fc2ブログ

神子田半左衛門正治、秀吉と不和と成る

2011年10月30日 22:00

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 13:27:24.99 ID:HGbriStF
天正12年(1584)5月1日、羽柴秀吉は徳川家康との決着がつかぬまま、ついに小牧長久手より撤退を始め、
本体六万は青塚方面へと移動した。

この時秀吉軍最前線の拠点である二十堀砦には、木村常陸守、神子田半左衛門正治、黒田官兵衛、明石右近などが
入り置かれていた。
彼らも撤退を始めたが、これを徳川軍が把握し追尾する。いよいよ徳川軍が襲いかからんとした所を、
細川忠興の部隊が取って返し徳川軍を牽制したため、かろうじて撤退を成し遂げた。
この状況を秀吉は、青塚からじっと見下ろしていた。

やがて秀吉軍が犬山に入ったところで日が暮れた。
その時御前にいた神子田正治に対し秀吉は言う

「今朝、二十堀に敵が襲来したのを、お前なら返り討ちにすると思っていたのに、そのかいもなく
不覚をとってしまったな!」

神子田は、これに反論した
「我々はあれだけの敵に対処できるほどの人数を持たされていませんでした。人数がなければ、ああいう時
どうにもできるものではありません。」

秀吉のそもそもの撤退戦略のミスを指摘したとも取れるこの口答えに、秀吉はサッと表情を変え、
神子田を睨みつけた

「人数だと!?そもそもお前が初めてワシの下に付けられた時、お前の家来など10人も居なかったではないか!
それを今の程までの身代にしてやったというのに、それがどうしてそのような口を利けるのか!」

激怒し、そう怒鳴った。

この事があってから、神子田正治は追放され、終には命を失うこととなった。
(豊鑑)




621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 16:58:40.61 ID:17zPE6cd
>>615
神子田さんにとっちゃ踏んだりけったりな話だと思うが
そういう時こそ主君の為に役立たなければならないから難しいな
スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    戦って勝つ自信がなかったと言えば
    落ち度ながらも秀吉の印象は変わってたんだろうか。

    神子田のエピソード見てると賢いけど他人への配慮があまり出来ない人が
    陥りがちなことをよくやってる。

  2. 創造力有る名無しさん | URL | -

    普通に謝るか忠興を褒めればいい所で、一歩間違えれば主君の面目を潰しかねない反論して来るんだから可愛くないわな。
    しかも秀吉から能力を期待されていたのに、それに応えられなかった直後のことだし。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    あー言えば孔融さんみたい。
    正論ぽいけどなんか腹立つ言い回しなんかな。

  4. ラスボスが理不尽すぎるだけ。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    正直秀吉は本能寺後完勝だったのに
    相手の3倍以上の大軍を擁してかかった小牧長久手の敗戦でイライラしてたんだと思うよ。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    能力があっても腹芸の出来ない人は生き残れないって事かな

  7. 名無しさん@ニュース2ちゃん | URL | -

    ※4
    古参で関係が深いのに甘えて主君を批判したんだから、
    さすがに理不尽ではないのでは
    ちょうど秀吉が箔付けに苦心してた時期だし、昔を知ってる人間になめられてる、と思ったのかも

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >>4
    同輩なら良いけどこの二人は君臣関係にあるという事を忘れてる?
    逸話を見ると神子田は君主を君主と思ってない物言いが多すぎる

  9. 人間七七四年 | URL | -

    黒田長政と後藤又兵衛も主君を立てないから喧嘩分かれになったんだっけ
    もしかしたらこの二人も尾張時代や美濃時代は仲よかったのかもな
    特に尾張時代なんて立場的に近かっただろうし

  10. 人間七七四年 | URL | -

    理不尽ではないわな。口が達者すぎるのも困り者。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/5935-1886b13a
この記事へのトラックバック