178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 11:05:38.81 ID:59//tCDO
いい話か微妙だが
天正7年(1579)9月、雲林院式部大輔を主将とする三千が篭る丹波鬼ヶ嶽城を攻めていた明智光秀のもとに、
細川忠興が重臣・松井康之等の手勢を率いて駆けつけた。光秀は、婿の加勢を喜んだ。
「では忠興殿、大手門(表口)を攻め候え!」
「手柄の機会を回していただけるか、かたじけない。」
だが、光秀の命に従わない者もいた。
「ふっ、馬鹿正直に大手から攻めていては、いつ落とせるか分からぬわ。」
細川家臣の古田左助は、城の裏山から搦手門(裏口)を打ち破って攻める事を企て、山の間道へ押し入った。
左助は途中、城方の物見と遭遇し、一騎討ちの末これを下したり、木の根、岩の角に取り付いたりしながら
やっとの思いで城の裏山によじ登る事に成功すると、一息に坂を駆け下り、搦手をこじ開けて大音声を発した。
「古田左助、一番乗りして敵を討ち取ったるぞ!!」
「ちッ!左助に出し抜かれたか!」
これを見た忠興が発奮し、相手をしていた騎馬武者を突き伏せ首を取ってみせると、それが合図としたように
全軍一同に城へ攻めかかった結果、城主の雲林院こそ逃がしたものの、城を落として二百余を討ち取り、
城方の救援に駆けつけた、名だたる赤井悪右衛門直正を撃退する大戦果を上げた。
褒美として五百石を与えられた左助は、その後も戦功を重ねて信長の直参に取り立てられて織部正を名乗り、
千利休に弟子入りして茶道の達人となった。すなわち、古田織部である。
“(当家の記録はこうなので)信長公記等で織部を最初から信長直参とするのは疑問が残る”(綿考輯録)
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 12:28:15.04 ID:SntYkKwA
その記録の方がよほど疑問に残るw
180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 12:53:16.92 ID:RT4ksHeo
織部が細川家家臣だったなんて面白いw
181 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/10/20(木) 13:12:24.61 ID:wLqoC7B4
なんと言う猪武者…織部
だめだ、イメージがわかない
182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 14:26:34.54 ID:vAdDsRZl
ありえない
183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 14:31:55.87 ID:72Gec9Ki
これはあり得んだろうとは思うが
実際、古織さんはどれくらいの強さだったんだろう
184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 16:20:05.64 ID:cyAcRuAk
まあ一応信長直参の侍だしそれ相応の強さだったんじゃないか?
185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 17:05:50.41 ID:tLFlhn2W
確か、細川元首相がへうげ作者との対談で言ってたなあ、これ
ソースは綿考輯録だったのか
186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 17:29:00.88 ID:xy+6/ktN
細川元首相って今は茶人、陶芸家をしてるらしいが
作品が結構な値で取引されてるみたいだな
ネームバリューでの評価が高いんだとは思うが現代にも数奇者が多いのかね
187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 18:49:17.72 ID:AOq2ILgY
永青文庫ってお宝あったっけ
188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 19:42:47.05 ID:uWBq4EYU
永青文庫はお宝の山です。
仕事で関わる度にゲヒヒしたくてたまりませんよ!
