応仁の乱後の、京の治安

2011年11月17日 22:09

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/17(木) 13:03:06.86 ID:+HAiG0aj
応仁の乱以来、非常に治安が悪化したとされる京。その模様を「陰涼軒日録」の延徳元年(1489)の記事より
見てみましょう。


・5月3日
数日前上野玄蕃頭殿が盗人を誅したそうだ。
この者は延念寺の前で傘張りを営んでいたのだが、実は夜盗の頭目だったそうだ。
玄蕃殿は昼間、この家の傘張りを見張っていた。
彼らを捕えるため兵士たちが派遣されたが、この傘張りはこれを見て逃げ出そうとした。
そこで玄蕃殿は素早くこれを斬り、その妻を捕え盗賊の仲間について尋問した。
盗賊の仲間は70人にも及んだという。

・6月12日
上乗院に夜盗が入ったそうだ。その日寺では外で公事の事があり、盗賊の入った時間には
未だそれが終わっておらず、そのため寺に帰って居なかったと言う。

ところで今日の申の刻(午後4時頃)、”天下の夜盗の長”と呼ばれた小河四郎左衛門が、
細川政元の家臣、物部神六(上原元秀)の邸宅で討ち取られたそうだ。
討ち取ったのは神六の被官であったという。

この小河四郎左衛門は応仁の大乱中、浦上美作守(則宗)の被官であった。
これを聞いて洛中は、これに過ぎることが無いほどの歓喜に湧いた。

・6月13日
聞いた話によると先月のはじめごろ、匿名の何者かが京兆(細川政元)の寝所に巻物を投げ込んだそうだ。
そこには、洛中に盗賊が出没していること、その悪事について詳しく記され、「これらを成敗しなければ、
ご当家も滅亡してしまうでしょう」と書かれていたそうだ。

細川政元はこれを家臣の杉原に8枚写させ、波賀部兵庫助(波々伯部盛郷)を召してこれを読ませた。
このために最近は政道謹厳になっているということである。


応仁の乱後の、京の状況についての記録である。





27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/17(木) 18:32:57.02 ID:VPl5Mdad
鬼平犯科帳を見たくなって来た
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    細川政元の寝所に巻物を投げ込んだ人も捜索すべきじゃないのか…相当凄いぞ…

  2. 人間七七四年 | URL | sSHoJftA

    またイチローか

  3. 人間七七四年 | URL | -

    もっと世紀末な有り様と思っていたけど、警察機能はちゃんと残っていたんだね

  4. 人間七七四年 | URL | -

    日常はあくまでも日常だからな
    どういう形にしろそれなりに安定はするんだろう

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >1殿
    全く持って。そもそもどうやってこの人物は調べ上げたのか?
    凄く気になる!

  6. 名無しさん | URL | -

    これが信長の治世では道端で眠れるほどに回復します。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    この有様でも平安期よりは多分にマシなんだよな………

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >7
    平安期は、娘が一人で歩いていたら誰のものでもない
    (保護者なし)ので拉致ってokとか
    葬儀中に野良犬が人間の死体の腕くわえて乱入してきて騒然とか
    道端に死体放置されてて腐臭がって時代だからね

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