178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 23:52:50.72 ID:lp2z3JYz
嘉永九年(1632)六月、福岡藩主黒田筑前守忠之の家老、栗山大膳が主人の不行跡を幕府へ訴えでた。
いわゆる黒田騒動に対し、幕府では黒田家の取り潰しを決行しようとした。
だが、その席で井伊直孝が反論を唱えた。
「大膳の訴状を読みましたが、特に領地を没収せねばならんような罪科はないですよ?
大船建造のことも忠之公本人でなく先代の長政公の時のことでしょう、今更咎めるのは無茶でしょう。」
更に直孝は指摘する。
「大体忠之公の謀反自体がデマでしょうこれは。
大膳がしばしば諫言したから、城中に呼び出されて毒殺されかけたと書いてますけど…
そもそも家臣に罰が与えられないからって、毒殺しようとする奴が幕府に謀反なんて無理でしょうw」
と主張した。その直孝の主張に対し、将軍・徳川家光は冷やかした。
「おい直孝、お前忠之を贔屓すんのかね?」と。直孝の返答は以下のとおりである。
「贔屓なんてしませんよ。忠之公は蜂須賀蓬庵(家政)と不和です。
私は蓬庵の娘婿ですが、辿れば私にとっても恨みはありますよ。
私は、理あるところを以て、公論を申し上げただけに過ぎません。」と。
黒田家の取り潰しは、この閣議によって沙汰止みとなったとされる。
(名将言行録巻之六十一より)
嘉永九年(1632)六月、福岡藩主黒田筑前守忠之の家老、栗山大膳が主人の不行跡を幕府へ訴えでた。
いわゆる黒田騒動に対し、幕府では黒田家の取り潰しを決行しようとした。
だが、その席で井伊直孝が反論を唱えた。
「大膳の訴状を読みましたが、特に領地を没収せねばならんような罪科はないですよ?
大船建造のことも忠之公本人でなく先代の長政公の時のことでしょう、今更咎めるのは無茶でしょう。」
更に直孝は指摘する。
「大体忠之公の謀反自体がデマでしょうこれは。
大膳がしばしば諫言したから、城中に呼び出されて毒殺されかけたと書いてますけど…
そもそも家臣に罰が与えられないからって、毒殺しようとする奴が幕府に謀反なんて無理でしょうw」
と主張した。その直孝の主張に対し、将軍・徳川家光は冷やかした。
「おい直孝、お前忠之を贔屓すんのかね?」と。直孝の返答は以下のとおりである。
「贔屓なんてしませんよ。忠之公は蜂須賀蓬庵(家政)と不和です。
私は蓬庵の娘婿ですが、辿れば私にとっても恨みはありますよ。
私は、理あるところを以て、公論を申し上げただけに過ぎません。」と。
黒田家の取り潰しは、この閣議によって沙汰止みとなったとされる。
(名将言行録巻之六十一より)
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コメント
人間七七四年 | URL | -
もし忠之と又兵衛が交われば一体どんな化学反応が・・・
( 2011年06月17日 01:23 )
人間七七四年 | URL | -
直孝さんの話はいつもカッケーな。
( 2011年06月17日 07:00 )
人間七七四年 | URL | -
個人的にはこのエピがもっと知られて居れば良いのにと思う。
相変わらず「忠之が大船作らせた」と嘘書く漫画家とか居るから。
( 2011年06月17日 16:40 )
人間七七四年 | URL | -
そういや、みなもと太郎が黒田三代についての漫画書いていたけど
官兵衛:巷説通り天下狙うきまんまん
長政:親父のせいで家康に睨まれ、大阪の陣では江戸城に留め置かれたが、
大阪城にひそかに米を送って、再び乱世を期待
忠之:大船建造とか謀反をする気あり、それを察した忠臣栗山大膳が幕府に報告
となってた
ところで福島正則が大阪城の兵糧接収をあえて止めなかった話はあるけど、
黒田長政にもそんな話しあったっけ
( 2011年06月17日 17:15 )
人間七七四年 | URL | -
大船造らせたのが大嘘というか、もともと長政時代にあったけど
頓挫していた事業を今更忠之が空気読まずに再開させただけ
足軽増やしたのも派手な大船も幕府に刃向かうためではなくて、
わかりやすい中二病を発症したようなものだと思う
( 2011年06月17日 18:07 )
人間七七四年 | URL | -
>5
だからさ、それらの行為は忠之だけの責任じゃない筈ですよ?
家老以下、重臣達が知らない訳が無いのですから。
挙句、中二病って・・・。そんな生易しい状況じゃない。
ちゃんと自身で江戸の大老達へ弁明もしてもいるのに。
どうしてそう言う風に解釈して歪め様とするのかねぇ。
( 2011年06月17日 19:57 )
人間七七四年 | URL | -
※6
ただ、忠之が最大の責任をとるべき立場だったのは確かだからなあ
叛意の有無はともかく(というか、なかっただろうとは思うが)、
軽率な行動があったのは否定できない
( 2011年06月18日 01:39 )
人間七七四年 | URL | -
もちろん、忠之一人が悪いわけではないけども、
忠之が父時代からの老臣とのコミュニケーションを避けていたのは確かみたいだからなあ
先代の寵臣や側近を遠ざけて、自分の扱いやすい家臣を登用する、
というのは、それこそ父(長政)も息子(光之)もやってることであって、
しかし、こういう大事になったのは忠之の至らなさがあると思うよ
まあ、黒田家の構造上こういう衝突が避けられなかったところはあるけどね
( 2011年06月18日 01:56 )
人間七七四年 | URL | -
>新旧家臣の軋轢
時も今も、何かしらの経営を受け継ぐって言う部分でも同じ事が起きますよね。
先代の部下と現代の部下での意見の食い違いや、態度の違い。
忠之の場合は、何も只の我儘で新規家臣を重臣に取り建てたのでは無くて、改革
と言っても良いと思う。大体の役職はかつての功績を持っての世襲だから。
これは何処の大名家でも言える事でしょうしね。
( 2011年06月18日 03:37 )
人間七七四年 | URL | 9L.cY0cg
井伊直孝の逸話なのに殆ど直孝に関してコメントされてなくてワロタ。
( 2011年06月18日 19:57 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
何この超必死な忠之擁護
( 2011年06月18日 21:38 )
人間七七四年 | URL | -
うむ。
この逸話では直孝が「黒田の謀反自体がデマ」だといってるし
黒田に関しては、それがすべてだよなあ。
( 2011年06月18日 21:54 )
人間七七四年 | URL | 9L.cY0cg
幕府にも良識ある賢侯がいた、ってことで。
直孝の肝の座り方は異常だぜ…。
( 2011年06月18日 23:28 [Edit] )
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