189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 19:47:43.84 ID:3GhbbP3C
へうげもので細川ガラシャの死がむちゃくちゃに書かれていた、ときいて
細川元首相の心象を害さなかったんだろうか、と思ったが、細川ガラシャ系の子孫ではなかったんだな
190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 19:53:38.84 ID:Rj5aTVKA
>>187
金象嵌銘 光忠光徳っていう刀とか時雨螺鈿鞍、金銀錯狩猟文鏡は国宝だよ。
宮本武蔵が描いた掛け軸とかは重文だったかな。
191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 21:49:00.31 ID:Q1KysmMC
特別展覧会 「細川家の至宝―珠玉の永青文庫コレクション―」
ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/tokubetsu/111008/index.html
三斎様の偏屈そうな肖像画と忠利の人のよさそうな肖像画の対比が印象的でした。
192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 02:14:15.42 ID:nNPXazme
>>189
つか幽斎様だし>細川護煕(職業:陶芸家)
193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 03:06:35.09 ID:r7txd6tf
>>189
無茶苦茶といえば無茶苦茶だけど、
大変格好いい死に様でしたよ
12連斉射銃を持ちだして石田勢をなぎ倒すとか、
さすが鬼の嫁は蛇と自称するだけのことはある
194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 09:55:06.34 ID:Hb/COBz3
>>191
「美の世界では天下人」とかいうやつだなw
いい話か微妙だが
天正7年(1579)9月、雲林院式部大輔を主将とする三千が篭る丹波鬼ヶ嶽城を攻めていた明智光秀のもとに、
細川忠興が重臣・松井康之等の手勢を率いて駆けつけた。光秀は、婿の加勢を喜んだ。
「では忠興殿、大手門(表口)を攻め候え!」
「手柄の機会を回していただけるか、かたじけない。」
だが、光秀の命に従わない者もいた。
「ふっ、馬鹿正直に大手から攻めていては、いつ落とせるか分からぬわ。」
細川家臣の古田左助は、城の裏山から搦手門(裏口)を打ち破って攻める事を企て、山の間道へ押し入った。
左助は途中、城方の物見と遭遇し、一騎討ちの末これを下したり、木の根、岩の角に取り付いたりしながら
やっとの思いで城の裏山によじ登る事に成功すると、一息に坂を駆け下り、搦手をこじ開けて大音声を発した。
「古田左助、一番乗りして敵を討ち取ったるぞ!!」
「ちッ!左助に出し抜かれたか!」
これを見た忠興が発奮し、相手をしていた騎馬武者を突き伏せ首を取ってみせると、それが合図としたように
全軍一同に城へ攻めかかった結果、城主の雲林院こそ逃がしたものの、城を落として二百余を討ち取り、
城方の救援に駆けつけた、名だたる赤井悪右衛門直正を撃退する大戦果を上げた。
褒美として五百石を与えられた左助は、その後も戦功を重ねて信長の直参に取り立てられて織部正を名乗り、
千利休に弟子入りして茶道の達人となった。すなわち、古田織部である。
“(当家の記録はこうなので)信長公記等で織部を最初から信長直参とするのは疑問が残る”(綿考輯録)
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 12:28:15.04 ID:SntYkKwA
その記録の方がよほど疑問に残るw
180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 12:53:16.92 ID:RT4ksHeo
織部が細川家家臣だったなんて面白いw
181 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/10/20(木) 13:12:24.61 ID:wLqoC7B4
なんと言う猪武者…織部
だめだ、イメージがわかない
182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 14:26:34.54 ID:vAdDsRZl
ありえない
183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 14:31:55.87 ID:72Gec9Ki
これはあり得んだろうとは思うが
実際、古織さんはどれくらいの強さだったんだろう
184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 16:20:05.64 ID:cyAcRuAk
まあ一応信長直参の侍だしそれ相応の強さだったんじゃないか?
185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 17:05:50.41 ID:tLFlhn2W
確か、細川元首相がへうげ作者との対談で言ってたなあ、これ
ソースは綿考輯録だったのか
186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 17:29:00.88 ID:xy+6/ktN
細川元首相って今は茶人、陶芸家をしてるらしいが
作品が結構な値で取引されてるみたいだな
ネームバリューでの評価が高いんだとは思うが現代にも数奇者が多いのかね
187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 18:49:17.72 ID:AOq2ILgY
永青文庫ってお宝あったっけ
188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 19:42:47.05 ID:uWBq4EYU
永青文庫はお宝の山です。
仕事で関わる度にゲヒヒしたくてたまりませんよ!
