858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 21:40:04.11 ID:O91Yk9sI
先祖伝来の大筒
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い時のこと。対上杉の関東の最前線として東軍が重視した拠点の一つに
大田原城があった。
当時の大田原城主は大田原晴清(大田原資清の孫で大田原三兄弟の末弟である綱清の息子)で
上杉の領内の諜報活動などを行なっていた。
もし上杉が仮に南下して来るとすれば真っ先に危険が迫るのは会津と関東の連絡路でもある
大田原であろう事から
徳川家からも物資や城改築の奉行が入り、急ピッチで備えが進められたが、その時に
徳川軍が持ち込んだ物資に大型の大筒が10挺あった。
大筒10挺は結局の所、使われることは無く関ヶ原の戦いは東軍の勝利に終わったが、
それでも大田原城が有事の時に会津と関東の重要な中継拠点であることに変わりはない。
大田原城から徳川軍が去る際に大筒10挺のうち3挺がこれから起こり得るかもしれない「有事」への
備えとして大田原城に残された。
そして時は流れて慶応4年(1868年)5月、ついに大田原城に敵が押し寄せる「有事」が起こった。
大田原城の守備兵はわずか50人しかいない。
だが、こんな事もあろうかと大田原藩は先祖伝来の徳川謹製の大筒をしっかりと使えるように
代々しっかりと手入れしていた。
この時代においては骨董品のようなものだが威嚇程度には使えるだろう・・・
そして官軍に付いた大田原藩の兵は大筒を会津と関東との連絡路をバッサリ断ち切られてしまい
大田原城攻略を急ぐ旧幕府軍に撃ち込んだのであった。
859 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/25(水) 21:57:09.05 ID:kA7Kgmj5
司馬遼太郎の小説にそんな話あったよね。
860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 22:03:19.40 ID:6fPGxN8r
なんで外様なのに関東から追い出さなかったのか
861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 22:04:50.56 ID:2+GdgyCD
那須本家は潰したし、大田原ごとき残しといても害はないと思ったんでしょ
862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 22:36:43.90 ID:gc+kJ1bS
井伊家の先代が現当主の小さいころに関ヶ原で「ご先祖がここで死にもの狂いに働いたればこそ今があるんだぞ」
みたいなことを言ったそうだがそれを言うなら「幕末に主家を裏切ったればこそ今があるのだぞ」
というべきだと思った
863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 23:08:36.46 ID:zzOSAZRE
>>860
関東って言ったって南東北みたいな場所だったから。
864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 23:19:28.78 ID:HRvmd4Ig
>>859
あれは、奈良の高遠藩の話だっけなぁ~
865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 00:17:55.17 ID:CiqgYKqu
きたない大関さんの話じゃないんだなw
866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 00:24:49.67 ID:vMTuV2r3
>>864
司馬遼太郎の「おぉ大砲」の話だったら
大和高取藩の話なんだが
ちなみに高遠藩なら信濃なんだが
867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 00:29:22.54 ID:DIQZhpSP
汚い大関さんの黒羽藩は骨董品の大筒じゃなくて超最新式の七連装ライフルで
会津藩の詰所をジェノサイドしたからな。
868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 09:15:24.58 ID:P/em+5lE
幕府的にはあの兄弟の利の聡さ考えれば勝算ない東北側に組することなどないのは目に見えてるから
押さえとしてそのままおいとくのはありだと思ったんじゃね
自分たちが東北側になるのはさすがに想定外だろ
869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 11:25:10.45 ID:4+Oe1l8f
>>866
300年近く養われた一族が結局、
人一人を脳震盪と聴覚弱化させただけ、の
顛末が、なんか好き。
870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 12:08:22.52 ID:R3U7wtAC
そんなのに大坂城が屈したんだから
且元はよっぽど撃ちまくったんだろうなやっぱり
871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 15:36:53.18 ID:f91n20Yg
>>857
そんなことをしたら義重に怒られちゃうじゃないw
872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 17:49:56.00 ID:DrZH7TCm
>>869
あの時使われたのは実際は幕末に新たに購入した大砲
司馬の話は大嘘です
873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 18:57:36.62 ID:/l2jziFt
創作と言ってあげなよ小説家なんだしw
874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:16:41.19 ID:f91n20Yg
司馬遼を本当の歴史と思ってる奴らが少なからずいるのが問題なんだよな
それだけ小説家としての司馬遼が凄い、ということなのか
875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:19:37.49 ID:Ayo58s3g
