたのは確かなんだろうねぇ

  14. 人間七七四年 | URL | -

    松方弘樹の方の「千人斬り」はガチw

  15. 人間七七四年 | URL | -

    >12
    秀吉が見舞いに行ったのは病気がよくなったからだよ
    そのちょっと後くらいから復帰してるから、この時期にはもう大分よくなってたんだと思う
    文禄三年の暮れには花押が書けないくらい目を病んでたようなので、本格的に患ったのは朝鮮から帰ってきてすぐくらいじゃないか?
    ただ本土帰還後は普請奉行等で忙しく働いてたから、もし天然痘みたいなメジャーな病気だったら記録が残りそうなもんだけどね

    病んだ時期とその後の経過からして、少なくとも梅毒ではないんじゃないかな
    一般に言われるハンセン病も、状況を見ると疑わしいんだけどね
    とりあえずハッキリしてるのは目を病んだ後にまるまる三年近く病みつき、復帰後も特に人から避けられることはなかったって感じかな

    でも死病をおして戦う、ていうの方がグッとくるのは確かだw
    吉継は武辺話における悲劇のヒーローポジションだよねぇ

  16. 人間七七四年 | URL | -

    某ゲームの「大病に侵され、世を恨んで大戦を企てる」設定は酷かったな

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