363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 10:29:12.51 ID:Xp+/+51v
天正十四年、九州征伐の最中に戸次川の合戦で当主存保が討ち死にを遂げてしまった讃岐の国主十河家。
事実上、阿波三好家の後継者であったこの家系には存保の死に際して少なくとも二男が存在した。
千松丸と存英の二人がそれで、嫡男である千松丸は時に十三歳、元服を未だ迎えず、二万石の所領は収公され、
翌年讃岐一国十七万石は生駒親正に与えられることとなった。
ただし、この内十河家の所領二万石は一時預かり的な意味合いのものだったとも言う。
さて、生駒氏が讃岐を統治するに当たって旧国主で四国東部に隠然たる影響力を持つ十河氏は厄介者であり、
親正はこの厄介な被養育者を三千石の捨扶持を与えて飼い殺す道を選ぶ事にした。
むろん、親正には千松丸が長じた後に所領を返還する意思など一切ない。
三千石にはわざわざ「鼻紙代」と言う侮蔑的な呼称まで付けた。鼻も拭けない小僧、という蔑視の表れである。
家臣化すればそれでよし、出て行くようならそれもよし、程度の認識だっただろう。
おそらくは時が経れば秀吉も彼の存在を忘れるだろう、という期待もあったのだろうが……それは聊か甘い未来予想だった。
天正十七年、千松丸十五歳。
元服にも程よい頃合に、千松丸は秀吉に呼ばれ、その謁見を得ることを許された。
その席には生駒親正、そしてその甥(孫とも)の大塚三正が同席している。
この二人の前で秀吉は千松丸が順調に成長していることを喜び、その所領を三千石と聞いて不満の念を親正に漏らす。
親正は大いに畏まってその場を引き下がり――すぐに大塚に命じて、善後策を処すことにした。
かくして十河家の大名復帰は約束されたかに見え、千松丸は意気揚々と帰国する。
そして帰国するや否や、即座に『病』を得て帰らぬ人となった。
余りにも不自然な死の成り行きから、人々は生駒親正の仕業と信じて疑わなかったと言う。
「命すつるも子ゆえにすたれ けなげなれとよ 千松丸」
千松丸の死後、旧領の遺臣や領民はこの様に謳い、生駒家に殺された千松丸の冥福を祈った。
364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 16:32:48.47 ID:qL7nTJKk
悪い話だ
365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 20:14:16.12 ID:HqPsJ+PW
久々に悪い話を聞いたでえ。
366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 20:16:39.23 ID:ZmvR9KmD
生駒って三中老でも目立たないけど
しっかりやることやってんのな
367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 21:16:32.19 ID:1hoR7LGM
関ヶ原もうまく切り抜けてるしな
368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 21:18:13.35 ID:LdFo4j0Y
>363はきっかけも戸次川だしホントに酷い話や
369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 21:24:13.13 ID:Togfk+uu
そして生駒はひ孫の代に生駒おどりか…
370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 22:24:48.23 ID:8syVZPYW
生駒おどりの若殿もかなりのサラブレッドなのにな
やっぱ父祖の因果が子孫に報いるのかねぇ
377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/11(木) 02:42:27.70 ID:JlCMAZFO
>>363
生駒は、城造りで名人に依頼したけど、内部に詳しいから殺したよね
天正十四年、九州征伐の最中に戸次川の合戦で当主存保が討ち死にを遂げてしまった讃岐の国主十河家。
事実上、阿波三好家の後継者であったこの家系には存保の死に際して少なくとも二男が存在した。
千松丸と存英の二人がそれで、嫡男である千松丸は時に十三歳、元服を未だ迎えず、二万石の所領は収公され、
翌年讃岐一国十七万石は生駒親正に与えられることとなった。
ただし、この内十河家の所領二万石は一時預かり的な意味合いのものだったとも言う。
さて、生駒氏が讃岐を統治するに当たって旧国主で四国東部に隠然たる影響力を持つ十河氏は厄介者であり、
親正はこの厄介な被養育者を三千石の捨扶持を与えて飼い殺す道を選ぶ事にした。
むろん、親正には千松丸が長じた後に所領を返還する意思など一切ない。
三千石にはわざわざ「鼻紙代」と言う侮蔑的な呼称まで付けた。鼻も拭けない小僧、という蔑視の表れである。
家臣化すればそれでよし、出て行くようならそれもよし、程度の認識だっただろう。
おそらくは時が経れば秀吉も彼の存在を忘れるだろう、という期待もあったのだろうが……それは聊か甘い未来予想だった。
天正十七年、千松丸十五歳。
元服にも程よい頃合に、千松丸は秀吉に呼ばれ、その謁見を得ることを許された。
その席には生駒親正、そしてその甥(孫とも)の大塚三正が同席している。
この二人の前で秀吉は千松丸が順調に成長していることを喜び、その所領を三千石と聞いて不満の念を親正に漏らす。
親正は大いに畏まってその場を引き下がり――すぐに大塚に命じて、善後策を処すことにした。
かくして十河家の大名復帰は約束されたかに見え、千松丸は意気揚々と帰国する。
そして帰国するや否や、即座に『病』を得て帰らぬ人となった。
余りにも不自然な死の成り行きから、人々は生駒親正の仕業と信じて疑わなかったと言う。
「命すつるも子ゆえにすたれ けなげなれとよ 千松丸」
千松丸の死後、旧領の遺臣や領民はこの様に謳い、生駒家に殺された千松丸の冥福を祈った。
364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 16:32:48.47 ID:qL7nTJKk
悪い話だ
365 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 20:14:16.12 ID:HqPsJ+PW
久々に悪い話を聞いたでえ。
366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 20:16:39.23 ID:ZmvR9KmD
生駒って三中老でも目立たないけど
しっかりやることやってんのな
367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 21:16:32.19 ID:1hoR7LGM
関ヶ原もうまく切り抜けてるしな
368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 21:18:13.35 ID:LdFo4j0Y
>363はきっかけも戸次川だしホントに酷い話や
369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 21:24:13.13 ID:Togfk+uu
そして生駒はひ孫の代に生駒おどりか…
370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/09(火) 22:24:48.23 ID:8syVZPYW
生駒おどりの若殿もかなりのサラブレッドなのにな
やっぱ父祖の因果が子孫に報いるのかねぇ
377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/11(木) 02:42:27.70 ID:JlCMAZFO
>>363
生駒は、城造りで名人に依頼したけど、内部に詳しいから殺したよね
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コメント
人間七七四年 | URL | -
三中老で一番目立たないが、一番の屑
( 2011年08月09日 23:42 )
人間七七四年 | URL | WNrIA4b.