昔の物語を一次史料のように扱うのは多いから
未来でシバリョの小説も一次史料となりうる可能性なきにしもあらず
876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:23:12.89 ID:f91n20Yg
軍記物かwww
戦国時代はともかく、坂の上の雲とかはマジでそうなってそうでこわい
877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:30:26.64 ID:Xqv0A4M5
高校生の時に燃えよ剣を読んで歴史好きになったっけなあ。
なんというか魂を揺さぶられた。
878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:52:32.44 ID:/l2jziFt
>>874
あれは史実も創作も取り混ぜて本当にあったことにのように解説する書き方のせいだな
見てきたような嘘をつき、の講釈師としては確かに優秀だが
厄介なことに歴史知詳しくない人はそれが史実だとコロッと騙されちまうw
ここの住人なら大丈夫だろうけど
879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:55:18.24 ID:+DUTiKga
そう、史実と創作と個人の主観(時に断罪)を混ぜて書く
なまじ文章力があるものだから、違和感を感じない
880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 20:25:20.70 ID:5/YdtMoR
司馬さんは今でも大好きだがちょっと見方が片寄ってるかな、ってのは感じるな
まあその片寄った見方が俺は好きなんだが
881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 21:08:10.47 ID:FmHkgzur
坂の上の雲はもう40年も前の小説だしな、古典に近い
今現在の研究家や勉強してる人が読めば粗が見えるのは当然だわな
後出しジャンケン的に批判してやるのはちょっと可哀想、そら必勝だわ
先祖伝来の大筒
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い時のこと。対上杉の関東の最前線として東軍が重視した拠点の一つに
大田原城があった。
当時の大田原城主は大田原晴清(大田原資清の孫で大田原三兄弟の末弟である綱清の息子)で
上杉の領内の諜報活動などを行なっていた。
もし上杉が仮に南下して来るとすれば真っ先に危険が迫るのは会津と関東の連絡路でもある
大田原であろう事から
徳川家からも物資や城改築の奉行が入り、急ピッチで備えが進められたが、その時に
徳川軍が持ち込んだ物資に大型の大筒が10挺あった。
大筒10挺は結局の所、使われることは無く関ヶ原の戦いは東軍の勝利に終わったが、
それでも大田原城が有事の時に会津と関東の重要な中継拠点であることに変わりはない。
大田原城から徳川軍が去る際に大筒10挺のうち3挺がこれから起こり得るかもしれない「有事」への
備えとして大田原城に残された。
そして時は流れて慶応4年(1868年)5月、ついに大田原城に敵が押し寄せる「有事」が起こった。
大田原城の守備兵はわずか50人しかいない。
だが、こんな事もあろうかと大田原藩は先祖伝来の徳川謹製の大筒をしっかりと使えるように
代々しっかりと手入れしていた。
この時代においては骨董品のようなものだが威嚇程度には使えるだろう・・・
そして官軍に付いた大田原藩の兵は大筒を会津と関東との連絡路をバッサリ断ち切られてしまい
大田原城攻略を急ぐ旧幕府軍に撃ち込んだのであった。
859 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/01/25(水) 21:57:09.05 ID:kA7Kgmj5
司馬遼太郎の小説にそんな話あったよね。
860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 22:03:19.40 ID:6fPGxN8r
なんで外様なのに関東から追い出さなかったのか
861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 22:04:50.56 ID:2+GdgyCD
那須本家は潰したし、大田原ごとき残しといても害はないと思ったんでしょ
862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 22:36:43.90 ID:gc+kJ1bS
井伊家の先代が現当主の小さいころに関ヶ原で「ご先祖がここで死にもの狂いに働いたればこそ今があるんだぞ」
みたいなことを言ったそうだがそれを言うなら「幕末に主家を裏切ったればこそ今があるのだぞ」
というべきだと思った
863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 23:08:36.46 ID:zzOSAZRE
>>860
関東って言ったって南東北みたいな場所だったから。
864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/25(水) 23:19:28.78 ID:HRvmd4Ig
>>859
あれは、奈良の高遠藩の話だっけなぁ~
865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 00:17:55.17 ID:CiqgYKqu
きたない大関さんの話じゃないんだなw
866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 00:24:49.67 ID:vMTuV2r3
>>864
司馬遼太郎の「おぉ大砲」の話だったら
大和高取藩の話なんだが
ちなみに高遠藩なら信濃なんだが
867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 00:29:22.54 ID:DIQZhpSP
汚い大関さんの黒羽藩は骨董品の大筒じゃなくて超最新式の七連装ライフルで
会津藩の詰所をジェノサイドしたからな。
868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 09:15:24.58 ID:P/em+5lE
