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文禄の役・黒田長政隊と鎖鎌の明将

2011年08月08日 23:01

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 20:12:43.60 ID:5jUkmk9P
文禄元年(1592)10月、文禄の役のこと。
川辺で明軍と対峙していた黒田長政隊に、突如として鎖鎌をもった明の騎馬兵が突撃してきた。

鎖鎌を振り回して黒田隊を切り裂いた明兵に、野村市右衛門が挑んだが、たちまち膝口を鎌で割られた。
「がっ・・・!!」
ひるんだ市右衛門に、さらに明兵は左肩へ棍棒で強烈な一撃を加え、市右衛門は地に倒れ伏した。

市右衛門の命運極まったかに見えたが、同僚の篠倉喜兵衛が駆けつけると、明兵はそれ以上深追い
しようとはせず、馬を返した。
喜兵衛は郎党に市右衛門を預け、本陣で治療させるよう命じると、明兵を追うべく馬に鞭打った。

川辺に続く土手の上に馬を走らせる明兵に対し、喜兵衛は土手の下を馬で駆け抜け、これを追い抜くと、
土手を駆け上がり、明兵の前に立ちはだかった。さっそく明兵は鎖鎌を投げつけ、喜兵衛はこれをかわした

・・・かに見えたが、戻ってきた鎖鎌は喜兵衛の兜に当たってこれを剥ぎ取り、さらに二撃目の鎖鎌が
喜兵衛の額を切り裂き、血しぶきが上がった。
しかし喜兵衛は、手ぬぐいで鉢巻をしてとりあえず血を止めると、ひるむ事なく明兵に突撃した。

接近してきた日本の武者に対し、明兵は鎖鎌での攻撃をあきらめ、棒で喜兵衛の左肩を打った。
したたかに肩を打たれた喜兵衛が落馬しかけると、明兵はとどめとばかり、さらに棒を振りかぶった。

が、これはワナであり、素早く体勢を戻した喜兵衛は太刀を抜いて棒を受け流し、返す刀で切り折った。
武器を失った明兵は組み付こうとしたが、喜兵衛は冷静に太刀で突き返し、それを掴んだ明兵は指を失った。
好機と見た喜兵衛、今度はこちらから組み付いて馬から引き落とし、ようやくこの明兵の首を取った。
(菅氏世譜より)


この明兵の名は伝わっていない。つーかこういう水滸伝的なトンデモ、もとい豪傑が無名だったりするから
日本軍に勝てなかったんじゃね?と思う今日このごろ。




354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 20:44:00.82 ID:4IebNKBc
馬上で鎖鎌、しかも鎌の方を飛ばしてくるとか、ほとんど男塾レベルだな。

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 20:51:38.14 ID:IKR848Hz
ここまで行くとむしろいい話なんじゃないかと思える

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 20:53:35.16 ID:kXLIvt+k
中国に無名なのに常識ハズレな豪傑が時々いるのは紀元前からの伝統

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 20:56:15.23 ID:pX/DysDg
丸太で戦ったり尻筋で馬絞める化物を連れていければ・・・

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 21:20:06.99 ID:It/Eli7s
てか鎖鎌が合戦で使われていた記録ってかなり貴重なんじゃ

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 21:49:10.20 ID:6nC3OKPw
創作でないか、と疑いたくなる位すごい豪傑だな
たぶん、本当の話なんだろうが

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 22:17:18.06 ID:1dc5U6fe
水滸伝では日常茶飯事だぜ。

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 23:32:42.17 ID:jn532gDU
雷電「あの鎖鎌は!!彼奴等が明冥処坊か!!」
長政「知っているのか雷電!!」

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 10:18:09.73 ID:1ehASb6t
これが「一を以て十に當る」と言われた明軍の家丁か。
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コメント

  1. 化け猫 | URL | -

    中国の鎖鎌って、どんな物なんでしょうか?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    まぁホントの話だとすると縄ヒョウ(金偏に票)・九節鞭といった縄や鎖の先に凶器のついたブツを
    理解できず日本的解釈で「鎖鎌」と表現したものだと思われ↓
    ttp://www.gaopu.com/4444.html

    これだと現代でも名手がいるんで水滸伝だの男塾にならんで済むw
    …馬上で上手く使えるかとなるとまた話が変わってくるだろうけど

  3. 人間七七四年 | URL | -

    九節鞭は馬上の武器じゃないから、別の兵器じゃね?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    この明兵の名前はきっと王双。


    流星鎚みたいに鎌と鎌を鎖で繋いだ武器なんじゃなかろうか?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    魁黒田塾バージョン
    黒田兵1「市右衛門がやられちまった」
    黒田兵2「なんなんだあの技は」
    喜兵衛 「まさか、あれは」
    黒田兵3「知っているのか、喜兵衛」
    喜兵衛 「あれぞ噂に聞く馬上飛鎌打昆術、まだ使い手が残っておったか」
    黒田兵1「なにっー!」
    喜兵衛 「次は私がでよう」
    黒田兵2「あんなの相手に大丈夫なのか」
    黒田兵3「ふっ・・恐ろしい男よ、喜兵衛は既に奴の技を見切っている」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    現代に馬上の武器として伝わっていなくても実際使ったやつがいたかもしれない

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ○○『王双が死んだ、王双が死んだ…うーん』

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >7
    曹真将軍、お体に障りますよ。

    流星錘だったら明代には戦場で使用されてたという話を読んだ記憶があるけど、典拠は何の史料だったかなぁ?『武備志』『三才図会』あたりだったかな?

  9. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    AOE3というゲームには中国のユニットに鉄製連棍騎兵というのがいるな
    ソースが不明だけれども馬上で鎖/縄を使って攻撃する戦法は実在したのかもしれないね

  10. 人間七七四年 | URL | 0Q3WCu86

    体系化された武術と言うより、個人技に近かったんじゃないかなあ。
    形式主義的な日本と違って、あっちの武術は現代でもかなりカオスなんだよな。

  11. 人間七七四年 | URL | vEmrOf96

    文禄元年10月には、明軍はまだ黒田軍のいる黄海道にまで南下していない。
    査大受の騎兵3000と駱尚志の砲兵(大砲なし)1000が、義州の朝鮮王行在を警護しているだけ。
    12月末に提督李如松率いる4万余の大軍が鴨緑江を渡ってくる。

    黒田軍は慶長役の際に、忠清道稷山で明軍騎兵部隊と激戦を展開しているから、その時のことと混同されているのかもしれない。『黒田家譜』には文禄2年の碧蹄館の戦いの後に、漢城から出撃した黒田軍が明軍騎兵部隊と戦い、連接棍棒に苦しめられる話があるが、明・朝鮮側の史料ではその当時有力な明軍騎兵部隊が漢城付近まで進撃して日本軍と交戦した事実は押さえられない。

    この「鎖鎌」はまず間違いなく明で「挟鏈鉄鞭」朝鮮で「鞭棍」と呼ばれて、朝鮮の『武芸図譜通志』にも操法が載せられている武器だと思う。長い棍棒と短い棍棒を鎖で繋いだ、いわゆる殻竿状武器(フレイル)ね。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    中国人は臆病で団結力に乏しい、
    とか思ってるとたまにこういうのがいるから困るw

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