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秀次事件・秀忠脱出作戦!

2011年05月28日 00:00

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/27(金) 01:58:33.30 ID:/kq3CsKx
文禄4年(1595)、秀次事件の時のことである。

関白豊臣秀次謀反の噂高まった頃、当時京の徳川家の屋敷には、当時16歳の徳川秀忠があった。
秀次はこれに目をつけ、たばかって秀忠の身の上を確保し、その上で人質を盾に
徳川家康を頼って太閤秀吉に申開きをすべし、と考える。

4月3日の早朝、徳川家の屋敷に秀次よりの使者が来た
これに対応したのは徳川家重臣、多くも忠隣である。

「今朝は朝食をご馳走したい。どうぞ聚楽へと参るように。本来なら昨夜のうちに
伝えておくべきだったが、いささか事にまぎれてしまい、今になった。」

使者はそう忠隣に語り、直ぐに秀忠をつれてくるよう要求する。が、忠隣これに

「仰せ、承りました。ですがその…、秀忠様はまだ幼く、いつも日が高く上がってから
漸く起きだすのです。
関白殿下へのご返事が遅れるのは大変憚るべきことですので、お使いの方々は
一旦お帰りになって、この事を関白殿下にお伝え下さい。
忠隣は秀忠様が目覚められましたら仰せのことを伝え、必ず聚楽に参らせます。」

と、使者を返す。勿論秀忠が未だ寝ているなど、嘘である。忠隣はすぐさま土井利勝をお供に、
秀忠を密かに伏見の屋敷へと移し、その上で自身は京屋敷に留まった。
そのうちに秀次の使者が再び、催促のためであろう、徳川屋敷に訪れた。
忠隣これに対面して、曰く

「いやはやそれが、秀忠様ですが、かねてから茶会の約束があったそうで、今日の早朝、
伏見に行かれたそうなのです!私はその事をまるで知りませんでしたから、又いつものように
日が高くなってから起きる事よとばかり思っていたところ、たった今この事を知らされ、
返す返すも恐れ入ることでございます。」

と、心底恐縮している体で謝罪する。時間は既に午の刻あたり(正午ごろ)、追いかけて戻すことも
もはや無理であり、使者は如何とも出来ずそのまま戻っていった。
秀次は大変口惜しく思ったが、程なく切腹し果てられた、とのことである。

大久保忠隣の、秀忠脱出作戦についての逸話である。
(藩翰譜)




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    逸話とは言え、人質取るなんて情けの無い書き方される秀次カワイソす。

    これは忠隣の機転の利いた良い話ですね。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    恐れ多くも忠隣

  3. 人間七七四年 | URL | -

    人質かどうかはともかく、あのときのラスボスの発狂ぶりからして秀次に関わってたら命が危なかったのは間違いない

  4. 人間七七四年 | URL | -

    かっけー

  5. 人間七七四年 | URL | -

    程なく切腹し果てられたって・・・

  6. 人間七七四年 | URL | -

    >多くも忠隣
    誤字?大久保では?

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