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石川貞政の大阪出奔

2011年07月23日 23:05

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 22:17:49.10 ID:7b/ylI3U
慶長19年(1614)10月1日、大阪城主戦派による自らへの討伐を察した片桐且元らは大阪城から
居城である茨木に退去。ここより大坂の陣が実質的に始まる。

さて、石川貞政は豊臣秀吉の馬廻りまで勤めた豊臣家生え抜きの武勇の士であったが、且元討伐を
命ぜられたもののこれを行わず逆に且元の元にいち早く知らせ、彼が無事退去する一翼を担った。
そのため主戦派から睨まれ、大阪城内では「貞政も誅するべきだ!」との風聞が盛んに流れた。

これを聞いた石川貞政は、「武人として逃げも隠れもせぬ、逆に主戦派である大野治長や渡辺糺を
討ち果たしてやらん!」と殿中に上り、多くの人々取り巻く中を、仁王立ちで睨みつけ、大音声でこう言い放った!

「この貞政に逆意があるによって、誅せらるるのだと承ったため、ここに参上いたした!
誰であってもその命令を受けたものは、この貞政の首を刎ねて上覧に備えるべし!」

が、誰からも何の言葉もない。貞政の迫力に気圧された、というのもあるであろう。しかし実際に
彼を誅せよという命令は出ておらず、誰一人として立ち向かい、勝負しようというものはなかった。
殿中の者たちもただただ戸惑うしかなかったのである。

それでも貞政は暫くそこで待っていたが、大野も渡辺も姿を表さず(こんなのに関わり合いたくなかったのだろう)
仕方なく殿中を下がり宿所に帰り、若党一人に薙刀を持たせて玉造口から大阪を出、堺へと向かった。
貞政が大阪を退去したことを知った彼の家臣たちは驚き、取るものも取り敢えず武器馬具のみを整え跡を追った。
家臣たちが追いつくと、貞政は河内路を経て片桐且元が籠る茨木城に向かい、そこで且元に対面して言うには

「間もなくここに、大野渡辺の軍勢が押し寄せるでしょう。それがしもあなたと共に、ここに籠城し
彼らの攻撃を防ぎたい。」

しかし且元は、貞政のこの提案に肯かなかった。
「朋輩を相語らって籠城いたせば、それは反逆です。
私は今はただ、大阪城の軍勢が攻め来たらば恨みの矢一つを射て切腹し、武士の名を汚すまじきと思っています。
そうであればこの城にあなたが有ることは、義において辱ずる所であり、幸いにも常眞殿(織田信雄)が既に京に
退去されているところですし、ここより直に京に上り、常眞殿と同じように、幕府の保護を受けるのが良いでしょう。」

貞政はこの説得を受入れ京に入り、幕府の京都所司代・板倉勝重の元へ行き大阪城の状況を伝える。
勝重はこれを聞き

「大阪が既に反逆の準備をしている中、あなたはそれを知ってこのように、その身を京に退かれました。
この事は将軍家においても定めてご満足なされるでしょう。」
と、彼に家屋敷を与え日々の賄いまで申し付けた。

大坂の陣の序盤、石川貞政の大阪退去についての話である。
(慶元記)




101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/22(金) 22:41:29.58 ID:RDxqX22T
片桐且元は幕府から知行もらってるし幕府からの付け家老みたいなもんだから追放も仕方ないにしても
譜代格の石川貞政も退去したのは痛かったな。兵を率いる大将クラスが少なかったし

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/23(土) 00:28:18.87 ID:YXHqHcZS
とは言ってもこの人も5000石だからな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    直臣で5000なら大身じゃね?
    1万で小さくても城持ち大名の世界よ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    七手組が万石クラスだから、それに次ぐクラスくらいかなぁ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    経験が有っても元大名・家臣の浪人達。武将でも経験も少なく口ばっかりの
    連中の中で、千石級の武将とは言え、譜代武将の貞政の出奔は痛いでしょうね。

  4. 人間七七四年 | URL | YzOVvsF6

    石川数正(徳川→豊臣)
    石川貞政(豊臣→徳川)
    石川姓って何か呪われてるのかなあ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    石川麻呂(蘇我→天智)
    かもしらんねw

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