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徳勝寺由来

2011年12月05日 22:01

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/05(月) 00:47:30.15 ID:9LE/C9C7
天正元年(1573年)浅井家が滅亡し、羽柴秀吉が江北一円を与えられ、長浜城を築き
文禄四年(1595年)長浜城に内にある寺を移した

それは浅井家の菩提寺であり、元々は小谷城の背後にある上山田村にあった医王寺という寺を
浅井家初代、亮政が小谷城と共に同山麓に移して菩提寺にしたものだ
それを秀吉は、亮政の法号、徳勝寺殿にちなんで、徳勝寺と改名した

時は流れて徳川の世となった慶長十一年(1606年) 時代は二代将軍秀忠の頃
徳川譜代の内藤信成が長浜を与えられた際、城下の田町に同寺を移転させた
秀忠は、江の父祖の寺なのだからと配慮し、寺領三十三石余を安堵した

更に時は流れて寛文十二年(1672年)
長政の百回忌に、彦根藩主の井伊直惟が現在の地に移転し境内を整備した

江戸中期の頃、中御門天皇が長政に従二位大納言を追贈して以来、皇室が年忌ごとに香料を下賜する慣例になった

そして現在、境内には、亮政・久政・長政の三代の供養墓が並び
寺内には、浅井氏三代の夫婦像や一族の位牌、過去帳などが所蔵されている

逸話じゃないけど、一つの菩提寺でも色々な配慮がされているんだなぁと思ったので




893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/05(月) 09:53:28.26 ID:LT1PHWv7
凄い寺だが、霊感強い人が行ったらなんかこう…
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    長政従二位贈られてたのか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    だって家光の爺ちゃんだもん>従二位長政

  3. 駄目人間名無しさん | URL | -

    それにしちゃかなり遅すぎね? 江戸中期だぞ
    年忌ごとに香料を下賜するとかすごい待遇だな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ぐぐってみたら寛永9年に贈従二位中納言ですと
    中御門天皇はどこから…

  5. 人間七七四年 | URL | -

    寛永九年って秀忠が死んだ年だからそれで贈ったんじゃね

  6. 駄目人間名無しさん | URL | -

    徳勝寺、行ったことないんだが幽霊でもでるの?

  7. 名無しさん(笑)@nw2 | URL | -

    従二位だから香料でるのか、長政だからでるのか・・・
    まぁ年忌だからそんなに数は多くないか

  8. 人間七七四年 | URL | -

    なるほど。
    何で近江半国の長政が従二位なのか疑問に思ったがお江さんの父親だからってことか。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    江の父親ってことより、明正天皇の曽祖父にあたったことの方が大きいんじゃないか?
    寛永九年といえば、明正天皇の在位中だ。

    そう言えば、明正女帝って寛永の途中に即位して改元はしてないんだな。

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