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赤松政秀、永禄9年正月11日浦上攻めのこと

2011年12月23日 22:01

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/22(木) 20:01:20.03 ID:1yW4B2Ym
浦上さんちは名前が似てる人多すぎw
こんなのみてたら直家さんの思考があんなんなっても不思議ないと思えちゃうw



490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 01:14:23.30 ID:HJ8lQWr+
>>486
「播磨鑑」では、人名関係がえらいことに。
姫の年齢もこれでいいのか?

赤松の惣領と龍野の城主赤松下野守政秀は浦上に遺恨あって、老臣内海勘解由左衛門、湯浅長門守、
江渡越中守等と相謀って、
永禄9年正月11日に押し寄せた。
その日、城は村宗の息子宗景の婚礼で、酒宴乱舞で上も下も酔いつぶれている。
そこへ3百余騎の龍野勢が、海を押し渡った先の大手と、地続きの北口の2箇所から一斉に攻めかかったのである。

思いも寄らぬことに城は大混乱となり、酒で足腰の立たない兵は次々と討たれていくが、
村宗は騒がずに下知し、火の出る勢いで戦った。
婚礼を終えたばかりの宗景の内室(28歳)も小長刀を取って敵中に駆け入り、思う存分戦った後に自害。
その様子に敵も味方も「女といえど武士の子はかくや!」と感じ入ったのであった。

やがて奮戦していた村宗も討たれ、子息の宗景も死を決意したが、
「これは不慮の災難であるから、皆が討ち死にして敵に利を取らせるよりも、
一旦落ち延びた後に仇を報ずるべきでございます」
と明石大炊助が必死で止め、菖蒲谷治部小輔というものを添えて搦め手の門前から小船に乗せ、
備前国へと落としたのである。

なお、室津の住民は婚礼の夜に討たれた姫のことを悼んでひな祭りを延期しました。
これが室津で行われている「八朔のひな祭り」の由来だと言われています。
永らく伝えられたこの風習も一時期途絶えていましたが近年復活し、今年も盛大に開催されました。




491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 01:46:46.64 ID:HJ8lQWr+
赤松政秀さん、
赤松晴政の名代として毛利元就に使いし、元就の以来で刀の鍔を自作していたり、
聖徳太子縁の斑鳩寺(太子町)を再建したり、
娘が信長の養女として関白二条晴良の嫡男に嫁いでいたり、
読書家で数千冊の蔵書があり、藤原惺窩がそれを引き継いだ広秀のもとに入り浸ったり
と、いろいろ凄い人なんだけどねえ。

政秀にすれは包囲網の形成を阻止し、主家の仇を討った大勝利だけど、戦国の掟は残酷だねえ。
敵にとっても自分にとっても。

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 03:46:17.23 ID:TJav4rlU
>>490
色々凄いな、これw

30年以上前に死んだ村宗が黄泉がえって宗景が室津にいる。政宗どこいった。

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 08:36:00.41 ID:+Ybzg5M+
>>490
>婚礼を終えたばかりの宗景の内室(28歳)

年齢は干支を一回り下って16歳とかかな?
28歳だと父親の黒田職隆の12歳の時の子どもって事になってしまう
ショタ好きには有りかもしれないが
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    内海勘解由左衛門って勘解由と左衛門とで受領名が2つあるけど、これって1人の名前なの?

  2. 人間七七四年 | URL | sO.jHPec

    > 493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 08:36:00.41 ID:+Ybzg5M+
    > >>490
    > >婚礼を終えたばかりの宗景の内室(28歳)
    >
    > 年齢は干支を一回り下って16歳とかかな?

    なんか古文か小説か何かで「二八」ってあると「にはち」と読んで16歳を表すっていうのがあった気がする
    出典に「『二十八』『歳』」とかって書いてなければ、これも16歳の姫だったかもしれないね

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