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黒田長政が音痴なのはよく知れた話だ・悪い話

2008年11月24日 00:13

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 13:37:11 ID:cxekUhW3
黒田長政が音痴なのはよく知れた話だ。
なぜなら黒田家譜という黒田家の来歴と活躍を示す書物に堂々と、黒田長政が
偉い先生(観世太夫)にほめられた!と家臣を集めて自慢げに歌った謡が調子っ
ぱずれだったと書かれているからだ。
もうここからかわいそうだと思う。なにも黒田マンセーな本でまでこんなこと書か
なくていいのに。
それを指摘したのは母里太兵衛という家臣で、これは黒田節などで有名なあの
飲み取り太兵衛のことだ。
「決してお前の歌に感動して泣いたとかじゃないから勘違いすんなよ!
この下手くそが師匠がほめたのをお世辞だとも気づかず調子に乗って、
それを周りの重臣が機嫌を取ろうと持ち上げおって、もう黒田家はおしまいだ!
そう思ったら涙が出るわ!」
最初の一言は言う必要あるのか?俺はそれを疑問に思う。
ちなみにこの逸話自体は長政が母里太兵衛の忠心を泣いて喜び脇差を与えて、
なんとなくいい話っぽい雰囲気で終わる。
俺はこの、とりあえずいい話でまとめる黒田長政の能力を評価したい。

この話は江戸時代に入ってからのことだが、黒田家譜ではこれについて
「治世では主君が楽をして怠け心を起こし国が乱れるものだが、敢えて厳しく諫言し、
主君に善心を起こさせて国をよく治めさせる母里の言葉こそ乱世の言葉である」
と誉めたたえている。

さて、俺はこないだ福岡県地域史研究という雑誌に載った能役者喜多七太夫について
書かれた文章を読んだ。
この喜多七太夫は大坂の陣で豊臣家につき、陣後は(諸説あるが)黒田長政に匿われ、
その斡旋で役者として復帰したと言われている。
黒田家と能との関わりを示す資料として、例の母里太兵衛に黒田長政がこれでもかと
音痴を指摘される場面が引かれていた。
こんなとこでまで晒されるのか。俺は自分も音痴なので黒田長政に対して同情した。
なぜこの場面かというと、母里太兵衛は能の心得があり、そこで謡にも一家言あったのだ。
つまり歌が上手い奴が音痴に身の程を知れ音痴!と言ったのだ。
なんてひどい話だ。

ところでこの母里太兵衛という男は黒田家の三老と言われていた男で、指折りの重臣だ。
武功も家中で群を抜いていて、自分の留守中に長政が戦で苦戦したと聞いて、自分で
「それはいつもと違って俺がいなかったから特別強敵だったように思うだけですよ」と
言っちゃった野郎だ。
その上、非常に体格に恵まれ、それでいて顔は人形のようだったという。
地位も権力もあってスポーツ万能でイケメンで、そして芸術的素養もあるのだ。
なんだそれ死んでしまえ。俺は思った。

そんな母里太兵衛の、長政の音痴と不明を罵る長台詞がその文章では黒田家譜から
引用されていたわけだが、よくよく見ると「節・拍子ちかひたるやうにて、更に面白くも
無御座候。」の部分に鉤カッコしてあり、小さな注釈がついていることに俺は気づいた。
(朱書)
……つまりなんだ。黒田家譜は、少なくともこの文章の筆者が底本にしてる写しは
(新訂黒田家譜一巻だそうだ)母里太兵衛の「殿の音痴!」という台詞をわざわざ
赤字で強調してるとこういうことか?
ひでえ…ひでえのは知ってたけど想像以上にひでえ……。
あれか?筑前は鬼の棲む地か?
音痴は好きで音痴をやっているわけではない。
長政などは一流の師匠について訓練しても矯正できないレベルの究極音痴なのだ。
それをこうまで晒し物にしようというのか。
俺は泣いた。




459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 13:41:15 ID:7ErZxTHF
>>457
笑った
非難をものともしない長政の度量に感服してやれよ

しかし長政って、家臣から見るとそんなに頼りなかったのかな

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 13:50:03 ID:J96r1BBY
先代が頭ぐりぐり回る隙のないタイプだからなー

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 13:58:40 ID:7ErZxTHF
忠興とかみたいな偉大な親父を持つ連中で、
“家来から”ここまでボロクソに言われている人っているのかな。

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 14:04:39 ID:P/8H+qXu
関ヶ原の戦いで福島他の東軍参加や、小早川の裏切りを根回ししてたり
親父ほどじゃなくても、なかなかの器量があったのは確かなんだけどなあ。

まあなんだ、ジャイアンリサイタルがよっぽどウザかったんだろ


463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 14:13:09 ID:6gIDOox2
家臣に罵倒されながら涙目で能を舞う長政w

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 14:28:09 ID:cxekUhW3
>>459
母里太兵衛ははっきり言って別格。
秀吉にも欲しがられた剛の者だし、空気読まないのが本領の戦国武士らしい戦国武士。
元々父親の黒田孝高に仕えていた頃からの重臣で、黒田長政も武功にこだわりのある
気の強い大将だったからよくぶつかってるが割と上手くやってる。
いつも黒田長政が折れる形でだがw

母里太兵衛が同僚の桐山孫兵衛と大喧嘩したことがあった。
というか発端は孫兵衛の失策だったんだが、それを太兵衛が何度謝罪しても許さず
決して口をきかないという報復に出たため孫兵衛の方でもさすがに腹をたてた。
それを知った長政が孫兵衛をなだめるためにかけた言葉が
「太兵衛はああいう無分別者だが、俺でも我慢してるんだからお前ももっと頑張れ」
だったことからもその苦労がうかがえる。

結論として太兵衛と孫兵衛はその後三十年間口をきかなかった。

またこの喧嘩騒ぎによってこの時代既に関西地方において「どたまかち割ったる」
(あたまを切割るべし)という罵言が用いられていたことが確認できることについても
留意されたい。

謡の逸話では一応黒田長政の事も
「長政は普段このように正直な諌言を好んで、この件に限らずよく聞き入れた。
滅茶苦茶なくらいきつい言い方をしても却って大切にした。実に明君である」
と誉めている。
ただし脇差取りに行く時すげー不機嫌そうな顔だったこともしっかり記録されちゃってるけどな!
名君として振舞おうと努力はしてるけど本来の性格が邪魔をする、そういう人だったんだろう。

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 14:41:06 ID:KdZr0fAU
後藤又兵衛と母里太兵衛の違いはなんだったんだろう

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 15:20:14 ID:kC0H/L0f
こんなこと許されたのは黒田家くらいなんだろな

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 15:33:44 ID:iQduHtqw
>またこの喧嘩騒ぎによってこの時代既に関西地方において「どたまかち割ったる」
>(あたまを切割るべし)という罵言が用いられていたことが確認できる
普通に10へぇ~(古)

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 15:37:24 ID:D+qmuItF
>>465
親父と兄貴の違いかな?

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 15:38:13 ID:6gIDOox2
>>466
徳川家も忘れてもらっちゃ困る
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