202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:33:30.20 ID:ToXtkX3b
九戸政実の乱の際、九戸党に味方した者の中に工藤業綱という者が居た。
彼は銃の名手であり、九戸没落ののちは一旦津軽へ逃亡したが、南部信直への恨みから
信直の居城となった福岡へ潜伏し、これを討たんとその機会を窺っていた。
天正20(1592)年の正月12日のこと、正月の賀儀を終えた南部信直は
その日の夜半、わずかな供を連れて窟の観音(岩屋観音堂)に詣でることとなった。
それを知った業綱は銃を持って待ち伏せる。
燈灯を持った間盗役(忍者)の唐式部を先頭として、信直が供の葛巻覚左衛門・大光寺左衛門らと下堂する時、
そばを流れる白鳥川の対岸から大声で信直を呼ばわる声がする。業綱だ。
「我は九戸左近政実を頼りし工藤右馬助業綱と言う者なり。それなるは信直公と見えたてまつる。
ただ今九戸が仇を報ずる間、お覚悟めしませ!」
供の者達が矢先に立ちふさがり「燈灯を消せ!」と狼狽する中
唐式部は冷静に、囮となって飛び出し「大丈夫だ、君はここにおられる!」と燈灯を振り回して大声で護衛に呼びかける
業綱は銃を持ち直して放つ。弾は燈灯に当たってこれを撃ち落としたが、
信直はその隙に危地を脱出、福岡へ帰城した。
その日はあいにく雪が降っていたが、捕縛の為に数百人が集まり、遂に業綱は生け捕られた。
信直の前に引き出された業綱は
「九戸の仇を討つ為に君を狙いたてまつること既に十余度、天運も既に乾いてこの次第となりました。
早く命をお召しください」と請うた。
信直はこの優れた武士を殺すのが惜しいと思ったか、
「旧怨を捨てて我に使える意があるなら、すみやかに命を許し相伝の家人に列し、長く恩顧を与えよう」
と言い、業綱を許して二〇〇石・三十人の足軽の頭として取り立てた。
家臣達はこの厚遇に「お屋形様のご思慮とはいえ、いかなることか」と怪しんだが、
帰服した業綱はその後君臣の礼を守り、忠義を尽くしたという。
203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:39:33.99 ID:d1NdsFiW
>>202
九戸政実の乱のエピソードを聴くたびに、余程慕われた男なんだろうなぁと思う。
その遺臣達を懐柔する南部信直の器量の広さも大したもんだな。
205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:11:43.88 ID:bEEWcw+u
>>202
信直さんはこれで殺されかけたの何度目だよ…
それにしても、九戸の乱のとき伊達政宗に「俺が仲立ちするから九戸と和睦すれば?」と言われて全力で拒否っていた信直が、
乱後津軽に逃げたり各地で潜伏したりしてた九戸の残党をまとめて再雇用してるんだよなー
けっこう治安が問題になってたらしい
206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:14:48.77 ID:CLfHF30R
>>205
土佐入りしたカズさんだってそうしてるべ
結局そうしないと治まんないのさ
207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:17:43.99 ID:g+sWdfZR
>>202
騙し討ちで、5000人皆殺しのはずが、生き残りがいたのか
209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:31:38.24 ID:ISRMMvsl
けっこう脱出できた人間は多かったみたいよ
津軽あたりには九戸の乱で逃れた者が家臣として雇われているし、政実の末裔を名乗るひともいるそうで
210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:37:51.34 ID:UuaFzrRx
皆殺しといっても「沢山死者が出た」程度のニュアンスで
実際のところ一城一人残らず全滅、ってケースは日本だとなかなか無いよね
212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:02:01.62 ID:58WiPK7p
島原の乱で原城に立てこもった奴はほぼ皆殺し
213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:06:13.56 ID:Ag/wtQST
>>212
つーか原城にこもった連中はむしろ自分から殉死を望んでいた面が強い。
こう言っちゃ何だが、アレは一種の集団自殺だな。
214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:21:30.96 ID:a+E9kFqc
>信直はその隙に危地を脱出、福岡へ帰城した。
俺が無知だったらごめん。なんで東北なのに福岡?
