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三村の役米

2011年09月07日 22:26

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 22:46:05.99 ID:wJtlgc53
江戸期の上田藩内にこんな話が伝わっていた。
真田幸隆が箕輪に走る前、その領地は藩内の甲石・原・横尾の三村
 千六、七百貫文(石高にして三、四千石)であった。」

その証にとされていたのはこの三村にのみ正税のほかに外田役米として
米八十九石(甲石二十八石・原三十四石・横尾二十六石、およそ300俵)が課せられていたことであった。
幸隆がこの地を去り、その主家であり小県の一帯を支配していた海野氏が滅んでも
その支族妻子の危急を忍びなく思った村々の者たちは年々それだけの物を供し続けた。
それが綿々と続き遺習となって残ったのがその役米であるという。




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    本筋に影響ない些末な話で恐縮だが。

    一合は約180立方センチだけど、米なら隙間ができるから
    料理の本では、米1合=150gとして扱われてる。
    これで行くと、米1石=150㎏になる。

    一方で、1俵=60㎏(4斗?)と言われているように思うんだが、
    そうすると1石=2.5俵で、上にある89石は222.5俵となって
    「およそ300石」とは言い難い。(300俵なら120石)
    昔の1俵はもう少し小さかったのかな?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    米1
    江戸時代の幕府の基準だと1俵は3斗5升だから、
    1合=150gなら、1俵=52kgでしょうか。

    先の話題で
    100石取り=100俵取りというのは、
    年貢率35%、100石→35石
    100俵×3斗5升=35石という幕府役人の計算に由来するものだそうです。

    関係のない話でどうもすいません。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    なんじゃいな、この試験に出そうな問題対策みたいなコメ
    米だけに

  4. 人間七七四年 | URL | -

    山田く~ん、3番さんの座布団全部持って行って~。

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