幕府的にはあの兄弟の利の聡さ考えれば勝算ない東北側に組することなどないのは目に見えてるから
押さえとしてそのままおいとくのはありだと思ったんじゃね
自分たちが東北側になるのはさすがに想定外だろ
869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 11:25:10.45 ID:4+Oe1l8f
>>866
300年近く養われた一族が結局、
人一人を脳震盪と聴覚弱化させただけ、の
顛末が、なんか好き。
870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 12:08:22.52 ID:R3U7wtAC
そんなのに大坂城が屈したんだから
且元はよっぽど撃ちまくったんだろうなやっぱり
871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 15:36:53.18 ID:f91n20Yg
>>857
そんなことをしたら義重に怒られちゃうじゃないw
872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 17:49:56.00 ID:DrZH7TCm
>>869
あの時使われたのは実際は幕末に新たに購入した大砲
司馬の話は大嘘です
873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 18:57:36.62 ID:/l2jziFt
創作と言ってあげなよ小説家なんだしw
874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:16:41.19 ID:f91n20Yg
司馬遼を本当の歴史と思ってる奴らが少なからずいるのが問題なんだよな
それだけ小説家としての司馬遼が凄い、ということなのか
875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:19:37.49 ID:Ayo58s3g
昔の物語を一次史料のように扱うのは多いから
未来でシバリョの小説も一次史料となりうる可能性なきにしもあらず
876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:23:12.89 ID:f91n20Yg
軍記物かwww
戦国時代はともかく、坂の上の雲とかはマジでそうなってそうでこわい
877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:30:26.64 ID:Xqv0A4M5
高校生の時に燃えよ剣を読んで歴史好きになったっけなあ。
なんというか魂を揺さぶられた。
878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:52:32.44 ID:/l2jziFt
>>874
あれは史実も創作も取り混ぜて本当にあったことにのように解説する書き方のせいだな
見てきたような嘘をつき、の講釈師としては確かに優秀だが
厄介なことに歴史知詳しくない人はそれが史実だとコロッと騙されちまうw
ここの住人なら大丈夫だろうけど
879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 19:55:18.24 ID:+DUTiKga
そう、史実と創作と個人の主観(時に断罪)を混ぜて書く
なまじ文章力があるものだから、違和感を感じない
880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 20:25:20.70 ID:5/YdtMoR
司馬さんは今でも大好きだがちょっと見方が片寄ってるかな、ってのは感じるな
まあその片寄った見方が俺は好きなんだが
881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 21:08:10.47 ID:FmHkgzur
坂の上の雲はもう40年も前の小説だしな、古典に近い
今現在の研究家や勉強してる人が読めば粗が見えるのは当然だわな
後出しジャンケン的に批判してやるのはちょっと可哀想、そら必勝だわ
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コメント
人間七七四年 | URL | -
いや、司馬さんは自身で「坂の上の雲はフィクションを禁じた」って言ってるんだから
ちゃんと確認してないことを書いちゃってたら批判されるのは当然。
例えば乃木の司令官としての職権停止を通達した下りなんかは全く史料がない。
あの人は本当に素晴らしい歴史小説家なんだけど、晩年の辺りになって、
歴史家的な著作を書いたせいで評価が難しくなっちゃってるんだと思う。
( 2012年01月26日 22:46 )
人間七七四年 | URL | -
司馬遼の話ばっかりじゃないか
( 2012年01月26日 23:10 )
人間七七四年 | URL | 73DAy5m2
播磨灘物語の大河ドラマ化まだ~待ちくたびれた~チンチン
( 2012年01月27日 00:08 [Edit] )
人間七七四年 | URL | tKQf3S82
燃えよ剣のラストはしびれたな~
歳を取って司馬遼のおかしなところや偏ったところが見えるようになっても
たまに読み返したくなる。やっぱり偉大な歴史小説家だよ
( 2012年01月27日 01:13 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
※3
今日テレ東でやる「二人の軍師(竹中半兵衛+黒田官兵衛)」でとりあえず間に合わしてみるとか
( 2012年01月27日 01:19 )
人間七七四年 | URL | -
だいたい作品ごと、掲載媒体ごとで読者層に併せてスタンス変えてるしな>司馬
それを踏まえりゃその辺の売文屋以外の何者でもないのにはすぐ気付く
( 2012年01月27日 02:34 )
人間七七四年 | URL | -
>>881
確かに、数十年も経てば通説を覆す、もしくは通説と矛盾する資料なり何なり出てきても仕方ない、むしろ当然といえば当然だよなぁ
( 2012年01月27日 03:00 )
人間七七四年 | URL | -
俺、堺屋太一@豊臣秀長~ある補佐役の一生~のファンなんだけど、あれってかなりデタラメなのかな??
