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石田三成の大津城訪問

2011年05月15日 00:03

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/14(土) 00:09:25.49 ID:mBAtBIRG
関ヶ原の時のこと。

石田三成の挙兵後、毛利輝元を大阪城西の丸に入れるなど、西軍は一応の体制を整え方針も決まり、
三成は一旦、その領地である佐和山へと帰った。

と、その途中三成は京極高次に対面したいと、使いをその居城、大津に送った。
京極高次はかねてより徳川家康と親しい人であったが、三成の要請を受け入れると、本丸から三の丸へと移動した。

三成は大津城大手門の外で、乗り物より降りた。その日は小雨が降っており、三成は羅紗の合羽に塗笠をかぶり、
手回りだけの少人数で城内へと入った。
高次と対面すると、三成は手を付き頭を下げ「天下泰平の時が参りました」そう挨拶した。
高次はこれに

「治部殿に取って元より余儀なき企てであれば、必ず本意を遂げられることでしょう。
このような時期、一刻も早く帰城して様々な評定を成したい所でしょうから、わざと本丸よりも
出口に近いこの三の丸まで出向いて、お目にかかりました。」と返す。

さてその頃、京極高次の重臣、安養寺門斎は同僚の黒田伴與に向かってこう主張していた

「この一乱の張本人である三成がこの城に来たというのは、正に天の与えた好機である!
いざ三成を召し捕り、大手の門前にいる三成の勢を討ち取ろう!」

しかし黒田はこれに同心しようとしない。そこで同じく重臣である山田三左衛門赤尾伊豆も呼び
再びこの事を語ったが、3人共に同意せずこう反論した

「今三成を手篭めにすれば、敵の大軍が寄せきたりてこの城は攻め滅ぼされてしまうだろう。とにかく落ち着け!」

しかし安養寺は負けずになおも語る
「先日、殿(高次)は我らを召しだして何とおっしゃったか!?『三成常に奢りを極め、今また無益の乱を起こした。
であれば私は、天下の御為に神明を捨てて内府(家康)に属し、かの三成一党を誅殺する。お前たちも
忠義を成すべし!』そう、仰せられたではないか!

その上は今更滅亡など恐れるべきではない!それに、三成を召し捕えれば敵の大軍が囲むから
籠城しても危うい、というのは心得難い。殿が三成一派との対決を決意している以上必ず戦端は開かれるが、
仮に三成を何事も無く佐和山に帰したとしても、その時寄せての人数が少なくなるとでも言うのか!?

もし、そなた達の言うように敵の大軍に攻め囲まれ籠城が終に成し難くなれば、その時は三成を刺殺し、
宰相殿(高次)へ御自害を勧め、我らは一箇所に並んで腹を斬れば良いのだ!」

「お主の言うことは確かに理がある。が、内府のために京極の御家が断絶するのでは納得できようはずもない。
その上現在の状況は、三成一人を殺したからと言って世の中が治まるというものではない。
とにかくそういう考えはやめるべきだ。」

これに安養寺怒り
「そなた達の言うところは、宰相殿の一筋なるご心中と相違しているではないか!
先日私が少しばかり申し上げることがあって殿の御前に参った折、殿はこのように言われた

『去去年より伏見・大阪にあって内府に心を寄せたこと、これは私の粗忽の上ではない。
また、太閤の恩を忘れて、私的な好を求めたのでもない。心に一片の後ろめたさはない!』

このようにはっきりとした表明を承っているというのに、我々は別の思案を成そうとしている。
もし、敵味方の筋目について各々が未だに疑念を持っているのであれば、これからその事を議論しよう。
ただし!当家の存亡を重視するあまり、東西の勝負が決着するまでに議論が終わらない、などと言う事態になれば
必ず後悔しますぞ!」

しかしこのような議論をしている間に、三成は高次の前を退去し城を出てしまい、安養寺の企ては終に虚しくなった。
石田三成の大津城訪問に関する逸話である。(関原軍記大成)





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    ここで殺されてたら一気に瓦解したかな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    たぶん、史実以上にグダグダだったろうな・・・

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >今三成を手篭めにすれば

    手篭めと聞いて性的な意味を思い浮かべた俺は
    どこかゆがんでいる…

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >>1
    していたとは思う。

    思うからこそ三成の能力は高く評価せざるを得ない。
    性格や人格は立場というものがある以上、判断が難しいけど。

  5. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | -

    >3
    ナカーマ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    まず手篭めにそれ以外の意味がある事を知らなくて、
    驚いて二度見した上に辞書で調べた自分が恥ずかしい

  7. 人間七七四年 | URL | -

    まあ三成が死んでたらどっちに転んだかはわからないのが面白いよね。
    毛利輝元か宇喜多秀家が全体を指揮せざるを得なくなっただろうし。

    でも京極家って高次死んでも高知がいる気もする。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    これは後世のわしらの見解、になるけど、

    >毛利輝元か宇喜多秀家が全体を指揮

    となってしまったほうが、
    ひょっとして勝ち目があったんじゃなかろうか?
    毛利勢が全動員されることになるし、
    宇喜多秀家だって若いけど格は高いし大領だし前田縁戚だし秀吉関係だし。


    ただ、金吾ちゃん、って可能性もあるよ。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    もしかして、京極高次は武将扱いされてなかったりして。

    領地と城は持っていても、
    存在根拠の大半が豊臣や徳川との姻戚関係なものだから、
    「貴人」のカテゴリーで捉えられていて、
    重武装してから会うべき相手とは
    思っていなかったのではないか?と深読みしてみた。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    米8
    三成もそう考えたらしく、最初に秀家、ついで輝元に総大将をゆだねた。
    秀家は断り、輝元が受けたものの、TERUさんやっちまったもんだから、現場責任者として三成が「お前が始めたことだろ」と責任を取らされる形になった。
    指揮系統と意思の一本化ができていなかったのが西軍の敗因。


    500円くらいで売ってる歴史の真実的な本によると、現場責任者を金吾殿に任せようとして、金吾本人もその気になるんだけど吉川広家が「内府殿に勝てるつもりか。火中の栗を拾うなかれ。そもそも三成のやろうがすべて悪いんだ。お前の大嫌いな三成の野郎を除く好機じゃないか」と説得して思いとどまらせたという話があるらしい。
    吉川広家と毛利輝元、両名ともに「徳川殿の下でのほほんと暮らしたい」という覇気のない考え方をしていた結果だった。と締められていた。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    蛍の城って小説思い出した あれは面白かったな

  12. 人間七七四年 | URL | -

    腐気持ち悪

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