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時代の変化

2011年10月08日 22:06

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 18:18:04.77 ID:V4BUjsDV
時代の変化

名護屋在陣中の南部信直が、娘婿の八戸直栄宛てに手紙を出し、こう語った。

『ここ最近は上方の者達と付き合って、すっかり心境が変わってしまった。帰国したらわかってもらえると思うが
そのことを整理して帰りたいと思う。

昔の苦労に心を痛めて、昔はこうであったなどと言う者があったならば、すぐに追い棄てられてしまっても仕方ないであろう。
上方では、身分の低い者であっても主人に一生懸命に奉公すれば、すぐ取り立てられて侍になれる。
それを見た者は自分も負けていられないと一生懸命奉公する、こういう”からくり”なのだ。
貴方の所ではまず昔からの身分や家柄を調べて一族の中に組み込んでいく。私らも以前はそうだったが、後悔している。

(だから)上方衆は我々遠国者をとかくなぶる気持ちをもっている。
なので筑前(前田利家)のもとへ、月に一度ご機嫌伺いをする以外はどこにも出ないようにしている。
『日本の付き合い』に恥をかくようなことがあったら、家名を汚すことになる。
もしなにか問題を起こすようなことがあったら、その解決に大変な苦労が必要となる。
朝夕、寝ても覚めても気遣いすることばかりで、その苦労を察してほしい。

津軽右京亮などは筑前殿を訪ねて、くりかえししつこく自分の考えを申し述べたので、
奥村主計からやり込められ、恥をかいたという。その後は筑前殿を訪ねていけなくなってしまった。
大事な人付き合いなので、気遣いすることばかりである。

いまは新しい時代である。さらに重要なことだ。
もし不相応なことを申しつけられても、不満に思うことはあってはならない。
上手く対応できなければたちまち財産や身分はなくなってしまう。以前のような大名の心ではいけないのだ。
全てに念を入れ、何事が起きても、息子の九郎の身上が絶えないように、併せて、しっかり働く事が大切だ。

何度も申し上げるが、八戸はただ古い習慣があるからとばかり言っていて、心許ない。
古い分だけ新しい家風を積むように奉公なさるべきである。
返す返すも、昔を引きずった九戸の一族が、主人の政実をひき倒してしまった事情を考え、
物事の判断をしてもらいたい。
秋には帰るつもりである。よくよく上方のことを語り聞かせたいと思う。

京や田舎、古本(古いしきたり)はもう廃りものなのだから、それにこだわらず、才覚を巡らせて家督を続けてほしい

(文禄二年)五月二七日』

以上書状より抜粋。
既出の部分もあるけどあえて載せてみた。




8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 20:36:20.04 ID:yWSHIyRl
胸に迫るものがあるなあ

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 20:40:40.64 ID:Bzdw2q3c
胃に穴あきそうだ・・・

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 20:49:54.45 ID:bKo91DdR
戦国武将の手紙は、どれもこれも切実なものを感じる
その時その時の時代に対応しなければ、生きていけないのは昔から変わらないんだな

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 21:22:21.44 ID:XqMtQqt3
>>7
>津軽右京亮などは筑前殿を訪ねて、くりかえししつこく自分の考えを申し述べたので、
>奥村主計からやり込められ、恥をかいたという。その後は筑前殿を訪ねていけなくなってしまった。
>大事な人付き合いなので、気遣いすることばかりである。

本来ならスカッとしたぜと言いたいはずだろうに
憎い髭野郎にすらも同類として哀れむ信直の姿がいっそう涙を誘いますな
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コメント

  1. 名無しさん | URL | -

    昔の人の訓戒や心情は、本当にずしりと来るものがある

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >昔を引きずった九戸の一族が、主人の政実をひき倒してしまった

    九戸政実は某小説じゃ英雄みたいに描かれてるけど、
    実際は信直の言うとおり、本人の意思とは別のところで
    神輿にされてしまったのかもね。

    信直の手紙は人柄がにじみ出ていて好きだ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    読んでるだけで胃がキリキリしてくるわ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    政宗が来るぞ!気をつけろ!!

  5. 人間七七四年 | URL | -

    時代の変化といいつつ、現代にも通用するところがあるなぁ。これはいいものを読ませてもらいました。

  6. ここで「髭野郎ざまぁww奥ww村wまwじw神wメシウマw」とか言わない人柄だったから南部家は持ったんだな

  7. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    この人もこの人で傑物なのにここまで苦労をしている
    自分も頑張らねばなー

  8. 人間七七四年 | URL | -

    むしろ大嫌いな髭殿だったからこそ、同じ轍は踏まないと心得易かったのかも?
    明日は我が身、と直ぐに思考を切り替える事が出来る柔軟性は素晴らしい。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    「俺らが散々してやられた髭すら、上方ではこの体たらく。まして俺らでは……」
    じゃね

  10. 人間七七四年 | URL | -

    他者とのつきあいを大事にすることが、どれほど身を守るか、骨身に沁みてたからじゃね?
    川守田さんや北さんが庇ってくれんかったら、養父にほぼ確実に殺されてたし。
    八戸さんが味方じゃなけりゃ、三戸の家督は取れんかったろうし、小田原にも行けんかったし。

    手紙の文面見ると、元々こまめに人に気遣いする性質のようではあるが。
    『祐清私記』だったかだと、人の話をよく聴いて、慎重に決断する人のようだ。
    だから南部は残ったけれど、フットワークの軽い津軽に出し抜かれたんだろうな。

    しかし、この手紙を送った娘婿が早死にすることを思うと・・・切なすぎる。

  11. 名無し | URL | -

    津軽の悪口言ってないと、息もできないんだろうな。
    さすが盛岡藩元祖。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    >昔の苦労に心を痛めて、昔はこうであったなどと言う者があったならば、すぐに追い棄てられてしまっても仕方ないであろう。

    時代の変わり目ってのを感じさせるよなぁ

  13.    | URL | -

    なるほど、この場合本家髭殿と奥村だが、筆頭家臣である
    村井豊後も髭殿とよばれていたらしいから、前田の屋敷で
    髭と髭の邂逅などがあったかもしれんな

  14. 人間七七四年 | URL | -

    津軽の人が上方の大名家にたしなめられたのを耳にして、「今のあいつの姿は明日の我が身やもしれぬ」
    と、自身を省みたんだろうか。だとすると信直という人、いっぱしの器量を持った人だったのかもなぁ。
    手紙の文面の丁寧さに、人柄が垣間見えるようで好感が持てる。俺の中で南部藩の株が少し上がったわ。

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