いかにもお話的な感じだなぁ
( 2011年08月10日 01:24 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
まさに色々と悪い話。
( 2011年08月10日 01:27 )
人間七七四年 | URL | -
胸糞悪い話だなぁ、戦国の倣いとはいえ・・・
( 2011年08月10日 02:15 )
人間七七四年 | URL | -
これ千松丸だけじゃないんですよね。付き従ってた人達や地元の三好系
の人達も排除されてる。三好の影響力ってやはり出かかったのでしょうねぇ。
にしても、悪い話でした。
( 2011年08月10日 05:00 )
人間七七四年 | URL | -
汚い男だなぁ
( 2011年08月10日 05:34 )
名無し | URL | -
確か三好(十河)って秀吉の縁戚になるハズなんだけど、
それでも生駒さん暗殺しちゃうとか一歩間違えば自分が潰されかねないのに…
( 2011年08月10日 06:35 )
人間七七四年 | URL | -
↑いえいえ7殿、これは「病死」ですからw
( 2011年08月10日 08:52 )
人間七七四年 | URL | -
清正「そうじゃな。病死ならこれ以上の詮索は無益よの」
( 2011年08月10日 09:17 )
名無しのアレ | URL | -
四国の話ってほんと散々な目にあってばかりだね。
( 2011年08月10日 11:54 )
人間七七四年 | URL | -
中央から来る文明的な人たちと相性が悪かったんだろうな
( 2011年08月10日 16:11 )
人間七七四年 | URL | -
四国東部は公方様は流れてくるわ細川の地盤の一つだわで、中央とは親和性高いはずだが
すくなくとも生駒蜂須賀山内の尾張侍よりは文化度高いよ
( 2011年08月10日 16:31 )
人間七七四年 | URL | -
よく考えると、四国出身の武将で大名として残ったのって来島氏くらい?
( 2011年08月10日 16:55 )
人間七七四年 | URL | -
東讃と西讃でドンパチやってたのも、三好系と細川系の争いだしな
阿波讃岐の文化度は意外に高い
ただ、なんつーか讃岐に限らず四国はなんか「綺麗」なんだよな戦い方が
対岸の中国地方が謀略まみれなのとはエラい差
だからなりふり構わない元親なんかが出てくると一気に蹂躙されまくったりする
秀吉の後ろ盾があるんだから、って安心してて、生駒がこういう手を使ってくるとかほんと想像してなかったんだと思うよ
( 2011年08月10日 17:49 )
人間七七四年 | URL | -
いくら病が流行ってた時代とは言え、健康な15歳が急死ってねーよw
( 2011年08月10日 17:56 )
名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | 73DAy5m2
生駒騒動にざまあって思ってた人は多かったのだろうか
( 2011年08月11日 06:22 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
三中老で掛け値なしの悪い話がないのは堀尾さんとだけか?
( 2011年08月11日 08:51 )
人間七七四年 | URL | -
三好さん家の生き残りは真田十勇士のモデルの人だけ?
( 2011年08月11日 14:42 )
人間七七四年 | URL | -
三好清海入道は三好の生き残りがモデルだったね
( 2011年08月11日 19:06 )
人間七七四年 | URL | -
清海のモデルな政康は大阪の陣で没だね
伊三のモデルな政勝は徳川の旗本だから、いまも系譜が続いているかもしれない
( 2011年08月11日 19:27 )
人間七七四年 | URL | -
生駒屑すぎw武士の面汚しだろw
( 2011年08月11日 21:34 )
人間七七四年 | URL | -
三好政勝と三好長直の二つの系譜が旗本として残ったが、幕末には三好姓の家が見えないらしいんで多分どちらも絶家
あと三好康長の系譜が土佐藩士になったというがよくわからん
長慶の弟で淡路野口家を継ぎ、さらに原田直政の養子になったけど直政討ち死にで浪人した冬長の家系は摂津に庄屋として残る
あと三好義継の子孫と称する集落が讃岐伊吹島に残るけど、かなり疑わしいとされてる
あと最近は三好政康の夏の陣従軍はwiki見る限り俗説として否定されてるぽいが、ソースがよくわからん
( 2011年08月11日 23:11 )
十河支流 | URL | 42i41MNk
うちの祖父の家に伝わる「十河家之来由」って巻物には、
頓て千松丸に二万石の地も下し置れ侍よふに御沙汰有しかば還て身の仇となりて終に毒殺に逢ひ給ひぬ
って書かれてます
うちの先祖も生駒氏に迫害されたんでしょうかね
( 2012年05月04日 16:50 [Edit] )
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