fc2ブログ

「寄 り 道 し て よ っ て い く ぞ。」

2011年09月28日 22:02

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 00:13:57.52 ID:dUleUS2Q
時は三方ヶ原の戦いの直前。
徳川家康の家臣が、軍勢を率いて織田家の加勢のため近江に向かっていた。
ダガシカシ、武田信玄が迫っているとの報が届き、慌てて引き返した。
「信玄が来襲するまでに、すぐに浜松に帰らねば!」
と急く家臣たち。だが、軍勢を率いている武将が
「このちかくに浅岡さんっていう弓矢の名人がいてさー、一度行ってみたかったんだよね。」
「との、まさか・・・。」
「寄 り 道 し て よ っ て い く ぞ。」
マイペースである。おまけにその武将がその弓の名手浅岡に教わったのは弓ではなかった。
射掛けという弓の手袋の緒の正式な結び方を教わったのである。
いや、結べたら何でもええやんという周りの家臣のツッコミに、当人は

「もし、今度の合戦で討ち死にした時、射掛けが正式じゃなかったら哂われるやん。」

と答えたとか。彼は三方ヶ原でまっさきに戦端を開いた。
その男とは、徳川家のナンバー・ツーといっても過言ではない人、
西三河衆を率いる石川数正だった。




819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/28(水) 00:27:59.12 ID:IArBNC1c
そうか数正さんはマイペースな人だったんか
つーかこれは良い話なのかwww
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    どうでもいいけど、寄り道してよっていくぞって
    焼いた焼き魚みたいだな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    てか信玄の来襲間近い時にすら信長に援軍を出してたんだ。
    この時期の家康って後の時代とはずいぶん違って、信長に惚れこんでる感強いよね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    フリーダムな人だなあw

  4. 人間七七四年 | URL | -

    あぁ何か三河武士とは少し違うなぁ。
    へうげものの風流人・石川を思い出した。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    昔、なんかのニュースで、武士の侍と読まれた事があってだなぁ…

  6. 人間七七四年 | URL | -

    「もし、今度の合戦で討ち死にした時、射掛けが正式じゃなかったら哂われるやん。」

    三方が原の直前って、何かのフラグかな。

  7. 人間七七四年 | URL | mQop/nM.

    オシャレな人なんですねw

  8. 人間七七四年 | URL | -

    米2
    惚れ込んでいるというか実質配下位の力関係だからじゃね?

  9. 人間七七四年 | URL | -

    >1
    良かった、疑問に思ったのは俺だけじゃ無かったんだw

  10. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | -

    石川さんてこんな人だったか…
    なんか思てたのと違う

  11. 人間七七四年 | URL | -

    和弓ひくときに着ける手袋を「ゆがけ」と呼ぶけど、「いかけ」が語源なのかねー。

  12. 名無しさん | URL | -

    石川さんのキャラって掴みづらいというか何というか
    歴史小説なんかでもこれというベターな性格がない気がする

  13. 人間七七四年 | URL | -

    石川さんってどういう人なのかわかんないな

  14. 人間七七四年 | URL | -

    石川さんは能吏だとばかり思ってた
    数正って、算術に強そうな名前してるから…つい

  15. 人間七七四年 | URL | -

    家康と信長の関係はどうにも分かりにくい
    晩年の家康が信長のことをほとんど語らなかったのは
    どういう心境からだったのだろうか

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/5831-1b1db82c
この記事へのトラックバック