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石山合戦の講和と傭兵たち

2011年09月07日 22:24

教如   
776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/07(水) 18:05:20.62 ID:J8aLuBdL
天正8年(1580)、長らく織田信長と戦っていた石山本願寺であったが、朝廷からの勅命による和議を受け入れ、
本願寺顕如は大阪からの退去に同意した。

ところがこれに断固として反対する集団があった。石山本願寺に籠っていた、雑賀、淡路からの傭兵たちである。

「我々は山越(傭兵に支払われる給与)で今まで妻子を養ってきた!そうであるのに急にここを退去せよというのは
我々にとって迷惑である!」

彼らがそういうのも最もであろう。ここを追い出されれば、自分たちはたちまち困窮してしまうのだ。
そこで彼らは石山本願寺の新門跡の教如を立て

「先ず(講和派の)本門跡(顕如)と北の方を城から出し、自分たちはこのまま大阪城(石山本願寺)に籠ろう!」
と主張した。

これに教如も同調し、石山本願寺は抗戦派が占拠する形となった。
そのため顕如とその北の方、そして下間、平井、矢木といった重臣たちは勅使にお礼を申し上げた上で
雑賀からの迎えの船にのり、4月9日に大阪を退出した。

まるで後の大阪の陣の最後を彷彿とさせるような、石山合戦再末期の、石山本願寺の様相である。
(信長公記)




780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/07(水) 23:10:19.17 ID:RhUBYnRm
>>776
ちょうどセンゴクでやってるところだな
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