215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:24:37.97 ID:7W0dkHN1
改名した元・九戸城のことっしょ
筑前福岡じゃないよ
216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:30:19.30 ID:ZjbzSMm6
筑前福岡も備前福岡から名前をとって命名されてるし、改名するのは珍しくはないよね
255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 20:12:25.00 ID:NXsH5+NQ
>>202
一時的に恭順しても恨みを忘れず、後に本望を遂げた、もしくは失敗して
処刑された奴もいるんだろうな。
九戸政実の乱の際、九戸党に味方した者の中に工藤業綱という者が居た。
彼は銃の名手であり、九戸没落ののちは一旦津軽へ逃亡したが、南部信直への恨みから
信直の居城となった福岡へ潜伏し、これを討たんとその機会を窺っていた。
天正20(1592)年の正月12日のこと、正月の賀儀を終えた南部信直は
その日の夜半、わずかな供を連れて窟の観音(岩屋観音堂)に詣でることとなった。
それを知った業綱は銃を持って待ち伏せる。
燈灯を持った間盗役(忍者)の唐式部を先頭として、信直が供の葛巻覚左衛門・大光寺左衛門らと下堂する時、
そばを流れる白鳥川の対岸から大声で信直を呼ばわる声がする。業綱だ。
「我は九戸左近政実を頼りし工藤右馬助業綱と言う者なり。それなるは信直公と見えたてまつる。
ただ今九戸が仇を報ずる間、お覚悟めしませ!」
供の者達が矢先に立ちふさがり「燈灯を消せ!」と狼狽する中
唐式部は冷静に、囮となって飛び出し「大丈夫だ、君はここにおられる!」と燈灯を振り回して大声で護衛に呼びかける
業綱は銃を持ち直して放つ。弾は燈灯に当たってこれを撃ち落としたが、
信直はその隙に危地を脱出、福岡へ帰城した。
その日はあいにく雪が降っていたが、捕縛の為に数百人が集まり、遂に業綱は生け捕られた。
信直の前に引き出された業綱は
「九戸の仇を討つ為に君を狙いたてまつること既に十余度、天運も既に乾いてこの次第となりました。
早く命をお召しください」と請うた。
信直はこの優れた武士を殺すのが惜しいと思ったか、
「旧怨を捨てて我に使える意があるなら、すみやかに命を許し相伝の家人に列し、長く恩顧を与えよう」
と言い、業綱を許して二〇〇石・三十人の足軽の頭として取り立てた。
家臣達はこの厚遇に「お屋形様のご思慮とはいえ、いかなることか」と怪しんだが、
帰服した業綱はその後君臣の礼を守り、忠義を尽くしたという。
203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:39:33.99 ID:d1NdsFiW
>>202
九戸政実の乱のエピソードを聴くたびに、余程慕われた男なんだろうなぁと思う。
その遺臣達を懐柔する南部信直の器量の広さも大したもんだな。
205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:11:43.88 ID:bEEWcw+u
>>202
信直さんはこれで殺されかけたの何度目だよ…
それにしても、九戸の乱のとき伊達政宗に「俺が仲立ちするから九戸と和睦すれば?」と言われて全力で拒否っていた信直が、
乱後津軽に逃げたり各地で潜伏したりしてた九戸の残党をまとめて再雇用してるんだよなー
けっこう治安が問題になってたらしい
206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:14:48.77 ID:CLfHF30R
>>205
土佐入りしたカズさんだってそうしてるべ
結局そうしないと治まんないのさ
207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:17:43.99 ID:g+sWdfZR
>>202
騙し討ちで、5000人皆殺しのはずが、生き残りがいたのか
209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:31:38.24 ID:ISRMMvsl
けっこう脱出できた人間は多かったみたいよ
津軽あたりには九戸の乱で逃れた者が家臣として雇われているし、政実の末裔を名乗るひともいるそうで
210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:37:51.34 ID:UuaFzrRx
皆殺しといっても「沢山死者が出た」程度のニュアンスで
実際のところ一城一人残らず全滅、ってケースは日本だとなかなか無いよね
212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:02:01.62 ID:58WiPK7p
島原の乱で原城に立てこもった奴はほぼ皆殺し
213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:06:13.56 ID:Ag/wtQST
>>212
つーか原城にこもった連中はむしろ自分から殉死を望んでいた面が強い。
こう言っちゃ何だが、アレは一種の集団自殺だな。
214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:21:30.96 ID:a+E9kFqc
>信直はその隙に危地を脱出、福岡へ帰城した。
俺が無知だったらごめん。なんで東北なのに福岡?
