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関ケ原・黒田家の鉄砲隊

2011年07月07日 23:27

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/07(木) 18:08:17.88 ID:zQVnU6i7
慶長5年(1600)、9月15日、関ケ原の決戦である。
このとき石田三成の陣には前方に柵を作り城戸を立て守りを固めてあったが、
ここに黒田長政の部隊が攻めかかった。

すると石田陣の柵の内より、石田家の侍大将・島左近が片手に槍をかかげ、片手に采配を持ち、
かかれかかれと100名ばかりの徒武者を引き連れ出撃してくる。
この時どういうわけか左近は6・70人ほどを柵際に残し30人ばかりを二十間(約36メートル)ほど
先に進ませ、いかにも静かに攻めかかった。

黒田長政も三十騎ばかりを下馬させこれに当たらせ、槍の穂先が触れ合うほど接近し、互いに
睨み合う。しかし後ろの備えを含めれば人数は石田隊のほうが多く、黒田隊の不利は明らかであった。
と、その時である

黒田隊において鉄砲隊を預かっていたのは菅和泉(六之助)であったが、彼は部隊を
右手にあった小高い場所に駆け上がらさせ、50挺の鉄砲を隙間もなく撃ちかけた。

これにより石田隊の先に進んでいた兵たちは多くが撃ち殺され、あるいは負傷し、島左近も
生死不明ながら銃弾の餌食となった。
ここに敵のひるんだところを、黒田隊は得たりと勇み、即座に突き崩し多くの首を得た。
島左近は深手を負って下人たちが肩に担いで引き退いたため、後ろに備えてあった70名ほどの兵も
一戦もせずに引き上げた。
黒田隊はその勢いのまま石田陣の柵の中にまで乱入し、難なくその陣を突き崩した。

さて、この一戦において黒田隊に勝利を呼び込んだのは鉄砲隊の活躍だったが、
彼らが活躍したのも当然理由があった。この鉄砲隊に選ばれた足軽たちは特別に選別され、
又者(陪臣)であっても鉄砲の上手で、なおかつ心の健やかな者を選んで編成された部隊であった。
そのため、効果的な攻撃が可能だったのである。

後にこの鉄砲隊の者に「敵との距離はどれほどあったのか?」と尋ねたところ、
「あの時は一町四・五反(およそ150~60メートル)以上ではないと判断し、そこを少し計算して
撃ちました。」と言っていた。

関ケ原において島左近を撃つ殊勲をなした、黒田軍の鉄砲隊についての話である。
(古郷物語)




510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/07(木) 18:42:54.67 ID:fj6QAun0
距離感のいい話だな

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/07(木) 18:54:29.56 ID:P81RcVYB
射程長いなー。
ライフル以前に100m強でも効果的な射撃可能な部隊はかなり稀だと思うが。

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/07(木) 19:09:13.13 ID:rXMn4VBO
ワン・オブ・サウザンドの火縄銃を集めて狙撃させるわけですね。

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/07(木) 19:14:54.00 ID:GnDXGwXb
とあるアニメでは半兵衛の息子が鉄砲隊の指揮をしていたなあ

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/07(木) 19:23:26.40 ID:Jq7R90zB
集団にバカスカ撃ち込めば当たるってことかな

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/07(木) 19:51:56.05 ID:Q5zVrQ42
弓術では、基本的に「貫・中・久」、中ることより貫通力殺傷力重視だよね

鉄砲は最初から「貫」が高レベルで実現してるのが大きいよなぁ
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    発火装置以外同じ構造のゲーベル銃が400mの命中率が1%程度あったみたいですし、
    選び抜いた火縄銃で150mなら数%程度はあることは十分考えられそうですね。
    50挺で一斉射あたり2、3発命中するなら、30人の軍勢はひとたまりもありませんね。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    小高い場所とあるので射程も延びてるでしょうね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    竹中重門は美濃菩提山城主で関ヶ原も彼の領地だった。
    にしても半兵衛の息子でも6千石で大名でないとは。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    左近にはたまたま当たったけど、
    これは当たらなくてもよかったんじゃない?

    正面の敵と睨み合っていたら、
    いきなり脇から鉄砲撃たれた!
    ってだけで効果的。
    左近が無事でも、引くでしょ。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    竹中半兵衛の子孫は、幕末に、幕府の歩兵隊(銃兵隊)を率いていたりする。

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