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姉川の戦いby 徳川実記

2011年11月21日 22:00

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 19:46:29.32 ID:J7NgHdVw
姉川の戦い


信長は浅井親子が朝倉氏に味方していることに憤慨し、「ならば先に浅井を滅ぼしてその後で朝倉を攻める」と言って
家康公に協力を求められたので、家康公は3000余の兵を率いてご出陣なさった。
浅井方は朝倉に加勢を求めたので、朝倉景紀が兵15000を率いて出陣してきた。

6月28日に姉川で合戦が行われた。

はじめ信長は「私は朝倉勢に向かうので君は浅井と戦ってくれ」と言っていたのだが、朝倉が大軍であるのを確認すると、
急に「私は浅井勢を攻撃する。君は朝倉に向かってくれ」と言ってきた。
徳川の御家人たちにはこれを拒否する者が多かったが、家康公は「大軍に向かう事こそ勇士の本意である」と仰せになり、
朝倉勢に向かわれた。

こうして朝倉勢15000が家康公の軍勢に、浅井勢8000が織田勢に向かっていった。
徳川勢の酒井忠次らがかけ声を上げながら向かっていくと、朝倉勢もついには敗北し、真柄直隆など優れた勇士たちを多数討ち取った。
浅井方は先鋒の磯野員昌が織田勢を11段まで切り崩し、織田勢は大混乱となった。

家康公はこの様子をご覧になり、「織田殿の旗色が悪いようだ。崩してかかれ」とご命令になり、
本多忠勝ら数名が浅井勢の中に向かっていった。
浅井勢も横から攻撃を受けては防ぎきれず、混乱した。
織田勢はこれに勇気付けられて反撃し、浅井勢は敗走して小谷城へ逃げ込んだ。

信長は「今回の勝ち戦はすべて徳川殿のおかげである」と言い、感状のほか、長光の刀などさまざまな品を送ってきた。







                                                            by 徳川実記


110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 20:19:22.73 ID:okU3lH9I
えーーーwww

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 20:48:15.93 ID:6MdIC1LA
徳川軍てこの戦いの前に、織田軍が全面に戦うからって言われて
せっかく来たのにそんなおまけ扱いなんて心外だ だったら帰る
とかいう話なかったっけ

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 20:54:08.77 ID:eovu83wJ
歴史とは勝者が書くもの

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 21:03:29.09 ID:vEX20NKr
徳川軍って6千の援軍を出してなかったっけ?
で、織田軍が2万以上だけど少ない浅井軍と対峙した。
その後の三方ヶ原では織田からは3千位しか援軍来なかったんだよね
信長ってばちゃっかりしてるわw

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/21(月) 21:54:28.01 ID:QWH46Tm7
信長が「浜松城すてて岡崎城へ後退しろ」って家康にいうくらい遠江がピンチだったし
「武田への寝返りand対織田の先鋒となる」ってちらつかせなかったら本当に見捨てられてたかもね

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    徳川実紀だから権現様をかっこよく書くのは仕方がない。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    まぁ実際士気や指揮系統に問題を抱えていたとは言え大軍だった朝倉家を相手に徳川方が奮戦したことが勝利に結びついてるわけだし、こんぐらいの盛りはまぁいいんじゃない?w

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >本多忠勝ら数名が浅井勢の中に向かっていった。
    浅井勢も横から攻撃を受けては防ぎきれず、混乱した。

    横を突いて崩すのはわかるがリアルで数名は少なすぎねぇ??

  4. 人間七七四年 | URL | -

    信長が徳川に感状出すのか
    さらっと書いてるけど家康の扱い酷いなw

  5. 人間七七四年 | URL | IY7bLZJE

    実際のところは
    1・信長が家康に援軍要請して小谷城を攻める
    2・朝倉の援軍到着、浅井と合流
    その際朝倉が家康の前に、浅井が信長の前に布陣する
    3・今更敵前で陣替えするわけにもいかず、こっちの方が多勢だから撤退するだろうと高をくくっていたら、向うから攻めてきたでござる

    別に信長がビビッて家康に貧乏くじ引かせたわけではないし、逆に家康の方が先陣を希望した文献も残ってる
    また織田勢の十二段構えの陣ってのも信長公記には全く触れられていないので、実際にあったかどうかは不明
    小瀬甫庵の信長記を初め、江戸期の書簡を一次資料として実際とは異なる「歴史」をつい最近まで史実としていたケースも結構あるようで

  6. 人間七七四年 | URL | -

    浅倉が少数と闘いたかったということ?w

  7. 創造力有る名無しさん | URL | -

    斜線陣と同じで、敵の片翼を圧倒してスマートに勝とうと言うのはありっちゃあり。
    実際に思惑通り事が進むかは別として。
    朝倉の相手が徳川ではなければ、浅井が織田を押さえてるうちに勝てたかもね。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >※3
    でも実際、金子さんは6人にやられて潰走…って逸話がありましたよね。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    これは酷い

  10. 人間七七四年 | URL | -

    まあ、自分の家を美化するのはどこでもやっていることw

  11. 人間七七四年 | URL | -

    美化っつうか結果はそうだからなぁ

  12. 人間七七四年 | URL | -

    3000対15000で真正面から策も使わずに戦って勝てるわけねーだろw

  13. 人間七七四年 | URL | -

    敗者の書く歴史=階級闘争史観

  14. 人間七七四年 | URL | -

    >酒井忠次らがかけ声を上げながら
    >本多忠勝ら数名が
    凄い武将なのは理解してるが、幾らなんでも強過ぎだろうwww

  15. 人間七七四年 | URL | -

    6000対15000

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