( 2012年01月27日 06:49 )
人間七七四年 | URL | -
宮城谷昌光@新三河物語が好き
( 2012年01月27日 08:08 )
人間七七四年 | URL | -
司馬さんは晩年の文化人としての活動がなければなぁ…個人的には山田風太郎と並んで好きな小説家何だけど
( 2012年01月27日 08:17 )
人間七七四年 | URL | -
宮城谷さんは[重耳]の初読時は面白いと思ったけど、主人公が総て儒教的価値観における名君像ばかりで食傷気味だなぁ。さすがに范雎が人徳者だったり家康が儒教の教養が深かったりで、そりゃ無茶あるよねと言いたくなる事がある。
( 2012年01月27日 10:31 )
人間七七四年 | URL | -
なんというか反抗期のようなものってあるよね。
歴史小説から歴史好きになったものの、知識が増えるにつれて好きだった小説家のあらが見えるようになり、失望したりする。
一時期司馬さん嫌いになってたが、今は自分の親を見るような温かい目で見られるようになった状態w
( 2012年01月27日 11:09 )
三 | URL | -
歴史読本とかが好きで歴史を学ぶ学科に入ったんだけど「人文科学」として歴史を勉強して一次資料と小説の違いを理解できたなぁ。お隣りは小説=史実として教科書で教えてるからタチが悪い。
( 2012年01月27日 13:32 )
人間七七四年 | URL | -
学生時代歴史をやってたんだけど、当時は、時代劇とか時代小説受け付けなかったなあ。荒が見えるから。今は、これはお話なんだということで、別に気にしなくなった。
( 2012年01月27日 18:12 )
人間七七四年 | URL | -
見事に司馬遼の話ばっかだな。
まあ、それだけ影響力があるってことだよね。読みやすいし面白いし手に入りやすいんだから。それをきっかけに歴史に興味を持ってくれる人が増えるのは純粋に良いことだと思う。
( 2012年01月27日 18:46 )
人間七七四年 | URL | -
司馬遼の話は面白いけど、やっぱり大河ドラマとかは今でもダメだな。
( 2012年01月27日 19:00 )
名無しさん(笑)@nw2 | URL | -
昔陳瞬臣の小説十八史略と中国の歴史、秘本三国志で
歴史のいろんな見方みたいなのを知ったなぁ
あんた前の本で書いたことと違うじゃないかとw
( 2012年01月27日 22:04 )
人間七七四年 | URL | -
陳舜臣の「小説十八史略」や「秘本三国志」は面白かったけど、
はじめてその時代のことを読む人には、これが通説だと思わせてしまいかねないのがちょっと
読者の問題だから、作者には直接関係ないんだけど
( 2012年01月27日 22:39 )
人間七七四年 | URL | -
別に勘違いされたところで何もなかろう。
政治家の歴史認識とかならあれだが、さすがにそれはないと思うし。
( 2012年01月28日 04:40 )
人間七七四年 | URL | mQop/nM.
ブリキトース砲の件は事実と違うって、当事者の子孫の方の反論を見たことがある。
ttp://8421.teacup.com/jyamasiro/bbs/68
( 2012年01月28日 07:13 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
「関ヶ原」や「城塞」は主役級に感情移入出来る登場人物がいっさい居ないけど面白いという変な小説。
よく過剰な家康sageと揶揄されるが、氏が嫌悪しているのは家康ではなく佞臣だと思う。
( 2012年01月28日 18:18 )
人間七七四年 | URL | -
フィクションの功罪と言えば
宮本武蔵、大坂の陣で豊臣方についた話
あれ未だに信じてる人いるからなあ
( 2012年01月29日 04:59 )
名無し | URL | -
まぁ小説と史実をごっちゃにしてると、どこぞの国みたいになってしまうから、司馬遼の書いた事を鵜呑みにしないのは正しい判断だ。
だからといって歴史家の言う事も鵜呑みにはしないけど。
最近、司馬遼叩いとけば歴史通に見られると思ってる人って増えてるよね?たぶん。
( 2012年01月30日 20:19 )
人間七七四年 | URL | -
まぁ、司馬遼自身が「いい年こいていつまでも竜馬、竜馬言ってんじゃないよ!」
って、某役者を叱り飛ばしてたくらいだしなw
出版されて何年もたってから顔真っ赤にして「実際は違う!実際は違う!!」言ってる奴らがいても
本人まだ生きてて聞いたとしたら、お前は何を言ってるんだ?状態だと思う。
( 2012年01月31日 05:00 )
人間七七四年 | URL | -
マイナー人物ほど一度定着した人物像を拭い去るのは不可能なんだよな
竜馬や新撰組は司馬がプロデュースしたと言っても過言では無いし
鬼武蔵軍団も司馬にプロデュースしてもらっていたら今頃は忠義と武士道のイケメン好青年集団になれたかも知れない
水野もワイルドで探求心旺盛な戦国史を裏で支えた放浪のナイスガイになっていたかも知れ無い
そう考えると胸熱だな、歴史マニアは激昂すると思うが
( 2012年01月31日 20:17 )
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