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山名政豊の苦難

2011年06月22日 23:34

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/22(水) 00:16:38.32 ID:w0d/BnPG
文明11年、山名政豊の分国・因幡で騒乱が起こった。
私部(きさいべ)郷の地頭・毛利次郎(森二郎)が叛乱し、たちまち因幡一国を
ほぼ手中に収めるまでに勢力を拡大したのである。

とても捨て置けるような状況ではない。
この時在京していた政豊は一刻も早く但馬に帰国し、乱の鎮圧に向かおうとした。

だが・・・
政豊のもとに、次から次へと引止めの使者がやってくるのである。
細川政元の母(政豊の伯母)、政所執事・伊勢貞宗、
ついには日野富子までが政豊の屋敷を訪れ、知行地を与えるとまで言って
その帰国を慰留しようとした。

すべて、仇敵・赤松政則の策謀であった。
毛利次郎を調略し、強力に援助したのも、帰国引き止めの工作も、すべて。

山名政豊はどうにか慰留を振り切って但馬に帰国すると、伊勢貞宗に使者を送って
将軍家の態度を非難するとともに、兵を整えて因幡へ出兵。
苦戦をしながらも、やっとのことで毛利次郎を放逐することに成功したのである。

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/22(水) 00:19:58.97 ID:w0d/BnPG
毛利次郎の乱を平定した山名政豊は、赤松政則が伯耆守護として押し立てた
山名元之を美作へ追い払い、そして文明15年、政豊の逆襲が開始された。

8月、政豊は本拠・但馬此隅山城を出陣、播磨・備前・美作へ侵攻したのである。
(聞、赤松分国三ヶ国山名打入云々)

しかし・・・。

ガラガラ!ゴォォーン!

出陣の翌日のことであった。此隅山城下は突如大音声に包まれたのは。
城に隣接する但馬一宮・出石神社の鳥居の横木が突然落下したのだ。
(但馬一宮鳥居、去月横木落云々、件日、山名播州出陣門出之翌日也云々)
何という不吉であろう・・・。

三条西実隆の耳にまで達し、その日記に書き残された縁起の悪い話。

播磨に攻め込んだ政豊は一時は政則を大いに破るも、長い戦いの末に惨敗を喫し、
結局何も得るところなく帰国することになるんですよね。




728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/22(水) 03:32:08.67 ID:YJ1UTNgV
赤松と山名って無茶苦茶仲が悪いよね
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    たまたま倒れたかも知れないし、戦は単なる失敗かもしれないけど、
    こう言う不吉な前兆的な事って起きるのですね。

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