215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:24:37.97 ID:7W0dkHN1
改名した元・九戸城のことっしょ
筑前福岡じゃないよ
216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:30:19.30 ID:ZjbzSMm6
筑前福岡も備前福岡から名前をとって命名されてるし、改名するのは珍しくはないよね
255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 20:12:25.00 ID:NXsH5+NQ
>>202
一時的に恭順しても恨みを忘れず、後に本望を遂げた、もしくは失敗して
処刑された奴もいるんだろうな。
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コメント
人間七七四年 | URL | -
九戸のほうに、まともな人材が多かったんじゃね?
つか、
明るい時にやれよ>ヒットマン
( 2011年06月18日 01:11 )
人間七七四年 | URL | -
そもそも、南部家の中で九戸は精鋭としての位置付けだから、そりゃ優れた
人材が多数存在したと思われる。
>明るい時にやれよ>ヒットマン
いや、普通は暗殺の類は明るいからこそ阻止され易いのでは?
( 2011年06月18日 04:05 )
人間七七四年 | URL | -
> 205
少なくとも、晴政に2回殺されかけてるはずだから、3回目?
そのうちの1回は毘沙門堂にお参りした帰り(?)に襲われている。
同じパターンで襲われるとか、わざとなのかマヌケなのか解らん。
※1
自分が闇にまぎれられる+燈灯あたりを狙い撃ちすればいい、ってことかも。
( 2011年06月18日 04:15 )
人間七七四年 | URL | -
>わざとなのかマヌケなのか解らん。
自身を使った、「刺客ホイホイ」なのかもしれん。
( 2011年06月18日 08:20 )
人間七七四年 | URL | -
九戸の乱も、結局上方勢が騙し討ちで終結させた戦いだったものな
( 2011年06月18日 11:12 )
人間七七四年 | URL | -
>南部の中でも
本家南部の下で元々、
盛岡南部と九戸と津軽は同格の家臣筋。
ライバル倒して吸収合併。
盛岡さんは北の腹黒さま。
( 2011年06月18日 14:55 )
人間七七四年 | URL | -
目が滑って「工業鋼」に見えた
( 2011年06月18日 20:05 )
名無しさん | URL | -
「我は九戸左近政実を頼りし工藤右馬助業綱と言う者なり。それなるは信直公と見えたてまつる。
ただ今九戸が仇を報ずる間、お覚悟めしませ!」
呼びかけてから狙撃したのが、アホだとは思うが立派な武士らしくもあり命を惜しく思わせたんじゃないかな?
( 2011年06月18日 21:49 )
人間七七四年 | URL | -
>8
「何処の誰が/何の目的で/何をするのか?」。
本人が言わなきゃ普通分からんわな。エスパーじゃないんだから。
あと、こう言う時は目的を相手に伝えるのは当たり前の事だよ。
それだけ「武士の名乗り」って大事なの。アホとかじゃないの!
( 2011年06月19日 12:45 )
名無しさん | URL | -
九戸と津軽は仇敵だけど家臣達は関係ないからね・・・・。
( 2011年06月19日 19:28 )
人間七七四年 | URL | -
>6
「盛岡さんは北の腹黒さま。」
目が滑って「盛岡さんの北は腹黒さま」に見えた。
良い話がいくら投下されても、俺の中で揺らぐことのない「北信愛=腹黒」の公式、のなせるわざか。
( 2011年06月24日 05:42 )
人間七七四年 | URL | -
>>3
毘沙門堂は確か一度目だね
ちなみに二度目も、晴継の葬儀を終えて聖寿寺から帰る所を襲撃されてたり
寺行きは南部さんの死亡フラグだなw
( 2011年07月08日 16:20 )
人間七七四年 | URL | -
でも、へし折るための死亡フラグですよねww
こんだけ命を狙われまくっておいて、畳の上で死んでるのはすごいわ
( 2011年07月12日 21:00 )
人間七七四年 | URL | -
これだけ御堂で命拾いしてると、信心深くなる
( 2012年07月02日 13:51 )
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