189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 19:47:43.84 ID:3GhbbP3C
へうげもので細川ガラシャの死がむちゃくちゃに書かれていた、ときいて
細川元首相の心象を害さなかったんだろうか、と思ったが、細川ガラシャ系の子孫ではなかったんだな
190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 19:53:38.84 ID:Rj5aTVKA
>>187
金象嵌銘 光忠光徳っていう刀とか時雨螺鈿鞍、金銀錯狩猟文鏡は国宝だよ。
宮本武蔵が描いた掛け軸とかは重文だったかな。
191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 21:49:00.31 ID:Q1KysmMC
特別展覧会 「細川家の至宝―珠玉の永青文庫コレクション―」
ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/tokubetsu/111008/index.html
三斎様の偏屈そうな肖像画と忠利の人のよさそうな肖像画の対比が印象的でした。
192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 02:14:15.42 ID:nNPXazme
>>189
つか幽斎様だし>細川護煕(職業:陶芸家)
193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 03:06:35.09 ID:r7txd6tf
>>189
無茶苦茶といえば無茶苦茶だけど、
大変格好いい死に様でしたよ
12連斉射銃を持ちだして石田勢をなぎ倒すとか、
さすが鬼の嫁は蛇と自称するだけのことはある
194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 09:55:06.34 ID:Hb/COBz3
>>191
「美の世界では天下人」とかいうやつだなw
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コメント
人間七七四年 | URL | -
「雲林院式部大輔」・「鬼ヶ嶽城」・「赤井悪右衛門」
心なしか、やたら仰々しいというか物語ライクというか、とにかくエラいネーミングだな、丹波って
( 2011年10月20日 22:34 )
人間七七四年 | URL | -
「へうげもの」だと名器さえあればどんな困難にも立ち向かう勇気と行動力があるよね オリベーさん
( 2011年10月20日 22:55 )
人間七七四年 | URL | -
細川の城を勝手に物色してる間に出陣騒ぎに巻き込まれて
ついでに鬼ヶ嶽城も物色する為に裏口を狙った結果の顛末
んなら織田家直参だったとしても(ry
( 2011年10月20日 23:05 )
人間七七四年 | URL | -
3さんナイス!w
( 2011年10月20日 23:59 )
人間七七四年 | URL | /uHYxkhw
肥後細川の本家は宇土の分家から養子が入った時に明智系の血脈は途絶えたんだよな。
確か廃嫡された長男の細川内膳家が今でも明智系の血脈を保っている筈。
( 2011年10月21日 00:13 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
細川忠隆の内膳家の系統が政治評論家の細川隆元・隆一郎。
隆一郎の方は事あるごとに’ウチの方が細川の正当な系統だ’
と言っているのはガラシャの血を引いているから。だが、実は
彼らの系統は内膳家の分家で細川の本家を継ぐのは少々難しい。
因みに去年まで熊本の第8師団の副師団長であった有吉陸将補は
細川家家老の有吉家直系だったりする。
( 2011年10月21日 01:46 )
人間七七四年 | URL | -
出身から言ってこれはちょっと無理のある話だけど、面白いエピでしたねw
後、織部さんは戦国の世を生き残ったのだから、決して個人としては弱くは無いでしょう。
( 2011年10月21日 04:26 )
人間七七四年 | URL | -
自分ちと謀反人として死んだ旧友ageのつもりで
三歳様か松井康之あたりが吹いたのかなーとか思ったり
( 2011年10月21日 10:06 )
人間七七四年 | URL | -
同名の別人とか
( 2011年10月21日 20:39 )
人間七七四年 | URL | -
※7
氏治「そうそう、弱くては戦国の世を生き残るなど到底無理ですな」
( 2011年10月24日 23:25 )
人間七七四年 | URL | -
氏治は弱く無いだろ。
( 2015年08月04日 11:59 )
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