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斎藤家内訌

2011年08月07日 23:00

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/07(日) 19:36:49.44 ID:MLR7INB2
斎藤家内訌


天文24年(1555年)当時、美濃の大名である斎藤家の家督は「蝮」の異名をとった道三から嫡男である義龍に既に譲渡されていた。
しかし、道三は前妻の子である義龍より後妻の子である孫四郎、喜平次兄弟を愛しており、
特に喜平次には官を進めて「一色右兵衛太輔」と名乗らせるなど優遇していた。
道三がこんな調子であったので孫四郎、喜平次兄弟はすっかり奢り高ぶり、義龍を侮るようになってしまったのである。
そうした情勢の中で同年10月13日、義龍は病を患ったと称して引き篭もってしまい、床に伏せる毎日を送った。

しかし11月22日、道三が稲葉山城から山下の別邸に移ったという知らせを聞くとここで義龍は動く。
義龍は叔父の長井道利と語らって、道利に孫四郎、喜平次兄弟へ使者を出させた。
「義龍は重病を患っており、後は時を待つのみ。ついては今後のことについて相談があるので入来されたし。」
使者がこう伝えると孫四郎、喜平次兄弟は義龍に対面するべく稲葉山城へと参上した。

長井道利は孫四郎、喜平次兄弟が同じ部屋に来ると次室に入ったが、ここで道利は刀を外し、また奥の間へと入った。
それを見た孫四郎、喜平次兄弟も同じように次室で刀を外し、奥の間で道利と対面するように座る。
その後、道利は孫四郎、喜平次兄弟に酒を振る舞い、二人がすっかりと酔ったところで一人の男が部屋に飛び込んできた。

部屋に上がりこんで来た男は義龍に側近として重用されていた日根野弘就であった。
弘就は上がりこむや否や刀を抜き放つと上座にいる孫四郎を斬り伏せ、返す刀で喜平次も斬殺した。
孫四郎、喜平次兄弟は叔父の長井道利を巻き込んだ義龍の謀略にまんまと嵌められたのである。
そして義龍はこの事件の一報をあえて父道三へと届けさせたが、この知らせにはさしもの道三も仰天し、また深く落胆したという。



超有名なエピソードだけどまだ投下されてなかったみたいなので。




343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/07(日) 19:58:43.97 ID:5bOHQTY1
一応、名目上は見舞いに来てるのに酒宴してるってのも失礼な話だなw

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/07(日) 22:06:21.71 ID:ZVv93d8k
いくら一族とは言えもう少し警戒しないとな宇喜多直家に対する忠家のように
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    日根野さんの華々しい活躍が聞けただけでも僥倖です

  2. 人間七七四年 | URL | -

    義龍の出自に関しては、本当に色々考えさせられる人ですよね。
    本当に土岐家の血筋なのか?それとも前から深芳野と道三が関係
    の有った仲だったのか?想像だけは膨らみます。

    (ちなみに、ウィキの道三から深芳野へ飛ぶとAV嬢の方が表示された
    事が有り、凄く笑った事がある<今は不明)

  3. 人間七七四年 | URL | -

    龍興って思いためての不意打ち挙兵でなく、以前から行動的な兆候があったとは…
    なんで蝮は対応できないのかな?
    しかし、
    病気と称して…するのは、信長の信行暗殺、直家の浦上暗殺、竹中の龍興追放やら三例しか思い浮かばないけど、意外と多いのね。

    家康の利家見舞いのリスクを思い知ったよ。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >3殿
    >病気と称して…
    鮭様の白鳥十郎暗殺もあるね。
    身内の病気、ってやっぱり丸腰で来させる口実としては一番有効だったんでしょうな。
    その分、後のフォローが大変そうだけど。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >3さん
    節子それ息子やない。孫や。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    1ヶ月ぐらい寝たきり生活して表に出てこなければ大体みんな病気になってると信じそうだな。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    寝たきりになって人前に姿を表さなくなったせいでいつ死んだかわからない人もいるな

  8. 人間七七四年 | URL | -

    そう言えば名将言行録で、尼子晴久が重病との噂が広まって毛利元就の家臣一同色めきたったんだけど
    元就だけは不機嫌そうにそんな都合のいいことあるもんかみたいな態度取ってたら噂はすぐに止んだって話が有ったなぁ
    まぁ、その時晴久はホントに重病で噂が病んで直に死んだという落ちも付いてたけど

  9. 人間七七四年 | URL | -

    このエピソード自体は疑わないけどさ。
    この後に道三が挙兵したけど、義龍の軍勢に遠く及ばなかったんでしょ。

    ということは重臣・土豪層の支持は義龍側にあったわけで、
    孫四郎・喜平次兄弟に対する冷えた視線はあったんじゃないかなあ。
    そのあたり、事前に感づいたり、側近に教えてもらったりできないものなのかね。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    >9さん
    (あくまでも自分が読んだ本からの知識で申し訳ないですが、参考までに。
    既に知って居たらお許し~)

    その答えは、やはり土岐家の血筋が大いに関係していると思われます。
    わざわざ義龍が「土岐家の血」を前面に出したのは、斉藤家には土地柄と
    経緯から、旧土岐家家臣を数多く抱えており、その土岐家家臣達は道三の
    やり様を良く思っておらず、道三の隠居も義龍を擁した旧土岐家家臣団達
    が隠居を迫ったからとの意見も出て居る様です。

    また、道三自身も「義龍って本当に俺の子供なの?」と、かなり疑っていた
    模様です。それが弟達への優遇に繋がったとの見方もされている様子。
    それらが重なり、道三側の動員数が少ない原因。そして、長良川の戦いの発端
    自体が、道三側が実権を取り戻そうと謀った為に起きた戦とも見れるそうです。
    長文お許しを。

  11. 人間七七四年 | URL | 0LYNDLy6

    >>9
    それがわかれば世の中謀反なんてそうそうおきんですよ。読心術でも持ってない限りは。それにたとえ後で感づいたとしても、『やっぱやーめた』とは言えないでしょう?
    総領たるものは心が弛緩しちゃうもんだというのがこの件の太田牛一の見解。上に立つものはどうしても目も耳も塞がれがちなもんだ。そもそも、道三って常に国人たちの意向に忠実だったわけじゃないからねぇ。


    >>10
    あんまり信憑性のない資料だねぇ。土岐の血筋を全面に押し出したって資料もないし、道三が自分の種が疑ってた資料もなし。眉唾と思ったほうがいい説だね。ただ、おれも似たような妄想するけどね。

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