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冷酒清兵衛

2011年10月26日 22:01

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 17:17:12.19 ID:0rIQB5pP
徳川家康が武田信玄との抗争を繰り広げていた頃のこと。

ある時徳川家康が少数の家臣を従え遠江の巡見をし、浜松へと帰城する途中、この頃武田信玄も遠江へと
進出し、物見によって家康の動向を知ると、これを討たんと緊急に兵を出した。
この事を知った家康は帰城を急ぐ!そして見付宿(現静岡県磐田市)まで来る。

この頃見付宿に、上村清兵衛という心剛なるものがあった。
彼は家康の危難を防ごうと、自分の家、および見付宿の中三ヶ所に火をつけ大いに煙を立て
武田勢の進路を防いだ。
武田勢としては、ここを迂回しようにも南には今之浦という大池があり、また深田であり、北は山が多く
まともな道も無いので、致し方なく火災が止まるまで見付宿の前で指をくわえているしか無かった。

この間清兵衛は、家康に天竜川を越えさせようと、見付宿から天竜川へと出る道を案内し、
川端に出ると船頭を捕まえ早々と川を渡り、「川向うに戻った後その船を水中に沈めよ!」と命じた上で、
そこから半里ほど西にある橋羽村の妙音寺まで案内をした。

家康一行はそこに一宿し、翌日浜松へと帰城した。家康は清兵衛の功を称し、自ら刀を与えた。

このことがあってから家康は、
見付宿の近辺に出馬する度に清兵衛の家に立ち寄った。
その頃は酒を売るものも稀であったが、清兵衛はもとより酒を好んでいたので、酒を作り置き、
家康のお立ち寄りさいはその酒を献じ、お供の面々にも茶碗に酒を注いでこれを薦めた。

そのうちに家康は、この上村清兵衛が常に冷酒を好んでいたので、彼のことを「冷酒、冷酒」と呼んだ。
これによって遠江の国中の者たちも、彼を『冷酒清兵衛』と呼ぶようになった、とのことである。

遠江に伝わる『冷酒清兵衛』のお話
(近古武談)

ちなみにこの冷酒清兵衛、家康の御朱印酒屋となり、当主は代々冷酒清兵衛を名乗りました。
その屋敷は今も磐田市に残っています。お近くにお寄りの際は是非、家康の気分でお立ち寄り下さい。




264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 17:31:27.15 ID:K2OJohb4
やはり、なんだかんだで名前は付くんだな!

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 17:46:05.96 ID:0dZK1fvD
ひやざけ?れいしゅ?

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 17:54:08.34 ID:0rIQB5pP
>>266
「ひやざけ」ですね

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 18:37:35.99 ID:0dZK1fvD
>>267
ありがとう
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コメント

  1. 飲兵衛 | URL | -

    「冷酒」ってからには清酒と思いたいけど、やはり焼酎なんだろうか?

  2.   | URL | -

    部下に加えようとはしなかったんだな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    やっぱり名前シリーズか・・・。またも家康クオリティー爆発。
    でも、お店的には分かり易いかも?w

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >>1
    水が綺麗だということで、おそらく清酒でしょう。

    流石に似合ってるとはいえ、どぶろくを薦めて喜ばれるとは部下的に考えてないかな。と。(清酒の方が高級なので)

  5. 権現様「今日より冷酒と名乗るがよい」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    東海道の宿場は見付宿だけど、東海道線の駅は「中泉」だった。この逸話に出てくる池とかが由来らしい。
    隣は「袋井」だけど、こっちも地形や水脈的に似ているから似たような地名らしい。

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