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豫州河野家の木鉄砲

2011年05月24日 01:12

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 11:30:39.39 ID:mqf8o2ov
永禄年間(1558~70)、伊予の河野通直は、安芸・毛利氏の拡大に対抗するため
豊後の大友義鑑(宗麟)と同盟した。

さてその頃、鉄砲の技術の先進地といえば永正よりこのかた、豊後大友家だとされていた。
そのため河野通直は友好関係を利用し大友家に頼み豊後府中より鉄砲技術者を派遣してもらい、
家中の者たちに煙硝の採取の仕方、弾薬の製造方法などを学ばせ、火器を大量に生産した。
この鉄砲の大量装備により河野家の防衛力は格段に強化され、その鉄砲術は
「河野流」として東国まで響き渡ったという。

しかして、瀬戸内海で中国、九州と面する長い海岸線を持つ伊予において、
その海邊を守るには鉄砲の砲弾を大きくすること、すなわち大筒の製造こそ
最も効果があると、当時の河野家は考えた。

ではあるが、ノウハウが無い以上すぐに大筒を作ることは無理である。
そのため河野家は大筒製造のため様々な研究を始めた。

ところで河野家が考えたのは、木の砲身の大筒であった。おそらく金属の砲身を作るような
鋳造技術がなかったためであろう。

まず、松の生木を繰り抜いて砲とし、これに金輪をはめてしっかりと固め、
この砲径に合わせた弾丸を作り弾薬を調合して発射実験を行った。
が、これは弾丸を撃ち出すと必ず砲身も破裂し、とても実用に堪えるものではなかった。

次に、同じく松の砲身を今度は縄で巻いた物で試したが、やはり砲身は壊れた。
このように様々な実験を繰り返したものの、どれも上手く行かなかった。

そんな時、ある者が工夫をなして、竹の輪を作って砲身を桶のようにせめ懸けて固め、
これで弾丸を発射。何と、これだと木筒は破損せず弾丸は無事発射された。

この事を喜んだ河野家は、さらに木筒の技術研究を薦め、その運用術も様々に実験した。
そして海邊にこれを多く設置し、敵船が攻め上がってくれば間近まで引きつけた上で
高楼より下に向かってこの大筒を発射。これに当たればいかなる大艦もたちどころに
破壊され、河野の大筒の威力に敵はあえて伊予の海邊に近づこうとしなかったという。

豫州河野家、木鉄砲のおはなし。
(南海治乱記)




773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 11:36:11.07 ID:Df+DbdQY
伊予の大名さんは研究好きだね

幕末の伊達も色々やってるけど

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 16:42:10.62 ID:wmKs6MBJ
大坂の陣でも登場するし
木砲って意外と頻繁に使われていたのかな。

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 16:52:49.84 ID:s4/UxCrB
木砲良さそうだけど火薬が大量に必要そう
貧乏大名じゃ気軽に発射出来ないな

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 19:34:28.92 ID:Iiy+65HJ
鉄製の大砲は輸送面で問題がでるそうだ。
道は悪いし、山道が多くて、重い鉄製の大砲は避けられたらしい。

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/23(月) 20:05:26.96 ID:/vQHDJKn
モンゴル軍ばりのカタパルトはダメだったのか。

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/24(火) 22:26:20.69 ID:pCDoygft
>>776
携帯に秀でた大砲といやあグスタフ2世アドルフだな
その名も皮製大砲<故障が多かったみたいだがな
だがスピードと破壊力は現代を凌ぐほど凄まじいものがあったらしい、確か検証してた
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    宗麟は義鎮じゃないか?

    義鑑は宗麟の親父だろ?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >モンゴル軍ばりのカタパルトはダメだったのか。

    バリスタとかならローマ軍が大隊砲や連隊砲のノリで直接火力支援用に運用
    してた例も有る様にそれなりに機動性も可搬性も有るが、カタパルトだとか
    トレビショットとかのレベルで役に立つ威力があるとなると、大砲より始末
    悪そうだが。
    まあどの道、その類は運用に技術と経験の蓄積を要するのは火器とかわりゃ
    しないので、そんな持ち合わせが無いなら調略した方が手っ取り早く確実性
    も高いもの。

  3. 人間七七四年 | URL | FJ2gfIhk

    大陸の攻城兵器は主要部分以外は基本的に現地製造だから道路状況は
    考えなくても良さそうだけど、日本の城の周りは山岳地帯や湿地帯など
    地盤が悪いところが多いから使い物になるかどうか?
    渡河なんてもっての外だし。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    大塩は紙で作ってたような。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    大坂の陣あたりでも、紙製の使い捨て大砲を真田信繁自ら作って使用した。
    みたいな逸話が、光栄から出てたノブヤボ攻略本に載ってた気がする。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    和製カタパルトなら「霹靂車」があったけど、南北朝時代の時点ですでに廃れてたような…

  7. 人間七七四年 | URL | EBUSheBA

    南海治乱記の巻7 14の河野道直海邊守記からですね。
    南海治乱記は公開されているので、読みたい方は、こちらからどうぞ。
    ttp://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950645/1

  8. 人間七七四年 | URL | -

    永正?永禄でしょう。おおともは種子島時尭から教えてもらったんだから。

    臼杵鑑速「教えろ!」

    種子島時尭「えええええええーっ」

  9. 人間七七四年 | URL | -

    河野流と呼ばれたってことは、大友氏では盟友にしか教えない機密が河野氏から流出したってことかな

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