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「赤松さんの墓」

2011年12月25日 22:00

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/25(日) 17:26:44.03 ID:J0wjrkZB
「赤松さんの墓」

元文3年(1738年)但馬・円山川流域で大洪水が発生し、小佐郷に大きな石が流れ着いた。
その石は墓石にするには理想的な形状をしていたのだが、高さは1,5m、幅は50cmもあるので、村人たちは
とりあえず永源寺の住職・了覚和尚に預けることにした。

その翌年、了覚和尚から村人たちへ一つの提案があった。
「お前達もよく知っているとおり、この小佐郷は120年ほど前には竹田城主・赤松広秀(広通)公によって
治められておった。
広秀公は民を非常に慈しみ、この郷が凶作となった時など3年間にわたって年貢を全免してくださった。
さらに、氾濫地には桑を植えて養蚕を奨励されたことで、今もこの地は恩恵に浴し、昨年の飢饉も生糸の収入で
乗り切ることもできた。
このご恩を忘れぬためにも、あの石で広秀公の供養塔を作ろうではないか。」

「赤松さん、赤松さん」と広秀のことを語り継ぎ、敬愛してきた村人たちのこと、これに反対する者のあろうはずもない。
早速「乗林院殿可翁松雲居士之墓・前竹田之城主赤松左兵衛廣秀」等の文字を刻み込むと、
自分達の先祖によって密かに築かれていた、大森(養父市八鹿町)の墓に据えたのであった。
後には、この墓が雨露に濡れることの無いようにと祠で囲い、祭祀を欠かすことなく今も大切に守り伝えられている。
また、収穫を祭祀の費用に当てるための田畑は「赤松散田」として伝えられてきた。

なお、竹田城下ではこの墓の事を「腕塚」と呼んでいるそうで、
赤松の遺臣や竹田の領民が、広秀が自害した鳥取でその片腕(片袖)を下げ渡してもらい、
どうにかして竹田へ持ち帰ろうとしたものの、
城接収のために城下には入れなかったので、やむを得ずこの地に葬ったものだという話が伝えられている。

大森にも竹田にも「赤松さん」への思慕は今なお残っている。




140 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/12/25(日) 19:04:54.50 ID:ptZR+4GR
善政でんな

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/25(日) 20:26:51.40 ID:4Mny2YgA
家康に切腹させられた人としか知らなかったが
おのれ亀井茲矩め
和尚さんGJ

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/25(日) 20:28:17.68 ID:ekVvFgtH
赤松政秀の子供だったねこの人

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/25(日) 21:45:14.33 ID:J0wjrkZB
竹田の観光案内所で色々教えてもらっていた時に聞いた
「私たちは今でも、赤松さんに治めてもらったことを誇りに思ってるんです。」
という言葉が忘れられません。

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/25(日) 23:10:56.56 ID:2LzmoaPT
藤原惺窩がめちゃくちゃ買ってたのも頷ける>赤松さん

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 03:54:43.43 ID:71kzmdJL
竹田城行った時、亀井さんがすげーdisられてて不思議な気分だった
亀井さんが地元の殿様だったから

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 07:57:58.18 ID:d2WqDJyr
こんなの見つけた。
竹田小学校校歌(1番)だって。

「虎臥山に 年ふりて その名も高き 赤松の
葉末の雫 むすびつつ 二葉の小松 茂りゆく
学びの園は 千代八千代」

147 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/12/26(月) 08:05:29.24 ID:Z+T6d6Py
年貢三年免除って、実際有り得るの?

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 09:20:59.43 ID:nCx9g6Lh
当たり前だが支払い能力が無い者に払うことを強要しても
意味が無いどころか逃げ出して将来の収入増の可能性を無くすので害になる
 
3年かどうかは知らないが状況に応じてある程度の期間減免はありうる

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 10:48:05.39 ID:wEUFfWEO
年貢以外にも税収はあるから財政に余裕があれば年貢の免除もある
さすがに領国全域での全面免除はそうないと思うが

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 11:30:15.96 ID:8KH1fnb3
>>146
やっぱ校歌はこういうのがいいよな土地に根ざしてような
おれは新設校の薄っぺらい校歌だったからあほくさかった
大人になって歌詞読んで色々感じられるのがいい

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 12:41:28.78 ID:azna+/Pd
年貢を3年免除しても運営できる藩政だったのだから
非常に優秀な統治をしていたんだろう。

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 16:52:33.19 ID:YOViG9M4
どっかのフォレストさんとは大違いだな。
巷はやれ伊達だ真田だ言ってるけどやっぱりこういう人達が評価されてほしいな・・。


153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 16:55:32.89 ID:YOViG9M4
連レス失礼。
決して隻眼や具体的に何したか分からん人をけなしたわけではないのであしからず・・。
森さんについては否定しません。

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 22:37:58.62 ID:oagGq/Hn
なんか珍しく俺の好きな広秀さんの話だが、今投下できるものがない...無念

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/27(火) 00:05:55.92 ID:q1XTyam5
ラフォーレさんは今日も大人気。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    イイハナシダナー(';ω;`)

  2. 人間七七四年 | URL | -

    津山の人々「森家…?知りませんな、知りませんとも、えぇ」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    雄略帝と仁徳帝が合体したような名君(´;ω;`)

  4. 人間七七四年 | URL | -

    o●oo●o*・゚。:.*Merry X\'mas:*・゚。:.*o●oo●o

  5. 人間七七四年 | URL | -

    江戸時代はどの藩が治めてたんだろう?
    よほど苦しかったのかな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    この人は漆器作りの奨励もしてて、これが後に家具作りに発展して「竹田家具」という一大地場産業にまでなってるね。

    「わっだやま~ たけだ~か~ぐ♪」←昔やってたローカルCM

  7. 人間七七四年 | URL | -

    源頼政が鵺退治で賜わった、やたら名前のかっこいい太刀「獅子王」も
    この赤松さんが持ってたんだよね

  8. 人間七七四年 | URL | -

    舅が宇喜多直家で長生きしていることが奇跡に思えるんですけど…

  9. 人間七七四年 | URL | -

    加盟が罪をなすりつけて生き延びるなんて、子孫も似たようなところがあるな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    亀井に訂正

  11. 亀井糞すぎ

  12. 人間七七四年 | URL | A75NpKCQ

    赤松さんと藤原惺窩が、儒教による理想の国を築こうとしたって短編小説を以前読んで、その理不尽な結末に切なくなったなぁ。
    で、当然亀井が嫌いになった。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    政広も訴え位はしたと思うから、家康は政広よりも亀井の
    行政能力の方を惜しんだのだろうか?

  14. 人間七七四年 | URL | A75NpKCQ

    >※5

    うろ覚えだけど、確か幕府領じゃなかったっけ?
    竹田と同じ、現・朝来市内の生野には銀山や代官所もあったはず。
    生野は幕末の「生野の変」で有名。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    竹田家具の起源にびっくりだよ!!!
    更に赤松広秀の嫁が宇喜多直家の娘で更にびっくりだよ!!!

  16. 人間七七四年 | URL | -

    読んでて亀井さんに殺意が湧いたわw


    直家の娘はまったく詳細不明にもかかわらず
    地味にあっちこっちに転がってるよなw 広家の嫁とか

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