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わんこそばの始まり

2011年11月27日 22:00

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:28:14.36 ID:Pfb6bthU
わんこそばの始まり

南部利直が江戸に向かう際、花巻市鍛治町の宿に立ち寄り、食事を所望した。
「殿様がお食事ご所望だじゃ」
「なら蕎麦出すべ」
「んだども、お口に合わねがったら失礼になんねべか?」
「あー…んだば少しずづ出して様子見んべ」

家人は漆塗りの椀に一口大に蕎麦を盛りつけ、利直に出した。
「美味い!」
利直は蕎麦を大変気に入り、何度もお代わりをした。
以来、蕎麦を小分けして振舞うことをわんこそばと呼ぶようになったという。

ちなみに当時は今のような大食いの形ではなく、ゆっくり味わって食べるのが普通だったそうな。




780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:30:43.22 ID:FEKM4Qwa
昔のほうが風情があるね ちょっとずつ味わって食べるんだ
いつから大食い・早食いなんて下品な食べ方にしてしまったのか…

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:35:01.46 ID:TvijQjtC
>>779
この時代に江戸でさえまだまだな蕎麦切りが奥州奥深くに波及しているわきゃ無い

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:42:31.09 ID:q9otc+Aw
蕎麦がきだったかも。

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:43:09.56 ID:70A4zj5d
>>781
蕎麦掻きのわんこそば説


南部さんが蕎麦アレルギーじゃなくてよかったよ

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:50:59.34 ID:V4M2Ixzs
たしかに蕎麦がきならゆっくりたべるってのもわかるな。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    確かにアレルギーだと毒盛ったって打ち首だな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    こんな話見てるとお腹減ってきたじゃん。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    江戸時代に蕎麦切りが普及しはじめたとき「ソバを食ったら死ぬ」って噂が流れて増え始めてた蕎麦屋がバタバタ潰れたって記述からこれソバアレルギーで何人か死んだんじゃないかって分析してたひとがいたなあ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >1・3殿
    確かに当時はアレルギーなんて物は理解されなかったろうから、何かしら
    突然体調不良になれば奇病・毒等が疑われたでしょうね。
    にしても、最近食べ物系の逸話も増えましたねw

  5. 人間七七四年 | URL | -

    蕎麦自体は、寒冷地で耕作できる作物で、それこそ縄文時代とかからあるそうな。蕎麦は、できるまでの期間も短く、救荒作物として普及しているので、山間部や北の方が、伝播が早かったかもしらん。
    で、もっとも古いそば切りの記録は、信州の木曽の山奥のお寺にあり(大工にふるまった記録がある。そういえば、焼酎の記録も大工がからんでた)、1574年だったりする。なお、そば屋の営業が始まったのが、大阪砂場で、1584年(砂場は大阪城建築の際の資材置き場。で、砂場という屋号のそば屋が今もいっぱいある)。
    南部利直が亡くなったのが、1632年だったので、そば切りが確認されてから50年以上たっており、この逸話は可能性が全くないわけではないと思うなあ。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    南部と仲悪い、隣の津軽にも変わった蕎麦があったね

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    上方にもう蕎麦切りがあったのか
    だったら関東より先に陸奥方面にいち早く伝わっててもおかしくない
    昔から交易の関係で上方文化の伝播が非常に早い地域だったしな

  8. 人間七七四年 | URL | -

    昔読んだサライの原敬特集に
    「原さんが蕎麦は椀子に限ると言っていたので・・・」って書いてあった気が
    この手の物って、ずんだ餅といい有名人絡むよなぁ

  9. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉は蕎麦掻きが好きだったと何かで読んだなあ。

    有名人は食べ物の由来に使いやすいよね。PRになるから。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    宇喜多「周りに茶アレルギーが多くて困る、先に言ってくれればいいのに」

  11. 人間七七四年 | URL | -

    >>米10
    U喜多TD家「抜き打ちアレルギーでしてな・・・鎖帷子が手放せませぬ」

  12. 人間七七四年 | URL | -

    そば好きだから、何だか楽しい話だったw

  13. 人間七七四年 | URL | -

    >10
    松永「ふむ、では石鹸にして振る舞ってみては如何かな?」

  14. 人間七七四年 | URL | -

    >13
    実際に今現在苦しんでいる人がいる中で、こう言う茶化しはどうなんだ?

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    潔癖症はつらいわよ

  16. 人間七七四年 | URL | -

    池波の時代小説に食物アレルギーの話があったなあ
    しかし実際当時に「特定の食べ物にあたる」みたいな概念はあったのか?

  17. 人間七七四年 | URL | -

    ※16
    フグの毒や毒キノコの類、それに食い合わせとか、「食い物にあたる」という
    概念自体は昔からあったんじゃないかな。ただし根拠の無いジンクス込みで。

    アレルギーに関しては、そもそもそんな概念も無かったろう当時の人にしたら、
    食い物やら花粉やらのせいでいきなり人がぶっ倒れても、流行病や毒を盛られたという
    捉えられ方しかされなかったと思う。

    ふと思ったんだけどこの話、突然死の逸話なんかと絡めると、もっと掘り下げられそう
    じゃないかと思った。
    『食品学の視点から見た中世・戦国時代』とか、新書や学術文庫あたりで誰か書いてくれないかなぁ。




  18. 人間七七四年 | URL | t4BXKsVg

    京都市には、応仁の乱の頃の創業という蕎麦屋さんがある。最初から蕎麦きりを供していたかは知らないが…。旧国名が店名。おいしいですよ

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